消えたい欲望
呼吸が苦しい。
私はなぜこんな夜に、海沿いのアスファルトをひたすら走っているのだろう。
吐きそうだけれど、吐けない。
苦しいけれど、立ち止まることもできない。
まだ、まだ。
きっと、もう少し走った時に、
倒れそうな時に、何かが変わるかもしれない、なんて淡い期待があるのかもしれない。
走ろうが何しようが、世界は何も変わらない。
きっと残酷なまま。
でも、あと少しだけ。
本当に倒れるまで。
人は誰でも価値があるとかないとかそんなことは知らない。
そんなものは誰かが何かの都合で決めたことだ。
であれば、私などに何の価値があると言うのだろう。
私の命など。
私が消えたら、悲しむ人がいるって?
その人たちは、私を失ったあとの「かわいそうな自分」に涙するだけじゃないのか。
本当に私を愛しているならば、私自身が消えたいと願ったことに同意し、許し、消えることを助けてくれるのが本当の愛情じゃないだろうか。
結局はみんな同じだ。自分のことしか大事じゃない。
私自身がそうであるように。
もう記憶すらあやふやだ。
立て続けだった。家族にも、愛した人にも、友人にも、世界がひっくり返るほどに裏切られたと思った。
でも、それも私の錯覚だ。
そもそも、私は誰にも愛されてはいなかったんだ。
自分だけが、勘違いしていたのだ。
誰もが私を何かのツールとしていただけだった。
絶望などいらない。
私の生き方が間違っていた。
私も、私自身が誰かのツールとなり、誰かをツールとして生きる。
それでよかったんだ。この世界はそうやってなりたっている。
だから私も、そうすればよかった。
いや、本当は。
これからそうやって生きていけばいいのかもしれない。
それが「大人になる」ってことなのかもしれない。でも。
私は、そうしたたかにはなれない。
きっとまた、同じことを繰り返す。
優しくしてくれた誰かを信じ、誰かを愛する。
そうして「今度こそは」なんて、希望という名の絶望の道をたどる。
だから。
その前に消えたい。
具体的にビルから飛び降りるとか、海に飛び込むとか、首にロープを巻くとか、そんなことを思えば、恐ろしくて何もできない。
「死ぬ気になればなんでもできる」
そんなことを言う人もいるけれど、そんなのは本当に死の淵をのぞき見した人間にしかわからない。
死ぬことができるくらいなら、きっとこんなに苦しまない。
自分の中にある生への執着と、消滅したい誘惑。
気を失いそうになる。
ああ誰か。私をこの世界から消滅させて。
あらゆる人の記憶の中から、私の存在を消して。
全部全部。
恥ずかしいの、私の存在が。
「消えたくなったら、走ればいいよ。」
以前、誰かが言っていたのを思い出したから。
ただ、暗い道を走る。
消えたいけれど、消えたくない。
何に望みを託しているのか。
何かの漫画みたいに、今、目の前に愛する人が都合よく現れて、
「愛してる」と抱きしめてくれるなんてことは、
この世界にはありえないのだ。
私が消えたいことも、今心臓が張り裂けそうに走っていることも、
誰も知らないままなのだ。
それなのになぜ私は。
そうだ。口に出してしまえばいい。正直に。
どうせ私は消えるんだ。
「バカヤローーーー!!!」
「みんな、死んじまえーーー!!!」
ははは。
人に聞かれたら恥ずかしいよね。
走りながら。頭が変になった人みたいだよね。
でもいいんだ。
どうせ私は。
言え。口に出せ。
「死にたい。」
そう。私は今。
「死にたい、死にたい、死にたい・・・!!」
そう言いながら走る。
不思議だ。
今まで見えていなかった景色が見えてきた。
当たり前にある海や、レンガや、花や、船や、人が。
私は今まで何もない、ただのアスファルトを走っていたはずなのに。
ああ。
人が、人がいる。
家のそばのはずなのに、
会ったことも話したこともない人たちが、こんなにも。
私はそれでも続ける。
「死にたい、死にたい、死にたい・・・」
気づけば涙があふれていた。
そして。
「生きたい、生きたいーーー!!!」
と叫んでいた。
私はようやく立ち止まった。
もう、これでいい。ここでいい。
もう走れない。
その場でへたり込んだ。
涙なのか、汗なのか、わからないけれど。
流れ落ちる、あふれ出る。
神様、あなたは本当にこの世界にいるのですか。
倒れこむ私を、いつのまにか抱きかかえる人がいた。
愛していた、あなたが。
「ああ、見つけた!よかった!」
そう言ったあなたは、私と同じくらい泣いていた。
「・・・どうして?」
「どこにも・・・いかないでくれ。愛している。」
こんなことはありえないはずなのに。
また私は、思い違いをしていたのだろうか。
愛していた人?
違う。
これから、愛する人。
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