小松原宏太

舞台演出家/演技講師/PieceBox主宰・演出/JOKO演劇学校一期生B/座・高円寺…

小松原宏太

舞台演出家/演技講師/PieceBox主宰・演出/JOKO演劇学校一期生B/座・高円寺演劇創造アカデミー5期(講義生)/JOKO演劇学校非常勤講師/スタニスラフスキー・システムを基礎にリアリズム演劇の指導/お問い合わせ→piecebox.pb@gmail.com

最近の記事

2021年の振り返り〜忘備録として〜

年の瀬ということで振り返ってみました。 今年まだやり残している仕事があるクセに、一度締めないと今年は終われず切り替えができないと言うことで自分のために書いています。体裁揃えるのも面倒なので書き殴っています。 細かい仕事はあったものの、今年一年は主に二つの事に取り組みました。 1.演劇企画JOKOでの活動 2.PieceBoxでの公演(フリーランスとしての事業) 3.その他の活動 4.まとめ 公演や講師としての現場仕事はやっていますが、今年は特に現場以外での実務仕事が多く

    • 舞台俳優と「演劇史」〜その必要性について〜

      先日、某SNSにて先輩の講師とメッセージを交わしていました。 話題は「俳優のメイクについて」。
男なのでこの手の話には疎いのですが、思ったことを書きます。 俳優の仕事として役を演じるためにメイクは必要です。 作品の時代性等の「与えられた状況」を、演出家がその時代背景を重視するプランであれば、それに合ったメイクを基本的に役者は考えます(メイクさん等が入る場合は相談しながら決めていきます。)。演出が現代要素を取り入れているのであれば話は別です。 例えば、江戸時代の話なのに、耳

      • だいじなじかん 〜孤独と向き合う〜

        身体も疲労でいっぱいで、頭も糖分と永遠の眠りを要求していて、でも落ち着かなくて、心が揺らいでいて、そんなグラグラでフラフラな時ほど筆は進む。何かに傷付いたり、失っている時に強くなって、最終的に幸せになる。サイヤ人理論はあると思います。エビデンスあるのかな。 初夏の夜風にあたりながら、ノイズキャンセリングのイヤホンで自己の内面に意識を向かわせ、思ったこと、自己を振り返りながら、そして頭と心で整理しながらひたすらスマホに書き殴る。 演出者として、現場で創作活動する以上に心地良い

        • 舞台上での交流〜役者の身体性について〜

          ※俳優というのは、主に舞台俳優として、また舞台で表現する人の事に限定して書きます。 演出や講師をしていると、特に若い役者と接する機会が多いのですが、ここ数年、特に高校生から20代半ばくらいの役者のコミュニケーションに手段の違いがあると感じている。 特に10年代に入り、iPhone4の出現は世の中ほとんどを接続可能し、誰にでもコミュニケーションが取れる手段を手に入れた。 人類史の中でも情報革命はこれまでの世界の常識を覆し、あらゆるものは進化し発展を遂げたのは間違い無いだろう。

        2021年の振り返り〜忘備録として〜

          アーティストと吉本隆明の親和性

          俳優の役作りとして 1.自分と繋がる2.相手と繋がる3.全体と繋がる と段階を踏みます。 これは吉本孝明の共同幻想論に於ける 1.自己幻想2.対幻想3.共同幻想 と同じ。 現在、稽古場ではかもめの稽古をしている鎌、現場で役者の演技を見ながらどこかで引っかかってあるところがある。カタルシスが起きない。その原因と考察を考えながら、頭に思い浮かんだものを書いていきます。 SNSが自己承認欲求を増幅させ、自分の物語を語ることに快感を見出すことにより理性が崩壊し、他人の物語を表現で

          アーティストと吉本隆明の親和性

          頭の中の整理整頓。

          久しぶりの投稿ですが中身はないです。 2021/3/24現在、舞台公演の主宰・演出業務を行っているわけですが、想像してはいたものの現実は想像以上に厳しい。 自分の脳のワーキングメモリーが追いつかなくて、稽古に入る2ヶ月前から頭の中がぐちゃぐちゃ。年度末ということもあり、部屋の中は来年度のための準備と資料でぐちゃぐちゃ。隣の家では子供がギャーギャー泣いている。子供は泣きたい時に泣けて自由だ。こっち泣きたいくらいなのに。 主宰業なんて本当はやりたくない。演劇公演なんて費用対効

          頭の中の整理整頓。

          10年後。その未来にあったのは。

          あの日。 あの当時、あの瞬間、前日の夜勤明けで実家で眠っていた。 揺れで目覚め、落ち着くまで布団に潜り込んでいた。 揺れが治るとすぐにリビングに行き、母親と兄とテレビの前に釘付けになっていた。 まるで映画の世界が現実に起こった。 フィクションの世界が自らの身体をもって実感し、どこか夢幻の世界が画面の中に広がっており、他人の物語が自分の物語になった現実に少し動揺したものの、 それだけだった。 特に違和感はなかった。現実問題として受け入れる覚悟は10代の時から経験してき

          10年後。その未来にあったのは。

          キャスト変更のお知らせ。

          お客さまへ。 4/14〜4/18に公演予定のPiece Box #4「かもめ」ですが、 出演予定だった黒田マサミさんが一身上の都合により降板することが決定しました。 アルカージナ役には劇団昴の古谷みちるさんが出演致します。 今回のキャスト変更は新型コロナウィルスによる影響ではございません。 現在キャスト・スタッフの中に体調不良を訴える人はおらず、毎日の体温・体調報告をはじめ、稽古場の消毒・換気等、感染予防対策を徹底した上で公演に向け、稽古に励んでおります。 この場

          キャスト変更のお知らせ。

          Piece Box #4 「かもめ」 公演概要

          日時 4月14日(水)19時〜(ライブ配信有り) 4月15日(木)13時〜 4月15日(木)18時〜 4月16日(金)13時〜 4月16日(金)18時〜 4月17日(土)13時〜 4月17日(土)18時〜 4月18日(日)13時〜 ※開場は開演の30分前を予定しております。 会場 花まる学習会王子小劇場 〒114-0002 東京都北区王子1-14-4 地下1F TEL・FAX:03-3911-8259 チケット 一般:¥4,000(前売り・当日共に 全席自由) U-24:

          Piece Box #4 「かもめ」 公演概要

          開放&柔軟×芯&軸=未知(満ち)の世界。〜滝行が教えてくれたもの〜

          ※滝行は素人が気軽に出来るものではありません。参加者は道着を着て、身を清め、先駆者が滝の前で結界を張り、礼を尽くします。くれぐれもご注意ください。 今から12年前。 まだ舞台役者を目指していた時に授業の一環(俳優修行)の鍛錬で「滝行」を行いました。 卒業してから13年目の今年。 生徒に混ざってこの鍛錬に参加させていただきました。 これまではドライバーとしてボランティアで付き添いをしていたわけです。滝行後の帰りの運転は相当ハードワーク(同乗者の命を預かっている立場)な

          開放&柔軟×芯&軸=未知(満ち)の世界。〜滝行が教えてくれたもの〜

          朗読と舞台での発語の違い。(概要)

          SNSをのぞくと、オンライン上で小説や絵本の朗読の動画や配信をよく見かけます。 それに関連して朗読と舞台での発語について、改めて書いてみようと思いました。 役者の演技は身体性を伴ってこそ、一つの芸として表現されますが、 朗読劇に関して言えば言葉の扱い方は舞台上のそれとは違います。 何を表現するかということにも通じますが、基本的には役者は物語のストーリーテラーとして存在します。 台本に書かれた人物を身体を通して生きることが要求されます。 ですが、朗読の場合、身体性が

          朗読と舞台での発語の違い。(概要)

          アズイフの法則〜演技に於ける「行動」→「感情」のメカニズム〜

          演技において、演者の身体と内面というものは密接に関係しています。 行動と感情の因果関係について、常識では ・幸せを感じる→笑う ・恐いと感じる→逃げる というようなことになります。 アズイフの法則では ・笑う→幸せを感じる ・逃げる→恐怖を感じる となります。 そして、近年の科学の研究では「自分の行動によって感情をコントロール出来る」というメタ分析とエビデンスがあります。 側頭葉内側に位置する「扁桃体」という部分が感情体験(特に恐怖)に影響しています。

          アズイフの法則〜演技に於ける「行動」→「感情」のメカニズム〜

          演劇の本質 〜宗教からみる「他人の物語」の宣教とジャーナリズム〜

          先日、尊敬するとある作家のツイートに「日本の演劇が低調なのはまともな劇作家が少ないからではないか」というようなものを読んだ。 そして、私見だがキチンとした作家の基礎教育を受けないまま活動している小劇場作家も多い。 欧米では基礎教育がしっかりしている。日本ではまともな俳優教育機関(JOKO演劇学校、手前味噌だが、自身が講師を担当している。スタニスラフスキー・システムをベースとした演技教育。その他、欧米、ロシアでの演劇教育とテクニックを習熟した講師によるムーブメント・ヴォイス。

          演劇の本質 〜宗教からみる「他人の物語」の宣教とジャーナリズム〜

          劇的対話=キャッチボール→テニス

          芝居は言葉と言葉のキャッチボールだ」という指導者や演出の声はよく聞くが、半分正しくもあり、間違いでもある。と、演出・演技講師の立場からして思う。 演技者のレベルに合わせて、基礎から実践までの過程でキャッチボール→テニスに持っていく必要がある。 それは、観客としてはキャッチボールのウォーミングアップよりもテニスの白熱した試合の方が脳内アドレナリンが上がる。エビデンスとメタ分析に基づいた実証より観客の感情を動かすための仕掛けを盛り込まなければならない。 この結果

          劇的対話=キャッチボール→テニス

          演劇で稼ぐ。 〜表現の自由×責任=祭事or教養〜

          ※憤りを持った文章なので気分を害されたくない方は読まないでください。 世界の真実とこれからの演劇、芸道の本質の未来を本気で考えている方はぜひ読んでいただけたら幸いです。 演劇の行き過ぎた興行化と扱う題材について考えました。 表現の自由は憲法で認められています。 ですが、手軽に自由に表現・発信できる時代になったからこそ、作り手の責任について考えるべきだと思います。 ↓↓ 先日観劇した公演について。知り合いが出演しているのでその勇姿を観るため、とある劇場へ。 話

          演劇で稼ぐ。 〜表現の自由×責任=祭事or教養〜

          「快」と「壊」

          残業、終電、24時間労働当たり前。作業が終わらなきゃ帰れない。仕事は終わらない。 年末年始の催しと準備が各地で行われてますが、その裏では準備のため文字通り身を削り働いている人たちがいる。 スタッフ業をしていると日々実体験として日常化する。 労基法?働き方改革? 確かに大事。 表面で、催しで「快」される人間もいる。 一方で、催しで「壊」される人間もいる。 行き過ぎた資本主義経済と評価経済の裏側を見た。 経済格差だけでなく幸福格差も生まれている

          「快」と「壊」