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忖度から妥当への挑戦

きなちゃんが、ポエムをうたうぜ。

2019年某月、守秘義務があるし、具体的なことはこんなところで書けないけれども、そのときに置かれていた状況は最悪だった。

個人的に、関係者数十名による「違法行為」の渦中にいると思っていた。

色々調べて、専門家に聞き、確信した。
100%黒だな。

そう思って、証拠を集めた。メールと、根拠法文と、会議の録音。2ヶ月に渡って揃えたものだ。

「なんか、変なのに巻き込まれたな」

~気になったこと~

ただ、不思議だったのは、それが起こったこと自体ではない。

むしろ、起こって然るべきだろう。

古い法律にとらわれ、新しいことができないならば、国益にならない。矛盾する課題を解決するためには、むしろ必要なことですらあると思う。

必要悪で
不文律だ。

ただ、

「なぜ、自分以外の人達は違法だと知りながら従っているのか?」

聞いてみた。

まずは、超一流企業から嘱託として入った人と飲んだ。40歳くらいの女性だった。

「今から今以上の待遇のところに転職できない。逆らえるわけがない」

なるほど。まぁそれはそれで1つの人生だろう。

50代男性いわく、
「まぁこれは酷いけど、上がそう言ってるからやるしかないだろ」

まぁまぁ分かる。そういう仕組みだ。

キャリア官僚は偉くなること以外に生きる意味を見いだせない人もいるし、権力を持ってる人に忖度しないと、上に上げてもらえない。だから、ノンキャリから、所管の独立行政法人から、民間事業者から、すべての人が権力に従う。


でも、そんな中でも自分は?

~なぜ逆らった~


なんであえて逆らったんだろう?

自分だって、
自分の考えに自信を持ってるわけでもない。

正義感といえば、それまでかもしれない。
うーん。なんだ?他の人にあって、自分がないモノ?

「自分が、忖度力に欠けるのでは?」

でも、少し考えて違うと思った。

自分は、むしろ、忖度してお金をもらうことを得意にしてきたからだ。営業だったからな。

そして、色々考えて気づいた。

「あー、今回1ミリもメリットないからだ」

逆らってやめたって、転職先あるじゃん。
それより、逮捕されるようなことをして、親族を犯罪者の親族にしたくない。

忖度するメリットは1ミリもない。

他の人は、転職したところで、今より良い待遇で働けないんだ。大体、仮説は当たってた。そりゃあその組織でずっと働いてたきた人が、実力主義の世界にいって通用するわけがない。

あーやめよやめよ、バカらしいわ。

そう思ってからは早かった。

先手先手を取って、緻密に段取りを組んで、計画的に抜け出す計画を立てた。「違法なこと」に手を染める前に。

~煽り~

一連の脱出計画、

クッソ頭の良い人達を手玉に取る快楽もなくはなかったが、どちらかというと、何かに嵌められる可能性にヒヤヒヤした。

だから、できるだけ多くのシナリオを描いて、有事のときに勝てるように、ひとつひとつ潰してった。

ただ、ある日、衝動に負けた。今でも賢くなかったと思う。やるべきではなかったと思う。最大限、人事の超お偉いさんを密室で煽った。

「ははっだって犯罪じゃん!笑」

必要のない煽り。

ただ、これが、爽快だった。
スカッとした。

ははっどうにでもなれ!

って思って帰った。

最後の1ヶ月、超ウルトラエリートの直属の上長からは、全てを無視された。

毎日、笑顔で大声で挨拶を爽やかにしてやった。
その一連も最高だった。

新しい自分を発見した気分だ。

現場からは、みんな拍手をくれた。
彼らはやめないみたいだったが、一連、逆らえない人に逆らえないやるせなさはあったみたいで、みんな肯定してくれた。

こうして、年末、退職した。

~去年の今日~

2019年12月31日、退職のときに、思った。

これだけのことができたんだ。

自分の思う通りに生きてみようか???

今回、自分が従ったのは、法だ。

正確には、自分の気持ちだけど、法と整理して差し支えないだろう。

法は言い換えると「妥当」だ。
まぁ「正当」かは分からない。
犯罪でも、国のためになるかもしれないから。

いずれにしろ「忖度」を選ばなかった。

うーん、やってみるか?

「忖度から妥当へ」2020年のテーマだ。

2020年、親会社もない、権力もない、ただただ品質を求める企業で働いた。風通しが良かった。

まぁ、経営や上司や客に、そりゃあ多くは忖度をする。それはそうだ。扱いやすいイイコを演じた。
信頼されるために。

けど、肝心なところは、

主張した。

イイコが牙を向くように。
忖度しない。
上司より、客より、同僚より、妥当だと思う案でぶつけた。

物事を、人の言うことを鵜呑みにせず、
忖度せず、ファクトを読解し、自分の頭で考え、ガバガバにはメスを入れまくった。もちろん、否定するのは不和を生むことも分かってたから、コナンの「あれれ?」で、気づいてもらうように、あるいは、根回しして進めるようにした。

凄い力を生んでくれた。

これは使える。

仮説だけど、
高学歴ほど、周りのおとなの言うことに従って、誰かの正解に従って生きてきたのではないか?それで、大学や会社や政府の顔色を伺い、それらが良いとする回答を書いてきたのではないか?

だから、忖度が、国の中枢からどこまで根付いているのではないか?

でも、こういう生き方もあるんだな、って思った。

懐かしい感覚。
高校の総合学習の時間に、自分が自分のカラダを使って確かめたフルマラソンと栄養学。

そして、ICUでの学問の時間。

あれを思い出した。

学術機関じゃなくて、社会で、妥当を突き詰められたことが新しかった。

権威が求める正解を、鵜呑みにせずに、自分で考えてぶつけてやった。それで幾つか物事が動いた。

目に見える快挙はなかったけど、

最高の一年だった。

忖度して、誰かの人生を生きるときもあるだろう。

でも、妥当を突き詰めて、自分の人生を生きる手がかりを見つけた。

狙って手に入れたカード。

やってやったぜ。

散歩しながら

2020.12.31

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