見出し画像

僕の心を巣食っている「幸せジャンキー」に贈る

生きるの精一杯な日本人の一人であるぼく。

世界的に見て(一応)豊かで先進国である我が国には、日本国憲法第25条で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」が定めらているのにも関わらず、様々な理由で生きることに精一杯な人がいる。

あぁ、まさに僕のことだ。

健康で文化的な最低限度の生活すら困難な人が世界のどこかにいる中で、(一応)豊かな生活が保証されている筈の日本ですら、生きることが精一杯なのに、仕組みがあったところでどれだけの持続可能な社会を実現できるのだろうか...?

自分の意思ではない、外部によって作られた仕組みによって、変えられたライフスタイルについて行けずに「社会不適合」の烙印を押された気がしてしまって、精神を病んでしまっては、健康で文化的な生活なんて遠い遠い理想の世界の話になってしまう。
日々、色々な理由で自己肯定感下がりがちの僕にとっては、死活問題である。

SDGsの目標を達成するうえで企業や国によって用意された社会の仕組みの中であろうが、自らの意思で肯定的かつ積極的に行動を選択できるようにありたいと思うようになった。やらせれている気分は、ちょっとずつ自分の心を蝕んていく。


話は少し変わるが、
自分の生活の中に起こる些細なフラストレーションの反動が、どこか別のところで、サービスの利用の仕方に影響することが、僕にはよくある。その大体が、SDGsからは遠く離れた行動を選択する結果になっている。

ほんとに些細な例だが。

今、コンビニのコーヒーストローがなくなったり、レジ袋が有料化されたり、いろいろな仕組みが企業側の努力や取り組みによって提供されている。仕事やプライベートで嫌なことがあったとき、疲れているとき、どうしてもこういう取り組みは、自分ごとにならない。

「自分は幸せじゃないのに、この小さな利便性により保たれている幸せまでを取り上げないでほしい。」
とか思ってしまう。

こういう時、
小さな幸せを貪っている僕の中の「幸せジャンキー」が、自分の心を巣食っているのを感じる。

「これまじウケる。」くらいのノリで「今のまじSDGsじゃん。」って言い始めた友人。

SDGsって言葉が、今社会のどれだけの人に浸透している言葉なのだろうか。
この類の調査結果などを調べたことはない。さして興味もない。

ただ最近、身近にSDGsを感じた面白い出来事があった。

それは、某ファーストフードで友人が発した言葉

「今のまじSDGsじゃん。」

だった。

その某ファーストフードは、テイクアウトの際に用意してもらえるビニール袋が無料で貰える。
「手持ちで持っていけるから」と、ビニール袋の提供を断った際にその友人が発した言葉だった。

僕も友人も三十路近くのサラリーマン男性だ。
それにも関わらず、まるで若者の流り言葉みたいな感覚で、SDGsを口にした友人のその言葉が面白くて、「なんか、それいいな。」って返した。

その次にお会計した僕も、ビニール袋を断った。

友人のその言葉は、自分の行動が、何かしら将来の自分たちのためになっていることを端的に表していて、不思議と自分を肯定的ないい気分にさせてくれる言葉だと感じた。たった一言が、肯定のスイッチを押してくれるのって良いなって思った。
(無論、人によるかもしれないけれども。)

僕は今、他の友人とコンビニやファーストフードに行った時に、ここぞとばかりに「いや〜、今のまじSDGsだわ〜」って言っている。言い方にしてウザいことこの上ないし、言葉の使い方に対して頭悪そうって思われているのは否めない。僕も最初そう思ったから(友よ。すまん)。

でも、なんだかいい気分を得られるし、人類や地球にとってもいいことをしているらしいので、これでいいのだと思って使っている。

僕の中の「幸せジャンキー」に贈る。

なあ、これでいいだろ?

【参考】
目標12 つくる責任、つかう責任(https://www.ungcjn.org/sdgs/goals/goal12.html)
目標13 気候変動に具体的に対策を(https://www.ungcjn.org/sdgs/goals/goal13.html)
目標14 海の豊かさを守ろう(https://www.ungcjn.org/sdgs/goals/goal14.html)


■PILOT 公式Twitterはこちら
PILOT 公式Facebookはこちら

↓↓PILOT SDGs特設サイトはこちら↓↓

↓↓PILOT 企業サイトはこちら↓↓


この記事が参加している募集

SDGsへの向き合い方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?