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30年の中で唯一後悔してること

中学3年のときかな。
親はより偏差値の高い高校に入ってほしいことがわかっていた。

けど自分の能力では偏差値60の雰囲気が好きでないA高校か、偏差値50の雰囲気が好きなB高校かの選択肢しかなかった。

公立高校はこれと決めたら変更できないけど、1度だけ変更できるチャンスがある。
私は、最後の最後でB高校に変更した。
そのときに思ったのが「何選んでも後悔してたから、結局後悔するときはする。Aに行っても後悔するかもしれない。でも今の私にはBを選ぶことしかできなかったから仕方ないよね」「何選んでも後悔するなら、後悔してもいいや」

そうしてB高校に入学した。でも、後悔することはなかった。
というより、後悔することを諦めてからずっと後悔することがなくなった。
「もしもあのときああしていたら…」考えるときもあるけど、タイムマシンもないから反省するだけ。「次から気をつけよう」とひたすら落ち込むだけ。

そんな私が人生で唯一後悔していることがある。
たぶん、これは12歳くらいだったかな。

「お母さんの育て方が悪かったから弟はああなったんだ!」
と母に言ったこと。

なんで言ったのかも、本気で思ってたかどうかも覚えてない。感情的だった。
けど、最低なことを言ったという後悔はずっとある。

弟は、アスペルガー症候群、今でいう自閉症スペクトラムだ。
1番歳が近い私。弟は好きだった。むしろ可愛すぎてお年玉全て弟のおもちゃに貢ぐくらい溺愛していた。笑

幸い、弟の学年の子は優しい子が多かった。親と先生が話し合って、弟の苦手なことを話したから、優しい子がフォローしてくれた。

けど私の学年は違う。弟が全校集会で少しでも目立とうもんなら「君の弟、面白いよね」と言ってくる男子がいた。
この「面白い」は、バカにした「面白い」だと悟っていた私は、なんだかいつもムカついた。
「面白い」ではこの先みんなが弟に優しくしてくれないことを、なんとなく感じてたのかもしれない。

いつからか私は弟に厳しくなった。
私たちが怒られること、どうして弟は許されるの?これは障害(の特性)なの?性格じゃないの?
どっちにしても、これじゃ仲間はずれにされる、いじめられる、バカにされる。

変異的な目で見られることは全て注意した。今思えばただの過干渉。
私はたぶん、うまく立ち振る舞うことを弟に教えたかったのだ。
一緒に登校して、同じ学校にいて、弟のことを人はどんな風に見ているか感じていたから、そのままでは目立つから、攻撃されないように。
それが弟を傷つけていることを知らずに。

厳しい私を母はいつも注意した。
そして、ある日爆発して言った言葉が、それ。

ずっと申し訳なさがあるから、大学でも「障害」と名がつく講義はなるべく取ったのかもしれない。少しでも理解したかった。
どれが性格でどれが特性なのか、ずっと知りたかった。
けどわからなかった。

大学を卒業して小学校教諭になったけど、右往左往して結局「障害」と名がつく人と関わる支援員の仕事に就いた。
それでも、どれが性格でどれが特性なのか違いはわからないまま、職を離れることになった。

おまけに発達障害は脳機能の問題で親は全く悪くない説から、親の食事が原因説とか、色々聞いて混乱した。
どっちにしろ、私の親が私たち子どものことを物凄く考えてくれることは知ってるし、だからこそ悩んでたろうし、今も悩んでいることも知っている。
だからずっと「ごめん」って思っていた。

別にあの言葉を母が気にしていないことも知ってる。
謝れば許してくれることも知ってる。
ただ、自分の申し訳なさは拭えないのだ。

もしかしたら、私が障害について勉強したのも、関わる仕事をしたのも、「障害者」の言葉1つで偏見持つ人たちが許せないのも、罪滅ぼしなのかもしれない。

「育て方が悪い」なんて心無い言葉を
誰からも聞きたくないのかもしれない。

私の人生、人から見たらどうかなんて知らない。
教員辞めたこと、もったいないと言う人もいた。

けど私は後悔していない。辛かったことは全て幸せになった。辛かったことがあるから、あるものを大切にしたいと思えた。
弟のお陰で今の人生がある。

人生唯一のこの後悔は、私に何をさせたかったって
「勉強したら違った!お母さんの育て方が悪かったんじゃなかったよ。ごめんなさい」
って言いたかったんだよね。たぶん。
未だにこの答えにはたどり着かないけど。たぶん一生わからない気がする。

けど私が出した答えはある。
「何の診断名がついていようが1人の人間で、1人1人違って当たり前。特性は参考にしかならない。障害があってもなくてもみんな違う人間。診断名が同じだから関わり方が全て一緒で良いなんてことはない」

弟がアスペルガーだろうがなんだろうが、弟は弟として、1人の人間として接したい。

もはや申し訳なさがなくなっても、この世から差別や偏見をなくしたい。
みんな違っていて当たり前の世界だったら「育て方が悪い」なんて言うことはなかったのかな。
せめて私が見える世界だけでも、「違って当たり前」になってほしい。
そうしたらみんな生きやすくなるのに。

あの時の後悔を未だに引きずっているのは、
この気持ちを忘れたくないからかもしれない。


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