調子の良い悪いの判断について

新宿の公園近くのホテルラウンジにいます。緑がきれいで、他の人たちとも距離感や空調、すべてが快適です。沖縄から戻ってきて、自分のトレーニングもしっかりできているし、気持ちよく過ごせています。

調子が良いと感じられるその感覚は、とても尊い豊かなものです。自分の調子を、世の中の流れとしては、スマートウォッチなどで可視化できるような流れなのかもしれません。ですが、数値化などするべきではないと思っています。食べログの点数を見てから美味しく感じるようで、危険ささえ感じます。

躁状態(アッパーな気分)になって「自分は調子が良い」と思いこんでマッチョな思考になっていくリスクもあるかもしれませんし、その反対もあるかもしれません。ですが、調子というのは潮の満ち引き、波のようなものです。周囲、環境の影響を受けるのでその流れは単純化できないですが、でも、必ず流れがあります。「悪く(良く)なり始める瞬間」を掴めるように、自分を観察しつづけるようにわたしは心がけています。

いつも一定の温度で入っているお風呂を熱く感じるだとか、電車で隣に座った人に普段には感じない嫌な感情がわくだとか、ていねいに観察していけば、必ず兆候が見つけられます。どういったものが食べたくなるかだったり、色々なところにヒントが隠れています。

調子が良いか悪いかといった主観的な判断を、鳥の目で俯瞰的に観察していくという感じでしょうか。

ところで、そういえば先日、悪夢で目が覚めました。高校時代に付き合っていた女性に失恋して、数年、それをわたしは引きずっていたのですが、その相談をしていた当時の親友が、実はこっそりわたしが別れたあとに付き合っていたというトラウマに関する夢でした。夢の中で発狂して、叫ぶような声を出して目が覚めました。

目が覚めてすぐに「ああ、まだ自分は許せてなかったんだな」と。そんなふうに思いました。悪夢を見ると起きた後、憂鬱になるものだと思っていましたが、妙にすっきりした気分でした。無理やり消化しようとしていたものが、消化不良で残っていたことに気づけたような、そういう気分でした。

ボディワークをして、瞑想的(あるいは禅的)な生活を送ることで自己受容できて、トラウマから解放されて...と、そういう結果を期待する人もおられるかもしれませんが、なかなかそうはいきません。本当に少しずつ、少しずつ良い方向に向かっていくというのが実感です。その少しが、日々を随分と明るくさせてくれるのだし、それで十分かなと。そんなふうに思って、日々を過ごしています。

それにしてもこのラウンジ、気持ちがいいです。


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