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嫌いの変化

わたしは自分のことが好きではない。
ただ、大きらいではなくなった。(すごい進歩である)

それでも月1くらいの頻度で吐き気がするほど自分がいやになる。
ここにPMSとか加わるともうこの世の終わりだ。暗い海の中にいるみたいになる。

もう、こればかりはどうのしようもない。
(自分のことなんて好きでなくても生きてはいける)
それでも日常は続いてるからね。

ただ目の前のタスクを片付けることに専念するしかない。
(私の場合、考えることもめんどくさいという、どうにも人として問題ある人種なのがまたよくない)

目が覚めて1日始まるし、何もなくても夜になる。
お腹も空くし、気づけば眠れてる。
泣いて過ごそうがイライラして過ごそうが時は一定のスピードで通り過ぎていくのだ。
そう。私の意志なんて関係ない。
それがいいのかもしれない。
あきらめがつく。(まぁイライラすることなんてほぼないのだけど)


そのうち、こんな自分でもいいかなって受け入れられる日は来るかもしれない。

そのうち。

いつか。

きっと。

それっぽい言葉を並べてみたり。



なんだろね。
こんなわたしでも

「会えるとうれしい。元気になる。」

なんて言ってくれる人がいる。それも一定数。
不思議である。わたしを包む世界、なかなか甘めだよなーなんて。

みんなが笑ってくれれば見ているだけでハッピーなのは間違いないし、わたしも気分がいい。
本当は”わたしが元気にしてもらってる”が正解なのにな。

その中にずーっと居たからか、大きらいではなくなった。
こんなわたしでもいいんだって受け入れられてる。
(正確には受け入れるしかないくらいの言葉たちを貰ったからなのだけど)

ありがたい世界線である。









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