自己犠牲と無慈悲の先に…

久しぶりの投稿です。

今から約1年前、シェイクスピアの「Hamlet」という作品を演出しました。

演劇人なら誰もが1度は触れる作品と言えるほど不朽の名作で、約400年前に書かれた作品ですが、今日でも世界で1番上演されていると言っても過言ではありません。
そんな大作に英語が殆ど出来ない自分が約1年かけて原文から精査し、辞書を片手に翻訳し、テキストレジを何回も繰り返して公演用の台本を作りました。

演出するにあたり古今東西のハムレット研究を重ね、イメージを膨らませながら、演出していたのが懐かしく思います。「無償の愛」「性愛」「友愛」の観点から登場人物の関係性を作り、場面毎に其々の愛情を舞台上にカタチにしていく作業。本当に役者、スタッフに感謝。

そんな事を思いながら、その1年後、本日たまたま、とある「HAMLET」の映像作品を授業で扱い、解説しながら生徒と観ていました。

劇中、所謂「尼寺の場」というシーンで、ハムレットの台詞に「尼寺へ行け!」という言葉が数回出てきます。恋人のオフィーリアにぶつける台詞です。

To be,or not to be--that is the question.
この有名な独白の後、祈っているオフィーリアを見つけ対話が始まります。

オフィーリアは自らを「気高き心」(the noble mind)と言う言葉にハムレットは引っかかり、父ポローニアスの作為操作を感じる。

途中で誰かが立ち聞きしているのではないかという猜疑心を持ちながら「尼寺へ行け」と言う。

「尼寺」は隠語で「売春宿」とも言われている。ただ、脱構築的な読み方からすれば「尼寺」は「結婚、出産」からのシェルターという点も考えられる。

状況的に誰かに見られているのなら、「尼寺」という単語を二重の意味でオフィーリア、そして見られている誰かに言っている。そのような演出をしたし、役者もこの難しい課題に挑戦してくれた。

究極の愛は自己犠牲なんだと当時は思っていたけど、それを台本・構成・演出者として作品作りができた事は幸福でした。


つい先日、観劇した芝居の中で
「愛というのは無慈悲なものなの。」
という台詞が妙に胸に引っかかっていた。観劇してた時は消化不良だったが、「HAMLET」を再度観た際にそのスッキリした。


自己犠牲、無慈悲の先にあるものは人間の真実の想いなんだと。


今のままではこの国はディストピアになる。その進行は少しずつだがカタチになってきている。本格的に人間の心がAIに侵される前に、まだ人間の心が残っている社会だからこそ、もう一度、一人ひとりが未来を夢見る「ここではない、どこか」に意識が行く前に、自分の目に映る日常の中に「いま、ここ」の瞬間を大事にしてほしい。

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