育児したらコミュ障が治った

という話をします。

「ぴーさんって人と喋るの好きそうだよね」と言われる。いやいやいやいや……と反射的に謙遜する。でも、はたと思い返してみて、昔は違ったけど今ではそうかもしれない、と思い返した。

以前の自分はコミュ障だった。ぜんっぜん誰ともしゃべれないというレベルではないが、人と喋るのは苦手だった。それより文章打ち込んだり読んだりしている方が百倍楽だ。

自分のコミュニケーションの障害は主に以下だったと思う。

①喋ることがない
②目を見て喋るのが苦手

この中でも②が特に自分の中で大きかった。なので②について一生懸命書く。


まずは、①喋ることがない、について消化しておく。

これはあっという間に解消された。子どもを産んだ瞬間から、他人とのトークテーマの半分以上は子どもにかっさられるようになったためだ。子どもが寝なくて〜、から始まり、喋っている最中にギャーとぐずりだすのも含めて、会話に困ることがない。「何喋ろう……」とか考える必要がない。ていうか、喋りたいのに喋らせてくれないぐらいだ。

育児ってすごく孤独なのだ。人生で一番がんばっているこのプロジェクト(育児)に対して、夫はまあねぎらってくれるのだけど、もっとねぎらわれたい。喋りたい。褒めてくれ。そういうわけで、意欲もありトークテーマも十分な状態でセットアップされている。

それでももし会話に困ることがあれば、子どもの顔みて「かわいいね〜」とか言ってると大体オッケー。誰も困らない。世界はラブ。①喋ることがない、解消。


②目を見て喋るのが苦手、について。こっちが本題。

これは今でも相変わらず、人をじーっと見るのは苦手だ。以前は、相手の目のどこを見ていいのかよくわからなかった。カメラで言うところのフォーカスが、相手の右目か左目かどちらにしか合わなかった(この感覚をわかっていただけるだろうか……)。

唇を見ろの、眉間を見ろだの、コミュニケーションの指南書にはいろんなチップスが載っているが自分には合わなかった。何秒見ればいいのだろうか、両目を見るってどうやればいいのだろうか、と模索した。模索するとよりコミュニケーションそれ自体にドキドキしてしまって、会話なんてできなかった。一番ラクなのはカウンター席のようなところで横並びになって話すことやせめて角の席で90度の角度で喋ることだった。

ちなみに、夫に「目を見て話すってどうやるの?」と聞いたら「自分の右目で相手の右目見て、同じように左目で左目見る」と言われた。ぜんぜん出来なかった。(ちなみに、わたしは弱視(ガチャ目)で、メガネをかけていても左目の視力が圧倒的に悪い。そのことと目を見て話せないことが関係するのかはよくわからない)

育児にもどる。子どもは、すんっごい、じーっと私を見てくる。めちゃくちゃかわいい顔で。なんの曇りもない目だ。正直、ずーっと見てられる。なんでだろうか、かわいいからだろうか(以下ループ)。

ところで、子どもの顔は小さい。大人に比べて目の間隔も狭い。5センチぐらいの距離でじーと見つめ合うと、なんと、両目にフォーカスが合うのである。「あー! 目を見るって、こういうかんじなのか!」と初めてそのとき分かった。

それ以降、大人の目を見るときに少しずつ苦手なかんじが消えていくようになった。っていうか、目なんて見なくていいのだ、と気づいた。

思うに、初対面の人ほど、じーっと目を見る労力が必要なのだ。お互いに分かりたい、理解しようとするから。それがどんどん慣れてくると目を見ないで喋っても失礼じゃなくなるし分かりあえるようになる。

目をじーっと見てくる人がいる。1秒ぐらい合ったら逸らす人もいる。これは個性だ。わたしはあんまり目を合わせたくない性分なので、そういう個性なのだと思うことにした。そのことを失礼だと考える人とはわたしは友達になれない、と割り切ったらすごく楽になった。


最後にちょっとのろけると、夫の顔は好きなので何秒でも見ていられる。といっても、目はあまり見ていなくて、眉毛の濃いかんじとかまつげのバサバサなかんじとか肌のかんじとかそういうのをしげしげと飽きずに見ている。いつも眉毛の手入れをさせてくれるので、そういうところも要チェックする。夫に言わせると「仕事人の顔してる……」だそうです。

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