仕事はあるのに末端までお金が行き渡らない理由の考察
こんにちわ。ぴくむんです。
私は、国から実生活で役に立たない学問ばかり教えられ、「系統的に現代社会で役に立つ学問がない」、研究は学問の醍醐味であるにもかかわらず「大多数の人は研究をする機会がない」ことが気に食わないので、国なんてあてにせずに、自分の力で「実生活に役に立つ学問の確立」することや、研究の醍醐味を知ってもらうために大学に行かなくても「誰でも研究できる環境の整備」する活動をしています。
この記事では、「実生活に役に立つ学問の確立」の一歩として、「中抜き」ついて論じてみました。
それでは、よろしくお願いします。
以下、本文。
世の中には、「中抜き」という言葉がある。日本で横行していると言われ、コロナがきっかけで、自分の目にも見える形でニュースなどに現れたりしている。コロナで不景気にも関わらずとお偉いさんが絡んでいる人材派遣会社が爆儲けしたとか、オリンピックであれほど税金をかけているにも関わらずショボいオープニングセレモニーをかましたとか。すべて「中抜き」が絡んでいると言ってもいいだろう。
最近アニメの映画を見る機会があったが、スタッフロールに外国人の名前が目立つようになってきた。ある時、岡田斗司夫がその事について語っている動画(1)があったので、簡単に要約する。
アニメ業界は、世界中から投資を受けているのに全く現場にお金が支払われない。そして、ただ仕事の数だけは増えるだけ増えているにも関わらず、現場に人も集まらない。それはどうしてか。これは構造に問題があると彼は指摘する。
アニメは製作委員会という方式を取っており、アニメを作るたびに会社な様なものを設立する。そして、絵を作る人、音声を作る人、グッツを作る人など、様々な人がお金を出し合う。お金を出した比率に対して権力が分配されるということである。その様なスタイルが常態化し、現在も似た様なメンツが似た様な感じで作られるという。
さて、ここで日本のアニメは世界から注目を集める様になり海外のお金が入ってくる様になった。しかし、製作委員会スタイルではお金を持っている人間が権力を持つスタイルなので、外国のお金が多くなると今まで持っていた権力が弱くなってしまう。そこで、製作委員会に入れることができるお金の上限を設定するという手法をとった。こうする事により、「いくらお金を持っていようが、上限があるので買えません。よって、権力は今までとそんなにそんなに変わりません。」となり、既得権益は守られる。
これによる弊害は、お金はあるのでたくさんの製作委員会が生まれる。しかし、一個あたりの予算は少ないので、現場に支払われるお金はほとんどなくなってしまうのだ。
以上のプロセスを経て、市場には単価の安い仕事がいっぱい出回るという。
これもある意味では「中抜き」と言っていいだろう。本来集めるところにお金が集まらずに、自分たちの取り分を多くするためにあえて変な縛りをつける。
つまりは、既得権益のためにやっているのであろう。
我々がここから学ばなければならないのは、世の中の多くのおっさんは生産性と報酬が見合わない体系で働いているということだ。日本という国は、それを良しとしてきた。なぜなら、この様なシステムは若いうちに苦労しておけば歳をとって不労所得のようなものがもらえるシステム(以下中抜き不労所得システム)だからである。昔のことわざにも、「若いうちは買ってでも苦労しなさい。」という言葉がある。ある側面を切り出せば、この様なシステムが成立しているからこそ言えた事なのかもしれない。
しかし、グローバル化が進んできた今自体は深刻である。日本はこの様に正社員中抜き不労所得システムを採用しているがために、プロジェクト事に解散されられるプロジェクトシステムに勝つことが難しいとされている。
昔はものや情報が溢れてなかったので、品質を貫くためにも、正社員中抜き不労所得システムに軍配が上がっていたのだろう。しかし時代はながれ、ものや情報が溢れる様になった。もはやAmazonの中華製品の品質はそんなに悪くない。そこまで、文句言う人もそこまでいないだろう。
この様な現代社会だからこそ、プロジェクトシステムの方が生産性に優れ、現場にもお金が行き渡るのかもしれない。
まだ、色々詰めるところはあるかもしれないが、我々はいい加減プロジェクトシステムの思考に切り替えていかなければならないのだろう。つまり、大企業に入ったから一生安泰という言葉は忘れるべきである。
明日会社が潰れても、次の日には自分でお金を稼ぐ術を持っている様な人物になるべきだろう。もちろん世界中からお金を集められる様な。
恐らく、既にアダルトコンテンツ業界はそのことを理解している。女優が海外でイベントをすることはそんなに珍しくないし、外国人を意識したコンテンツを販売している人だっている。
少し道から離れたので、本題に戻すとして
日本がこの様な有り様になっているのは、すべては昔の風習を壊すことを恐れ今まで同じ様な形で日々を過ごしてきたからだろう。バブル崩壊から約30年経ったが、今も平和に暮らしている。しかし、同じ様な過ごし方で31年目も平和に暮らせる保証がどこにあるのだろうか。
安全より安心を追求しては決してならない。先輩がバイトしてきたからバイトすればいい。先輩が大企業に入ったから大企業に入ればいい。その様な思考は、いずれどこかの世代が必ずババを引く事になる。
何か考えがあって、人の道理に背かない範囲であれば、たとえ業界から非難されようとも、人から貶されようとも、新しい方針を採用するべきだと私は思う。
その新しい方針が上手くいけばみんなが掌をころっと返して模倣してくる。もはやYoutuberをバカにする芸人なんていないだろう。みんな、カジサックの真似をしてYoutubeをやっている。
先駆者というのは苦労するものだと、本当に思う。上手くいかなければ馬鹿にされ、上手くいったらその道を平気な顔して歩く。それが世の常である。
しかし、先駆者というが居なければ、その系全体が滅んでいた可能性だってある。そのギリギリのバランスを保ちながら、我が国は現存しているのだろう。誰にもわからないがあの時幕末の英雄がいなければ、日本はどうなっていたか。もしかしたら、滅んでいたかも知れない。
最後に、今のおっさんたちはもう考えが凝り固まってしまい既得権益を享受しているのでその力を借りることは不可能である。あるのは、罵声と苦笑と非難だけである。しかし、それに負けて新たな取り組みをやめてしまったら、もう次はないかもしれない。
だから、先駆者を目指すものは頑張ってくれ。
俺もちょっとは頑張るから。
以上。
いかがだったでしょうか。
「中抜き」の言葉は、非常に嫌われているとは思いますがそれとは同時に新規参入を防ぐという効果もあると思います。それが日本流であり、日本を守ってきた一端を担っていた可能性もあるでしょう。だから手放しで非難するのは、だめだと思います。
しかし、今はグローバル化が顕著に進んでおり、もちろん日本もその流れに乗ろうとしているのですから、どこかで従来のシステムをアップデートする必要があると思います。
本文中でも散々述べましたが、アップデートすると言いた瞬間に非難、罵声が待っているでしょう。もちろんバランス感覚は非常に大事だとは思いますが、なるべくその様な声を乗り越えて、大きいことをしてみたいものですね。
いいね!コメントお待ちしております。あなたは「中抜き」についてどう思いますか。ぜひ考えをお聞かせください。
Twitter(https://twitter.com/pikum55)もやっているのでフォローしてくれた嬉しいです。
それではまた!
(1)https://www.youtube.com/watch?v=pounGDFPe98&t=0s
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