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三大〇〇の一角を占める

実家から徒歩20分ほどのところ、
西新井大師に先日立ち寄った。
「〇〇大師」というのは、
ご存知の通り、かの弘法大師様が
開祖となっていたり、あるいは
祀られている
寺院の通称名だ。
大抵の場合は本名が別にあり、
西新井大師の場合は「總持寺」と
いう名前を持っている。

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立派な山門には、左右で阿吽の呼吸を
している金剛力士像がおわす。
彼らを横目に見やりながら、山門を
抜けると、これまた立派な本堂が
すぐに現れる。

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大師様というと、この西新井大師より
川崎大師の方が有名だろう。
初詣の参拝者数ランキングでは、
全国でも5本の指に入る。
西新井の方は、関東や東京に限ると
トップ10に入るというレベルだ。

「関東の三大師」というのがあるのを
ご存知だろうか?
川崎大師西新井大師に加えて、
もう一つ大師様があるのだが、
皆さんはどこを思い浮かべるだろうか?

これをサッと答えることができる人は
なかなかツウである。
答えは、佐野厄除け大師
かつてTVCMをバンバン流していて
知名度が高いこともあり、
「へー!」という反応が多かった。
実は30年以上、機会があるとこのネタを
話して来たのだが、念のためと思って
調べてみたら、実は間違いだったことが
判明してショックを受けている。

香取市にある、観福寺大師堂を加えて、
「関東の厄除け三大師」と呼ぶのが
正解だというのだ。
佐野厄除け大師の方は、「関東の三大師」
(「厄除け三大師」ではない)として、
青柳大師川越大師と共にその一角を
占めている、ということらしい。

いやはや、情報の裏取りをきちんと
しておかなくては、いざというときに
赤っ恥をかくことになる。
30年以上の月日を経て、知識の更新を
するというのは珍しい経験だが、
これで二度と忘れないだろう。

そもそも今日書こうと思っていたネタに
そろそろ入ろう。
この「三大師」を言い出したのが誰か、
正直なところ知らないし、分からない
のだが、推測はつく。
最も参詣者数の少ないところが言い
出した可能性が高い
のである。

一位と二位が非常に大きな地位を
市場において占めている場合、
三位争いから一歩抜きんでるために、
「三大〇〇」というのをでっちあげて
しまい、自らが三番手としてシレッと
名乗りを上げる。
でっちあげるというと言葉が悪いが、
もちろん何かしら明確な理由、
事実に基づく根拠が必要なのは
言うまでもない。

一旦、その理由、根拠さえ作ることが
できれば、堂々と
「うちは三大〇〇の一角!」
と胸を張って主張することができる。
そうすると、一番手、二番手と
肩を並べている印象を与えることが
可能になり、非常にPR力が高まる。


三番手が難しければ、
「うちは四天王の一角」
「うちは五大〇〇の一角」

でも構わないのだが、数が増えれば
増えるほど、自分のアピール度合いは
薄れるため、やはり「三大〇〇」に
収まりたいところ。

自分のところはそんな大手じゃないし、
三大〇〇に入るなんてとても無理・・
そんな風に思うかもしれない。
しかし、難しく考える必要はなくて、
最初は小さく始めればいいのだ。
自分の地元の「三大〇〇」から始めて、
やがて市区町村、続いて都道府県レベル
での「三大〇〇」へと成長すればよい
のである。
そう考えると、少しは気楽に取り組める
のではなかろうか。

とにかく、何らかの切り口を考えて、
「三大〇〇」で括ることはできないか、
知恵を絞ってみる。

そこから突破口を切り拓けないか、
考えてみる。
自社のPR力、発信力がグンと高まる
はずだ。





己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。