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「見られていると思って書く」というか、「見られることを前提としてその場所に書く」というか、そんな風になってからの自分自身のテキストを読んでみて、正直とてもつまらないと感じた。

何かの小説や物語に影響された変な言い回しをしていたり、比喩を多用して直接的表現を避けてたときの文章が良かったかと言われると決してそういうわけではないのだけれど。今改めて読み返してみて悪くはないと思ったし、むしろ惰性でほぼ毎日書いてるやつよりはちゃんと心に残る気がする。

自分自身の日記を読み返しているんだから自分が一番感情移入できるのは、まあ当然か。

ただ、なんだか毎日しあわせが足りなさそうで、前向きな言葉をひたすら嫌悪したり、きらいなものや勝手なルールのなかで窮屈に生きていたなあというのは反省する。

けど、ごちゃごちゃ考えてトンネルを抜けたのが今居る地点なのかもしれないので、それならその過去も無駄ではないと、今はそういう思考をする人間になれてよかったと思う。

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