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2019筑波大学/国語/第二問(随想)/解答解説

【2019筑波大学/国語/第二問(随想)/解答解説】

〈本文理解〉
出典は杉本秀太郎「大文字」。京都の「送り火」を話題とした随想からの出題である。
1️⃣(線香花火) つい数日まえ、仲間にまじって日本海へ泳ぎにいった。…夜も浜に出た。気の利く人がいて、花火をどっさり持参していた。…がまの穂のように先の長いのは白い閃光を放って燃えた。十人余りが手に手に二、三本ずつそれを持ち、一時に火をつけて大きく振りまわしたとき、この火遊びはクライマックスだった。
線香花火のたばが、あとに残った。先ほどの白い閃光とは打って変わって、おぼつかない、こまかな赤い火の松葉が手もとからこぼれた。いつとはなしに輪になってにぎやかに騒いでいた仲間が、いまは三々五々たむろして、なかのひとりの指先に燃えている線香花火に見入っていた。「あっ落ちた」と誰かがいう。「惜しいな」。がまの穂花火の陽気な、はじけるような明るさに対して、線香花火の小さな火玉には、闇に気圧されながら辛くも抵抗しているような、受け身で、健気な感じがあった。花火が尽きたあと、「皆しばらく言葉少なに、砂浜に座っていた」(傍線部(1))。これは私が京都の人間だからにちがいないが、線香花火の火を見ているうち、五山の送り火をふと思い出していた。

2️⃣(バー船) そのうちに風がいっそう出て、少し肌寒いほどになった。浜に引き上げてある一隻の小舟のなかに、大勢座りこんで風を避け「バー船」などとたわむれて、手持ちのウィスキーを飲んだ。雲が晴れて、望に近い月があかるい。…軽口をいい合って、またにぎやかになった。とびとびの話題が舷ぞいにあっちに滑り、こっちにころがるにつれ、ますます談笑が起こり、「バー船」は砂の上で右に、左に、横ゆれをはじめた。「月はますますあかるく照っている」(傍線部(2))。

3️⃣(大文字/会話) 「今年の大文字は、どこで見るの」と横にいた一人が私に耳もとから尋ねた。「…君の昔の家から見た大文字、思い出すね」。その頃、彼は吉田山の東がわに住んでいた。火がつき始めて暫くはひどい煙で何も見えず、火勢が一気に上がると同時に、焔の立つ大文字が間近に仰がれた。「線香花火の火を見てると、大文字を思い出すけれど、「君はそんなことないか」(傍線部(3))」と私が尋ねた。「大文字の晩に、花火をしたのですか」と年若い仲間が聞く。「いや、そんなことはしなかった。あの火の色が似てるから…昔の記憶では、ちょっと横にずれてKの字に見えていた大文字の火の色、さっきの線香花火に似ていたな」。「昔のことをいうと、旧暦の昔には、十六夜月が東山に上るにきまっていたわけだ」と物知りな仲間が、あとをつづけてくれた。「魂(たま)を送る五山の火が消えたあとも、月夜であかるかった。魂は月あかりの中を夜見の坂をこえて帰っていった。萩の花を手折ったり、すすきの穂に袖を触れたりしながら」。…

4️⃣(大文字/思念) 今年の大文字の日は、まさか去年のようにぐずついた空模様にはなるまいな、どうか無事に火がともりますように、と私はしばらく心の中で思っている。大文字を見おわって帰るときの、何かしら気落ちと安堵とさびしさのこんがらがった気分を思い出している。今年の八月十六日は、送り火の消えたのち、やっとしてから、半月が空にうかぶだろう。「海辺の線香花火は、つもる年々の送り火の残映と思ってもいいが、今年の迎え火代わりと思っておくことが、落着きがいい」(傍線部(4))。この迎え火には、あかるい月が加勢している。月の助けのない送り火は、よほどあかるく燃えてくれるだろう。

〈設問解説〉
問一 「皆しばらく言葉少なに、砂浜に座っていた」(傍線部(1))とあるが、なぜそのようにしていたのか、述べよ。

理由説明問題(心情)。理由説明の形式を借りて、傍線に至る「場面」(S)での「心情」(M)を問うている。「場面」としては、火遊びのクライマックスであった「陽気な/がまの穂花火」から一転、三々五々に別れ、それぞれで「おぼつかない/線香花火」の火玉に見入っているところ(S1)である。その火玉が、闇に気圧されながら辛くも抵抗しているような様(S2)に、筆者は「受け身で、健気な感じ」(M1)を受ける。そうした印象は、その場にいる仲間たちにも、程度の差こそあれ、共有されたものであろう。花火が尽きたあと、「皆はしばらく言葉少なに、砂浜に座っていた」(G)(傍線)のである。
傍線の「行為」から直接読み取れる「心情」としては、慣用的に「余韻に浸っている」(M2)(→G)といった説明が適当だろう。だが、その余韻をもたらした「心情」とは何だろうか。それはS2M1より、闇に気圧されながらも抵抗し尽きゆく火玉に、運命に抗してそれに呑み込まれる人生の悲哀を重ね、惜別の情を抱いたのではないか(M1+)(←「あ、落ちた」「惜しいな」)。ここで、「火玉」と「人魂」の連想は一般的だし、後の「送り火」の記述からも無理はないように思われる。以上より、「S1→S2→M1+→M2(→G)」となる。

<GV解答例>
がまの穂花火の明るさから一転して、三々五々に見入る線香花火の、闇に気圧されながら辛くも抵抗して尽きゆくありように、人生の悲哀を重ね、惜別と余韻に浸っていたから。(80)

<参考 S台解答例>
華やかな花火の最後に残った線香花火が、闇の中でつつましく懸命に燃え続けていた火玉を落として消えたのを見、その美しさとはかなさの余韻に皆が浸っていたから。(76)

<参考 K塾解答例>
花火で大いに盛り上がったが、今は最後の線香花火さえも消えてしまい、うらさびしい気分の中で、楽しかった時間を名残惜しく思い、その余韻に浸っていたから。(74)

問二 「月はますますあかるく照っている」(傍線部(2))とあるが、この一文はどのような表現効果を持っているか、述べよ。

表現意図説明問題。傍線が、線香花火を終えた筆者ら一行が風を避け「バー船」に座りこんでウィスキーを飲み始める場面に続く、「雲が晴れて、望に近い月があかるい」(A)と対応して、「ますます」(B)となっていることに着目しよう。ここから、Aの記述の少し前に「線香花火の色を見ているうち、五山の送り火をふと思い出していた」(C)という記述があるが、それがBを合図に展開する「大文字」の話題(D)と対応することにも気づけるはずだ(C/A→B/D)。
Dの中で筆者は、「線香花火を見ていると、大文字を思い出す」と仲間(たち)に打ち明け、物知りな仲間が「十六夜月」に言及したのを承けて「魂(たま)を五山の火が消えたあとも、月夜であかるかった」(D+)と述べる。このD+は、「線香花火=送り火」(C)という連想を踏まえた場合、「線香花火を終えた後/月があかるい」(A+)という状況ときれいに対応する(C/A+→BD+)。以上の整理により、「傍線(B)は、Cの連想とA+の状況を承け、D+という記述に自然とつなぐ効果を持つ」とまとめることができる。
なお、「月の(ますますの)あかるさ」(B)を「バー船での場の(ますますの)にぎわい」などに安易に重ねてはならない。筆者は、「場のにぎわい」と無関係に、月があかるさを増す中、Cの連想にこだわるのである(ここで「あかるさ」は「連想」に寄与する)。そして、Bが表現上の合図となって、その沈思黙考を仲間と共有するのである。

<GV解答例>
線香花火から五山の送り火への連想と、線香花火を終えた後、雲が晴れ月があかるいという記述を受け、五山の送り火が消えた後、十六夜月がのぼり、魂を見送るという再度の記述の深まりに自然と接続させる効果を持つ。(100)

<参考 S台解答例>
仲間たちとにぎやかに酒を酌み交わす様子を明るく印象づけるとともに、満月に近い月のようすをさりげなく示し、筆者が線香花火の火から連想した五山の送り火についての月をめぐる話題が続くこの後の展開を導き出すはたらきをしている。(109)

<参考 K塾解答例>
飲み会が盛況になっていく様子と呼応した明るさを印象づけつつ、地上の騒ぎとは無縁な月を描くことで一区切りをつけ、明るさとは裏腹な「私」の感慨や、月と送り火の関係などが描かれる後の流れを用意するという効果。(101)

問三 「君はそんなことないか」(傍線部(3))とあるが、なぜこのように尋ねたのか、述べよ。

理由説明問題(心情)。理由説明の形式を借りて、傍線に至る「場面」(S)での「心情」(M)を問うている。「君はそんなことないか」と尋ねる(G)時の隠れた心情は、普通、共感を求めてのものになるだろう。「~という事情で(S)/共感を得たいと考えたから(M)(→G)」という型に定める。
その上で「場面」を整理するのだが、これは問二の解説でも言及した通り。みんなで花火を終えた後、筆者は「線香花火の色」から「五山の送り火」をふと思い出す(S1)。その後、筆者も含めた一行は「バー船」に移り談笑を楽しむが(S2)、月が明るく照る中、筆者は一人、先の連想をふくらませている(S3)(と考えられる)。それで横の一人が「今年の大文字は、どこで見るの」と尋ねたのを契機に(S4)、筆者は「線香花火を見ていると、大文字を思い出すけれど~(傍線)」と横の者に対し、その「連想」を話題に上げ(S5)、共感を求めるのである。以上より、「S2の中で/S1の筆者は/S3→S4→S5→M」とまとめる。

<GV解答例>
小舟で皆が談笑し場がなごむ中で、先刻の線香花火から五山の送り火を思い出した筆者は、その連想にこだわり、隣の人が送り火の話題を持ちかけたのを契機にして、自分の連想を話題に出し、共感を得たいと考えたから。(100)

<参考 S台解答例>
線香花火のはかなさから死者の魂を送る五山の送り火を思い出していた筆者は、同じ京都の人間でかつて一緒に大文字を見たことのある友人がその話題を持ち出したことで、彼も同じ思いを抱いているのかと感じ、送り火について話してみたくなったから。(115)

<参考 K塾解答例>
京都人として、はかなげな線香花火の色から、死者の魂を送る五山の火を連想していた「私」は、一緒に大文字の焔を仰ぎ見た思い出があり、今も大文字のことを尋ねてくる「君」にも、同じ感慨がないか確かめたかったから。(102)

問四 「海辺の線香花火は、つもる年々の送り火の残映と思ってもいいが、今年の迎え火代わりと思っておくほうが、落着きがいい」とあるが、なぜこのように考えるに至ったのか、説明せよ。

理由説明問題(心情)。「~残映と思ってもいいが(A)/~迎え火代わりと思っておく(B)/ほうが落着きがいい(G)」。Gとなる理由だが、Aにも理があるのを認めた上で、Bの方が状況・心情等を加味してしっくりくるのだろう。「線香花火=送り火」という連想のうち、「残映」とは「送り火→線香花火」であり、「迎え火」とは「線香花火→送り火」である。まずAの理については、傍線にも「つもる年々の送り火」とあるように、「京都の人間であり毎年のように送り火を楽しみに見ていると思われる筆者にとって、映像として焼き付いた「送り火」の面影が「線香花火」に重なり、そこから逆に「線香花火の色」から「送り火」を思い出した」、ということだろう。「そう」も思えたが(A+)、やはり「線香花火」を「送り火」の「迎え火」と見なしたいと改めて「考えるに至った」(設問)のだ。その経緯に何があったのか。
本文最後のパート(4️⃣)では、大文字についての会話(3️⃣)が終わった後、今年の大文字についての筆者の心情(期待)が記述される。ここから、「今年の大文字は去年のようにぐずついた空模様にはなるまいな(C)→今年の八月十六日(当日)は、送り火の消えたのち…半月がうかぶだろう(D)→(傍線)→この迎え火(線香花火)には、あかるい月が加勢している(E)→月の助けのない送り火は、よほどあかるく燃えてくれるだろう(F)」と抜き出せる。以上より後半部(B)の理由を組み立てると、「今年の送り火が去年と違い晴れた(C)/闇夜で明るく燃える中、魂を送り出すものであってほしいという気持ちが強まった(DF)/今夜の明るい月に加勢された線香花火がその迎え火になることを願ったから(E)(→G))」となり、この上にA+の内容を加え仕上げとする。

<GV解答例>
火の色の類似で線香花火から五山の送り火を思い出した筆者は、その連想が京都住まいで毎年のように楽しみに見る送り火の残映からくるように一度は思えたが、今年の送り火が去年と違い晴れた闇夜で明るく燃える中、魂を送り出すものであってほしいという気持ちが強まり、今夜の明るい月に加勢された線香花火がその迎え火になることを願ったから。(160)

<参考 S台解答例>
仲間たちの旅行先で夜の浜遊びを楽しむ中で、線香花火のはかなさに死者を送る五山の送り火を連想し、かつて見た大文字の日の天候が思わしくなかったことを思い出して、旧暦の昔には十六夜の月の晩に送り火が行われたことを踏まえ、満月に近い今日の月の力添えを得た線香花火が死者の魂を迎えて、半月の日に行われる今年の送り火が明るく燃えるように導いてくれるのではないかと思ったから。(181)

<参考 K塾解答例>
線香花火のはかなくも健気な火は、五山の送り火を見た数々の記憶を想起させるものだった。だが、今年の大文字の日の天候が心配だった「私」は、今年の送り火は半月の日で、月の助けはないことから、ほぼ満月の日にともった線香花火を、過去に結びつけるのではなく、月の加勢を得た迎え火と見立て、今年の送り火が明るく燃えてくれることを願いたいと考えたから。(168)

〈設問着眼点まとめ〉
一.場面把握→心情/「火玉=人魂」の連想。
二.「明(S1)/ますます明(S2)」→S1S2を繋ぐ。
三.「そんなことないか=共感」←場面把握。
四.「残映→M→迎え火」/間の心情(M)把握。

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