見出し画像

オタクは推しのATMでいいのかって話

みなさんこんにちは、今日も元気に推し活してるぴろ@ななじゅうごです。皆さんも元気に推し活していますか? 今日は以前から書きたかったことを書こうと思い、PCを立ち上げたはいいものの、どう書けばいいかわからずキーボードの前で考えあぐねています。

世間は推し活ブームで、「推しは推せる時に推せ」「オタクは推しのATMでいい」ってめちゃくちゃ言うじゃないですか。推しが突然引退発表しちゃったり、スキャンダルに見舞われてしまったりっていうことがめちゃくちゃある世の中だし、推しは推せる時に推せっていうのは、基本的にはわかります。推しが一番輝いている時を目に焼き付けておきたい。

推しに対してたくさんお金を使いたいって気持ちも全然わかります。だって私が推しの物販をたくさん買ったりすれば、その分推しがちょっとおいしいもの食べられるかもしれないわけだし。推しにはいい生活してもらいたいのがオタクの人情というものではないでしょうか。

ただ、なんかそういう機運が過剰なんじゃないかってたまに心配になるんですよ。推しのために自分の身をすり減らした者が一番、みたいなところあるじゃないですか? でも私、よく思うんですけど、推し活って自分がちゃんと推しに尽くせる状態がまずあって、その状態がきちんと整っているからこそ推し活ができる…んじゃないかって思うんですよ。これは私自身もできているかっていうと結構微妙で、お金がないのにツアーがあるから無理してチケット取ったりしたりすることは全然あります。反省。

ただやっぱり、「オタクは推しのATMでいい」って、ちょっと自分を卑下し過ぎなんじゃないかって思うんですよね。偉大な推しの言う事ならなんでも聞くよってことだと思うんですけど…。
古い考え方なのかもしれないけど、オタクと推しは平等で居たいと思うんですよね。平等って言葉がなじまない人もいるかもしれませんが、オタク(ファン)はお金を差し出し、推しは歌とかダンスとか演技をこちらに差し出してくれる。「推しててよかった」と「推されててよかった」が同じくらいあって、平等。

推しを神聖視する気持ちは私にもめちゃくちゃわかるんですけど、だからって自分をATMと自称しようとは思わないです。推しには自分の仕事に誠実であってほしいし、私達ファンも推しに対して誠実でありたいです。


Q.それはお前が限界まで推しにお金を使えない言い訳なんじゃないの?
A.まあ、そうかも。でもそもそも、推しに対して限界までお金を使うこと=正義なのかって話でもあるしね…。なんか書いててよくわからなくなってしまいました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?