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余談『べジータと人造人間』&『神龍の忖度』

ドラゴンボールはよく対比関係が出てくるんですけども、30巻辺りのベジータと人造人間の対比の描き方はとても面白いですよね。

この頃のベジータは家族を守ることはせず飛んで人造人間を追いかけ仲間意識もなく罪もない人を殺している最低なサイヤ人として描かれています。
一方で人造人間は会ったこともない16号を助け何故か仲良く3人で車でのんびりと急ぐこと無く行動する様子が描かれます。

人造人間たちは盗みはするものの無駄な殺生はせず、地球も破壊せずケンカを吹っ掛けたベジータや加勢に加わったZ戦士たちにとどめを刺すこともしません。
ベジータと人造人間の目的は一応同じはずなのですが、孫悟空を倒すという目的達成の熱量は53万(ベジータ)と5(人造人間たち)くらい違うように感じます。

この場面ベジータと人造人間とやり取りをさせることによって人造人間の「穏やかさ」がより引き立っているように見えました。
ベジータは人造人間をカラクリ人形とdisりますが「ほんとにそうか?」と読者に思わせる先生の天才演出です。
人造人間=悪だと思っていたトランクス、Z戦士、そして読者たちは肩透かしを食らって戸惑ってしまいますね…。
人造人間も孫悟空を倒すことはできませんでしたが、カカロットさんを殺す事が目的だったベジータさんもカカロットを倒すことは出来ませんでした。

セルを倒した後に417話『大円団』というタイトルの回でべジータは「く…くそ……カカロットめ………!!あんな死にかたしやがって………オレはもう…闘わん………」と呟いていましたが、カカロットがどんな死に方だったら納得したんでしょうか…


さて、これらを踏まえて照れ屋な先生の描いた最高のベジブルのお話をしたいと思います。(これ何度も言います。

ドラゴンボール最終回付近でトランクスがかったるいと飛行機をしまって飛んで孫家まで来たけどすでに両親が孫家に来ていたという場面があります。

実際コミックを見ていただくとわかるんですが、42巻214ページの一番上のコマに二人用飛行機が描いてあるんです。
この裏山はワンチャン孫家の駐車場かもしれませんが、ブルマとベジータがここまでこの飛行機で乗ってきたと見るのが普通だと思います。

(ビーデルと悟飯、パン、悟空、悟天、チチが一緒に暮らしているのは悟天、悟飯と悟空の台詞から予測することができます。
サタンは孫家やベジータ一家が天下一武道会に出ることを知らなかったようなので密に会話をしていないのかなと思います。サタンは一緒の敷地で暮らしていてもあまり孫家メンツと会っていないのかも知れません)

2〜3世帯住宅の孫家と西の都とどのくらい距離が離れているかは不明ですか、トランクス曰く飛行機だとかったるいらしいのでけっこう時間がかかるのだと思います。
やろうと思えば地球を何周も早く飛べる人達が、車や飛行機に乗って長時間移動するのはかったるいんです。
ここでトランクスにかったるいと言わせてるのがポイントです。

トランクスがかったるいと言って飛行機を仕舞い飛ぶという場面は入れる必要そこまであまりない気もするし両親がすでに孫家に来ていた回りくどい演出もこれ1コマで描けるじゃないですか?

きっと、先生は変化したベジータが描きたかったんですよ。
ブルマとベジータ二人きりで長時間飛行機に乗ってこさせる場面を入れたかったんです。

前の場面でトランクスにかったるいと言わせて飛行機を降りて舞空術で移動させ、孫家の裏山に二人乗りの飛行機をさりげなく描いたのは

昔はあんなだったベジータがブルマと二人きりで飛行機でちんたら来たんだぞ!

と先生がさりげなく大声でアピールしたかったに違いありません(断言)


ブウ編の天下一武道会に行く時にみんな乗ってたデカい飛行機にもベジータが助手席的なところにちょっこり乗ってるんですよね。
もう1回言いますよ。

「あのベジータが、飛行機で、みんなと一緒に、時間かけて移動してる」んです!

台詞で説明させることなくサラッと描きすぎてるせいでわかりにくいのが難点なのですが、ベジータが生き返れた理由の一部分、そして孫悟空が読者のかわりに「ほんとにそうか?」と言った理由をちゃんと絵で説明してくれてるんです。

人造人間編では家族を見捨て一目散に目的地に飛んでいったベジータがブウ編で見せた姿が家族と乗り物に乗ってのんびり旅を楽しむ人間・ベジータなんです。
エモエモじゃないですか?

セル編やブウ編は蛇足でつまらないからいらないという意見を見かけたんですがそんなことはねえ!

さらに余談の余談『神龍の忖度』

長期連載で忙しい最中設定を作ってることも多いと思うので当たり前なんですけど神龍が叶えられるお願い設定も作中で変わっていますね。

ブウ編ではうんと悪いやつを除いて生き返らせるとかいうお願いをしてうんと悪いやつ以外が生き返ります。
では、ポルンガの考える悪人とそうじゃない人間の違いはなんなのでしょうか。
例えば5人殺すのと10人殺すのとで違いはあるのでしょうか?
戦勝国の殺人は正義だけど敗戦国の殺人は悪なのでしょうか?
(私もうんと悪いやつは死んだままでいいと思いますけど、うんと悪い人を生き返らせないっていう内容をサラッと描くのすげえなって思います)

ベジータはうんと悪いやつカテゴリーだったかと思いますがブウ編で生き返ることができました。七年間穏やかな生活を送っていたベジータでしたが、孫悟空と戦いたいがためだけに天下一武道会武道会で新たに罪を重ねています。

ブルマや地球人との生活で昔に比べたら穏やかになってたとはいえ、罪を犯したなぜベジータはなぜ生き返れたのでしょうか?

ブウ編でベジータがうんと悪い人から外され生き返れた理由は「見返りを求めずに犠牲になる心(魂)をベジータが持てた」からだと思います。

Mベジータが自爆する前にピッコロさんにあの世でカカロットに会えるか確認しますが、死んだら魂は浄化され生まれ変わりカカロットには会うことは出来ないと告げられます。

以前noteに上げた妄想文では、生き返るには魂の有無が重要という事を書きました。
孫悟空と握手した界王神が孫悟空に「噂どおりいい魂をお持ちだ」と言っています。(噂になるほどのいい魂ってどんな魂?)
(私もすっかり忘れてましたが老界王神樣も孫悟空を蘇らせるために自らを犠牲にして後に生き返ります)

話がとっ散らかってますがつまり
ドラゴンボールワールドだと魂という履歴書に過去やらかした悪事が書かれるんじゃないかなと思います。
うんと悪いやつは魂が汚いんじゃないでしょうか。

カカロットは天国で生活をしているし、ワンチャンまたいつかはカカロットと戦えるかもしれないし、色んなものを犠牲にしてまで魔人化したくらいにカカロットさんと闘いたかったし、とにかくいつかはカカロットを超えたい倒したい!という人生を送っていたベジータは、死んで二度とカカロットと会うことが出来ないなど耐えられるものではないでしょう。

でも、カカロットに会えなくてもいい
守りたい人を守るためだけに死を選んだ

というベジータの行動で魂に刻まれた罪が生き返れる程度には浄化されたのかもしれませんね。
魂に刻まれた罪、なんて書くと急に文章がバチカンぽくなります (?)

細かな説明は作中であまりですし、この魂うんぬんの他にも記憶ってどんなふうに消されるのかなどなど疑問がたくさん浮かびます。

もし◯◯なら生き返れるのか?的な妄想話をするのは楽しいですね!

おわり

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