「会話」を用いる理由

3割くらい宣伝目的。
7割くらいで備忘録として。

なんで会話劇なのか、を書いておく。
現在、ハコベという団体を名乗って演劇創作を行っている。来年もやってくのか、ぼちぼち話し合わせねばならないのであるが……今は2本目「うれふ実」という作品を作ってる。というか本番前だ。
大学での卒業制作(中退してるけど)として後輩を巻き込んで演出したのが初めて。それからも演出をしつつ、戯曲も執筆するようになり……「演出」のみを行なうのは、その卒業制作以外に機会を設けもせず、これまでやってきて、不意に自分の演出ってどんなもんか?と思い、昔やったのを下敷きに京都小劇場で縁が生まれた水野はつねさんに依頼した。

演劇といえばなにを普通になにを想像するのだろうか?
比較的、足を運びやすいジャンルとしては2,5次元の作品が流行っている。そういった商業でなくとも関西の小劇場というのには京都は哲学や詩的なセリフで構成される抽象的な作品が、大阪では殺陣やダンスなどを用いた単純明快な楽しめる作品を20~40代が上演されている。兵庫は……よく知らない、元職場のあった県だけど。大人が団体同士繋がり、40~60代が健康的に会話を用いた演劇をしている気がする。すごいざっくりしてまして、いやちゃうし俺個人とかその周りはもっと……!と言われそうだが、それこそ僕個人が見聞きしてる範囲で言えばそんな感じ。

自分は会話劇をしている。
なんで、会話劇なのか……といえば大阪風のエンタメとかでは勧善懲悪の物語なわけだが、善悪を切り分けて、悪を切って捨てるような感じが否めなくて苦手。登場人物ごとに思想があって生きている。そこに上も下もないと思う。そんなことを考えてると、あるとき大阪の事務所に所属して商業に時々、小劇場で活躍するとある女優さんと出会う。そこからまた縁があって、演劇界の巨匠『岩松 了』さんの作品に触れ、さらに幸運なことにお酒の席をご一緒させてただく機会があった。
演劇界で言えば作・演出の岩松さんは知らないなら恥を知れというくらいに偉い人である。しかも、偉いだけでなく精力的に新作も作ってる。僕個人としては歴史的偉人であると同時に一線で戦うすごい先輩である。
が、日本で演劇鑑賞の文化というのはどうしてもマイナーな方になってしまい(文化的価値の敷居が高く感じられてるようです)、岩松了は誰ぞ? 俳優としてバイプレイヤーとしての活躍の面で見れば「あ、あの人ね!」となるような人である。僕もテレビ側から入ったファンなんですけど……

そんな先輩の作風の影響が強いのだろう。
岩松さんは静かな演劇を創る。台詞はどこか指摘で、日本語を用いて日本の話をしているのだが、どっか違う世界に連れてかれるような錯覚を覚える、なんとも艶やかな色のある戯曲を書く。だが、それは感性が豊かな人であったり、創作に携わって読解能力を鍛えていなければ、アンケートに「よく分らない」となるようなものを作っている。
憧れていると言いながら、集中の持久力が全然ない気質なので見てて混乱する、時々夢の世界に連れてかれる。初見で通して見れたことはないのだが、切れてもなお泣いてしまうし、感動して、それを噛み砕くため販売されてる戯曲を購入する。
それでどうにか理解出来たか?と思えるくらいなのだが、本人は答えを語ろうとしない。演劇に関わり大切なのは「考え続けること」らしいのだ。
エンタメのジャンルを苦手としてるのはサブカルやアイドルにあるような二次創作などの妄想などで、考え続けることはできるのだが、一旦作品として完結してしまいがちなところだろう。あまり○○と××が~~で良い!なら逆転したらどんな展開になるのか??とかいうのには興味がない。登場人物たちの関係性はなんなのか。作品を通して言えば、社会(現代)においてどんな事象を暗喩してるのか?という方が好きで、それを見せてくれるのが僕にとっての岩松さんなわけである。

演劇はどうしても見るに金が掛かるし、本番中拘束されるし、劇場なんてそう都合良くは身近になくて、少なくとも半日、場合によっては二日とか取られてしまう。そこへの価値の担保を金銭でもって推し量るのはナンセンスなのだが、それでもいろいろ観る側に負担を強いることになる。
で、あれば作品見て「楽しかった」「面白かった」「良かった」などで片付きがちになってしまうものは興味を惹かれないのだ。あくまで一個の到達点としての基準ではあるが、そこで完結して足を止めてしまうのは違う。
だからといって、京都の作風がどうなのか、となってくるが、これは取っ付きづらい……! そこまで頭が柔軟でないのもあるが、完成に丸投げし過ぎて表現者気取りというのも、お金取るわけで申し訳なくなる。

というわけで会話劇をするわけです。
癖のある若者たちや、僕より長いこと演劇に触れている大人とともに。
演出とクレジットしながら、他の事務作業もしてるので、いろんなところで板挟みになりながら……想像の余地があって、想像膨らむよう時々毒や違和感をまき散らしながら……

来週末、京都の東山です、よろしくお願いします。

生きる糧となります。喫茶のお茶代……ひいてはアレです、執筆のために頂戴いたします。つまり、ふへへへカフェインだ