小魚の骨が喉に刺さっていたような5年間
4年前、私は私を励ますためにTwitterを始めた。
ただただ毎日が辛かった。仕事もお金も恋人もいなくなり、希望も何もなかった。
毎日3ツイート。朝昼晩。私は自分のために言葉を紡いだ。
読んで元気になるツイートや素敵だなと思う人をフォローした。
私を励ますひとつとして「素敵だな」と思う人に声をかけた。
その人たちと仲良くなりたいなんて思いつきもしない、ただ声をかけたかった。でも知らない人に声をかけるのはパワーが要るので、多くて1日5人。5人話しかけたいなとなぜか思うようになり、交流するようになった。
パワーが要るのになぜそこまでするのだろうか。今思えば、何かを変えたくて、何かが変わる気がして、頑張ってでも声をかけていたのかもしれない。
あの時の私は偉い。大正解だ。
話しかけた素敵な人達は、私にとっては遠い存在だった。たくさんフォロワーがいて、たくさんのリプが来て、目を通すのだって大変だろうに、私のリプライに丁寧に返信をして、フォローまでしてくれる人ばかりだった。
それだけじゃない。実際に会ってくれた。
Twitterの自分を偽っているつもりはないけど、ツイートなんて自分の一部。その頃は顔も出していない。毎日消えたいと思う気持ちを過食にぶつけて太った。解雇されてからまともに働いていない。親のお金で生きている。田舎にずっと住んでる世間知らずの、なんにもない、なんてことない小娘だ。
会ったらがっかりさせないだろうか。
でも、私の今ある世界の中には探している答えが見つからない。
生きる希望も目標も、苦しい毎日を脱する方法も見つからない。
もう答えは今ある世界の外にしかない。だから会ったことのない人に会うことしかできないと思った。
最初の一歩こそ怖くて仕方なかったものの、会ってみればみんな温かい。
初対面なのに私を信じてくれる。私の解雇話を誰一人否定しなかった。「ぴいちゃんは悪くない」と言ってくれた。
そんな1人1人に会うたび、少しずつ私は元気になり、自信がつき、光が見えてきた。
粉々だった私の心の欠片を1つ1つ、丁寧にくっつけてくれるような、優しさをたくさんの人からもらった。
こうして、当時地元には居場所がないように感じていた私は、Twitterから知り合った大好きな人たちが都心にいることもあり、都心にはいろんな可能性があると思い、上京したのだった。
それも大正解だった。
同居していた家族との関係が微妙になっていたが、離れてから徐々に良好になった。
友達に定期的に会えるようになった。地元の友達は会う頻度は減ったものの、変わらず仲が良い。Twitterから知り合った友達も、長い仲でもう4年近くだ。
仕事は最初こそ不安定の極みだったが、Twitterの人からの紹介でやりたい仕事をさせてもらったり、縁に恵まれたりして少しずつ収入は増えた。来年はやりたかった分野の正社員になる。正社員は怖いと思っていたが、その恐怖に打ち勝つくらいよい職場なので、楽しみなくらいだ。
最近はしょっちゅう友達と連絡をしてケラケラ笑って、話を聞いてもらって、素敵な言葉をかけてもらっている。
本気で幸せ者だと思う。私はこれでいいのだろうか、私という人格について迷うたび「こんなに素晴らしい友達が私を好いてくれるなら私はこのままでいいはず」と思える。私のことを信じてくれる言葉や良い部分を伝えてくれて、いつも魔法をかけてくれる。ありがたい。大好きすぎる。
物凄く素敵な友達に巡り合えて、それが今の私の住む場所にも仕事にも影響を与えた。与えたどころじゃない。Twitterをやって、人との出会いがあったから今の幸せがある。
心からそう思っているけど、それでも、解雇の件については「よかった」とはずっと思えなかった。
もしもタイムマシンで過去に戻れてもやり直さない。やり直したくない。今の友達の方が大事。
そう思ってるけど、やっぱり心の底から「これでよかった」とは思えない。
時々会社のHPを開いて、社員のページを開いては「どうして私はここにいないんだろう」と思う。
仕事が大好きだった。職場が大好きだった。
大人になってから、誰かを憎いと思うことがあるんだと思った。時間が経つほど、憎しみなんて強い感情じゃなくなったけど、社長は不幸になればいいと思っていた。苦しんでほしい。私にどんなことをしたのか気づいてほしい。でも二度と顔も見たくない。
どれだけ時間が経っても「私が悪かった」とは思えない。私が悪者のようにボロクソに言われて辞めざるを得なかったことは、理不尽としか思えない。
続けたかったと苦しむわけじゃない。
きっと「これはおかしい」と言えずに周りには会社を守る嘘をついて、犠牲者になったような気持ちだったからずっと悲しかった。
この日から、解雇から約5年。
偶然、この社長のFacebookを開いた。
普段見えないようにしてるのに。
この日は偶然、社内で関わり合った子から連絡があって、その子が開いた瞬間出てきて。だからなんとなく飛んで、そしたら社長がすぐ出てきて「この顔見たくない」と思いながら目に入ったから飛んだ。
そしたら、「事業をたたむことにした」って1ヶ月前に投稿があった。
一瞬、時が止まった。
「あ、私もしかして『これでよかった』ってやっと言える…?」とぼんやりだけどホッとした。だんだんと安心感が出てきて、この5年が報われた気がした。
得たものは多くても120%よかったと言えなかった5年間。
やっと終わるんだ。やっと、誰かのことを不幸になればいいなんて思わなくて済むんだ。
もし仕事を続けられてたとしても、5年で辞めなきゃいけなかった。
どうせ辞めるなら、どうせないなら、あの時辞めて今この現状がある方がよっぽどいい。
枝分かれして私が進んだ今には、やりたい仕事があって、大切な友達もたくさんいて、苦しかったからもがいた経験があって、自分のこと胸張って大好きだと言える私もいる。
また会社の名前を検索した。
会社は見つからなかった。
同僚に会うのはなんだか気が引けたけど、もう気にしなくていい。
社長のこともどうでもよくなった。幸せでも不幸せでも、どっちでもいい。むしろここまで苦しい経験をさせてくれてありがとうとすら思える。
そんな風に思える日が来るなんて思わなかった。
もしもタイムマシンがあるなら、「これでよかった」と心から言える日が来たよと、5年前の私に言いたい。
ヘッダーの写真は、初めてTwitterの人たちに会った次の日の朝。
みんなでお寿司を食べて、地方組は泊まったの。懐かしいね。
私にパワーをくれた人はどれだけいただろうと写真で振り返って、数えたら1年で74人もの人に会ってた。そのうち53人が私に勇気や安心など、大きな影響を与えてくれた。すごいよね。
今は会った人の計84人。大きなオフ会の人数は含まないよ。会って話した人。
2年目からはいろんな人に会うよりも、同じ人と何度も会う感じだった。遠方はオンラインだけど、定期的に連絡を取り合う人が何人もいる。
あの時話を聞いてくれた人、私という人間を認めてくれた人、私のこと信頼してくれた人、
今は会わなくなって、Twitterもいなくなって連絡取れなくなっちゃった人もいるけど、あの時本当に本当に救われました。ありがとうございました。
心から乗り越えたの今かよって感じだけどさ、やっと乗り越えたと言えます。
今も支えてくれてるみんな、ありがとう。「よかったね」と言ってくれてありがとう。よかったです。
すぐみんなに甘えて頼ってしまうけど、これからも面倒見てやってください。大好きです。みんなのおかげで最近いつも幸せです。ありがとう。
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