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人は人を助けられない


うつ病を克服し、その永久にも思える鬱屈と茫漠とした死の気配から脱した人間。
おめでとう。本当に頑張った。
もしかしたら自分は頑張ってなどいないと言うかもしれない。 そんなことはない。
ただ生き抜いた。それだけでもう充分に立派だ。

しかし今回の話はそんなうつ病から抜け出した人間が陥りがちな親切心への忠告だ。

うつ病を運良く克服できた人間、良くも悪くも、まあ「うつ病になった」と言う事実は一生足を引っ張る未来永劫消えない傷跡であり、勿論最悪なのだが人間として一皮剥けた人間である。
そして幸か不幸か生き延びてしまった人間が陥る思考こそが『自分の様に苦しんでいる人を助けたい』である。

仕方がない。誰かを助けたいと考えてしまうのは仕方がない。自分は助かった。いや助からなかったのかもしれない。だがうつ病を超えた人間が誰しもが思う事は『もしも的確にアドバイスをくれて自分を助けてくれる人がいれば、自分はあんなにも苦しまずに済んだ。』だろう。

うつ病で苦しんでいる人間がいれば痛いくらいにその苦しみは理解できるし、見て見ぬ振りは出来ない。何とかして助けてあげたいという気持ちになってしまう。お節介かもしれないが自分があの時ああしていれば今頃なんとかなっていたのに!というアドバイスをしたくてたまらなくなる。

或いは助けられなかった自分への償いかもしれない。自分の事は助けられなかった。結果としては手遅れになった自分だけが残った。そんな事納得できない。だからこそあの苦しみを無駄にしたくない。自分の人生にあの苦しみがあった意味が欲しい。あの苦しみが無意味なものだったと思いたくない。ならば自分の経験と助かった手段をどうにかして人に伝え、人を助ける事で、自分の苦しみに意味を持たせたいと。

自分は後者だ。
しかしながら人が人を助ける事はできない。
誰もが無力感に打ちのめされる。
人は助かろうとしない、というのが正しいのかもしれない。

うつ病を治す手段は一つ、実に簡単な事なのだがいくら伝えようが叫ぼうが不思議なことにそれを実践しようとする人間はいない。

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私は遊園地にあるパンダの乗り物と同じなので、お金を入れると動きます。さ、お金を入れてぴんくチャンを動かしてみよう!今度はどんなえげつない動きをするかな??