②「死ねって言っていいんだよ」そう言ってくれたのは、臨床心理士の先生でした。「ああ、私も怒ったり、悲しんだりしていいんだ」と気づきました。

うつ病になると、ずっと自分のことを見ていてくれる人の存在が不可欠だと思います。

小学校のときにクラスで飼っていたメダカに「観察日記」をつけるように、日々の私の変化を第三者目線で見てくれるので、「よくなってきた」「今日はちょっと気持ちに犯されているね」などと、些細なことに気づいてもらえるからです。

今朝、とても衝撃的なことが起こりました。クライアント先からメールで辛辣なことを言われました。

私の仕事内容を超える範疇で、「信頼性に欠けると思うので、当社以外の仕事でも気をつけた方がいいと思います」と言われ、それを見た瞬間、私は泣き崩れました。

まだ年齢の若い私を育てようとしていたのかもしれないし、ただ自分が気持ちいいから言った言葉のようにも聞こえました。

ただ、今の私にとってはそれがただのいじわるに聞こえてしまうのです。

「完璧にできなかった」「本当はできることだったのに、なぜこんな凡ミスをしたのだろう」と朝、ずっと自分を攻め続けました。

そばで見ていた恋人は「それはピカペンちゃんの仕事の範疇じゃないから、気にすることない」「そんな強い口調で攻撃してくるやつとは仕事をしなくていいよ」と言ってくれましたが、完璧主義の私は何よりも自分のことが許せなかったのです。

3時間ほど大声で泣きわめきました。

しかし、昔の私と比べるとこの「大声で泣きわめく」というのは成長したことのように思います。これも恋人が教えてくれました。

昔の私は嫌なことやストレスを感じても、態度や口には出さず溜め込んでいました。よくテレビや雑誌で「ストレス発散方法」などが特集されていますが、そういったリラックス方法を聞いてもピンと来ないくらい、自分のストレスを逃すということに疎かったのです。

泣きわめくでもいいし、叫ぶでもいいし、暴言を吐くことでもいいと思います。少し、言葉が強いですが、極端に言うと私は「死ね」と言えるようになりました。少々荒いかもしれませんが、感情に素直になることで、少しだけすっきりすることを覚えたのです。

「死ねって言っていいんだよ」そう言ってくれたのは、臨床心理士の先生でした。「ああ、私も怒ったり、悲しんだりしていいんだ」「相手を怒らせたとしても、付き合う人間を選んでいいんだ」と気づきました。喜怒哀楽のうち、特に怒ることと、哀しむことが苦手です。できるだけ円滑にものごとが進められるように自分に我慢をするように強いてきたのは紛れもなく自分自身だったのです。

完璧主義の人間は、感情においても相手に対して完璧でいようとします。でも、自分の感情をあらわにできないということは、自分自身への大きな大きな負担になると思います。

今日は気分が沈んでしまい、あまり動けませんでした。今日は確定申告だったので、書類提出を済まし、カメラマンさんに電話を1本して、今カフェでゆっくりしながら、ふと思ったことを文章にまとめているのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?