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「情報」社会から「情緒」社会へ

「IT」という言葉を初めて知ったのは、
まだ学生だった1995年頃だったと記憶
している。
Windows95が出て間もない頃、
これからは「IT」だと言われて、
見せてもらった本には
「Information Technology」 の略語
であり、「IT」がこれからの時代を
制する
と力強く書かれていた。

当時はまだピンと来なかったが、
あれよあれよと「IT」の波
いや津波が次々に押し寄せて、
世の中に情報があふれかえる、
そんな時代が到来した。

「情報社会」「情報化社会」という
言葉は、1960年代から既に使われて
いたとも言われ、少々言い古された
感がある。

とはいえ、その意味、定義が必ずしも
万人にとって明確な一致を見ている
とは言い難いように思われる。
上記のWikipediaにある記載を元に
しつつ、自分なりに定義するならば、
こんな意味合いになるだろう。

「ヒト」「モノ」「カネ」に加えて、「情報」が経営資源として利用できる価値を増大させた(あるいはさせていく)社会

経営資源というのは、
基本的に有限である。
希少性があると言い換えても良い。
だから、奪い合いが起こる
できるだけ良い資源を獲得しようと
皆がしのぎを削る。

「ヒト」「モノ」「カネ」については、
いまだに希少性がある状況には変化が
ない

しかし、「情報」については、状況が
変わっていると言えそうだ。

そう、「ChatGPT」等の出現により、
情報がいくらでも生成できてしまう
時代
に突入しており、希少性がある
と必ずしも言えない
のではないか、
そんな状況だからである。

情報をめぐるそんな状況を踏まえて、
東京大学名誉教授月尾嘉男氏が、
『致知』9月号の中で印象的な言葉
遣いをしている。

日本がこれから取り組むべきことは、情報社会の次を設定して人材を育成すること(中略)従来の情報社会は変わらなければいけない時期に来ている(中略)何を次に設定するのかについて(中略)私は情報社会から“情緒”社会へ移行すべきだと考えています。(中略)情報は持っている人が少ないほど価値がある。情緒はその逆で、知っている人が多いほど価値がある。

『致知』2023年9月号17頁

情報が爆発的に増え、その希少性が
失われているような状況にあって、
「従来の情報化社会は変わらなければ
いけない時期に来ている」

という問題意識は分かる。

ただ、その代わりに「情緒社会」へと
移行すべき
、とあるのが、今ひとつ
その真意を理解しかねているのだ。

「情報」に対して「情緒」という
ことで、キーワードとして語呂が良い
のは間違いないが、あくまでも
「情報」というのは「経営資源」の
文脈で語られるべきものだろう。
「情緒」が経営資源になるのか
それはちょっと無理があるのでは
ないかと思ってしまったのだ。

とはいえ、日本という国が、
あるいは日本人という国民が、
人間の心の機微に触れること
つまりは「情緒」というものを
非常に大切にし、それを生活の
中に溶け込ませることに長けて
いるという認識は同じ。

そして、その「情緒」的な文化を
世界に発信
していくことが、
日本の未来を拓く上で重要だと
いう指摘も大いに共感するところ。

経営学修士=MBA よりも、
美術学修士=MFA の方が、
欧米では人気となっているとも聞く。
下記の山口周さんの記事は、
もう3年も前だ。

「情緒」力アートを解する力
そういったものが、
これからの時代に益々重要性を
増していくことは間違いなさそうだ。


己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。