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葉子、と。



 卵白のように白い布に塗りたくられた緑色の砒素
  押し潰されたイチゴ! さあ眼を楽しませよう
               「美術 一九一〇」・エズラ・パウンド

 毎朝のシャワーの最後に波多野は軽石で両踵をこする。踵がすぐに白く角質化するマサルの、欠かせない日課なのだ。出しっぱなしの38℃のシャワーが背中一面にあたってひろがっていく。その感触も、毎日、踵を更新しているような気分もマサルは好きだった。
 左足、そして右足…。

 チノパンと桃色のセーターに着替えたマサルは散歩に出かけた。外はよく晴れていて時々冷たい風か吹いている。 風は、時々耳元で「ぐわん」という音を残したり、音もなく頬を撫でていったり。どちらもシャワーを浴びたばかりの顔には心地よいものだった。
 南に向かって歩き、突き当たりを曲がり西へ歩いていくと私立中学校の正門前を通過する。卒業式の立て看板が出ていた。中はしん、としている。
 波多野は唐突に中学の美術の先生だった木島先生を思いだした。あまりに突然だったので波多野は立ち止まり、思い出す「理由」を探した。
 例えば、あの日もこんな天気でこんな風が吹いていて、こんな気温だったのだろうか。あるいはあの日と光量がぴたりと同じなのだろうか。それともただ「中学校」「卒業式」という言葉が記憶の鍵穴にぴたりと符合したのだろうか。たぶんそうなのだろう、と波多野は詮索を止め、歩き出した。その日の思い出が次々と頭の中で展開しだしたからだ。思い出しながら散歩コースに選んだ禅寺の広い境内にひろがる石畳に歩みを進めていった。
 いくつもの塔頭の白い土壁がいつもと違う存在感で目に入ってきた。
 「白い壁」
 これこそ、だった。
 


「濁」
 
 木島先生は黒板にその字を大きく書くと、美術教室の生徒たち一人一人の顔をのぞき込むようにして全体を見渡した。
「これ、なんて読む?」
 誰も答えない。
「一年生だと無理かな」
「にごり、です」
 教室に波多野の声が響いた。
「そう。いま言ったのは誰?」
 波多野は手を挙げた。
「波多野です」
「君か。これが読めるのはエラいぞ。うん。」
 波多野は何がそんなに偉いのかわからなかった。「だく」と読まずに「にごり」と読んだからなのか。それともなにか違う意味でもあるのか。
「みんな、濁りのない色を考えてごらん」
 その問いは簡単なようで難しい問題だった。
「単に絵の具のチューブから出てきた色が濁りのない色ではないぞ」と、言う。さらに「色を混ぜたことが濁るということでもない」と。
「さあどうだ」
 先生はまたみんなを見回した。先生は長めの真っ黒な髪をオールバックにして、とても大きな眼をしていた。背が高く、肩幅がとても広かった。少しの沈黙のあと「そのことを考えながら風景画を画くこと」と、木島先生。
 それが課題だったのだが、木島先生の授業はそれが最後になった。
 木島先生は翌週から心臓の持病が悪化したために学校を休まれ、一ヶ月後には退職されたのだ。

 新しい先生は穴吹一郎という名前の、眼鏡をかけたとても痩せた男性で、目の覚めるような真っ赤なセーターを着て最初の授業に現れた。そして自分が木島先生の大学の後輩であること、木島先生はいろんな展覧会に入賞されたすばらしい「画家」であることを、まず生徒たちに説明した。そして白い布のかかった大きな絵を生徒たちの前に置いたのだった。
「この絵を見てください」
 それは全体に真っ白な印象の絵だった。
「これは木島先生がある公募展で入選された作品です。病気で学校を退職されるということで、学校に寄贈されたんです。これは日本画の技法で画かれた土壁です。君たちには濁りのない色を考えて、という課題が出ているらしいけれど、この絵が参考になればということでした」
 波多野は絵をじっと見つめました。画面のほとんどが白。上の方に銀鼠の瓦、画面のところどころに小さな「破れ」があって、そこから藁がのぞいている。絵全体が光っているようだった。

 次の瞬間、その白壁が前に膨らんでくるように感じた。
 …動いてる!…
 思わず前のめりになって絵に見入る波多野の耳に穴吹先生の声が聞こえてきた。
「ね、じゃあめいめいで画いてみよう」

 その時のこと、(画の壁が膨らんでくるように見えた事)をマサルはすっかり思いだしていた。
 その時は「濁りのない色」の正解がわからないまま風景画を提出したのだけれど、穴吹先生は「うんうん」といって作品を受け取ってくれるだけで「答え」は言ってくれなかった。その時は正解はない、というのが答えなのかと思ったものだった。

 木島先生が亡くなったと聞いたのは二年生の二学期で、膨大な数の土壁を描いた作品が残されたということだった。

 禅寺の塔頭はほとんどが白壁だ。その一つ一つを視界に入れながら波多野は木島先生の作品を思い出しながら歩いていった。すると同じ白壁でもずいぶん違って見えるのだった。
 土塁の上に立つ白い壁は雨に撥ねた土の色が裾にしみこんでいる。あるいは所々破れた白壁。また下が石垣の壁は透き通るような白。日陰のところは弱い白。
 やがて波多野は輝く白い壁に行き当たった。思わず立ち止まって見入っていると、壁が膨らんでくるように見える。
…これだ!あの画を見たときの感じ…
 石畳から砂利へ踏み出し、壁に手のひらを押しあててみました。ひんやりとした感触が伝わってくる。 
…光の角度か…
 そう思って空を見上げると、それを待っていたかのように雲が日差しを遮った。すると壁は小さな波をうっているように見える。
 波多野は立ちつくした。
 雲が流れて日が差し始めると、また白い壁がゆっくりと膨らむようだ。

 波多野は黙って散歩を再開した。壁が生きものであるはずはなく、自分の眼にそう見えてしまう何か…。なんだろう…。

 境内の順路を何度も曲がりながら歩いていく先々で白い壁に出会った。そして最後の塔頭の壁は陰気な影に沈んだ白でだった。位置から考えると一日中、陽光の当たらない壁である。藪椿のまっ赤な花が完全な形で壁の下に落ちていた。立ち止まったマサルは、半ば自分の行動の馬鹿さ加減にあきれながらその花を拾うと、壁にぎゅっと押し当てた。
 まるで「そうしなければならない」かのように。

 手を離すと花が落ち、白壁にかすかな赤い跡が残る。すると一瞬、その周りの白が明るくなり、さらに白くなったように見えたのだった。
 …濁りのない白?…

 後方の角から視線を感じた。振り返ると誰もいない。だけれどどこからか自分を見つめている視線、怖さとか厳しさとかではない視線を。
 波多野はゆっくりと壁から離れ、山門へ向かった。そして山門を出たところで立ち止まった。
 …あれなのですか…
 脚を止めたマサルは空を見上げた。

                            (了)

花信


 一月初めの小寒から四月末の穀雨までを八つの節気に分かち、その中を五日ごとに一つの「花信」を告げる風が吹く。合わせて「二十四番花信風」という。
                     …「漢語歳時記」興善宏…


 大宅さんが「綺麗な花が咲いてんねんけど。一緒に見に行かへん。すぐ近くやし」と葉子を誘いに来たのは、掃除も終わった午前十時過ぎ。花、と聞くと葉子はじっとしていられない。昨晩、湿った雪が降りしきっていたこともあって、二人は咲き出した春の花を点検しながら歩いていった。

 まず木瓜(ぼけ)の花。葉子には白地の縁を桃色を染めた丸い花びらが小さな陶器のように思える。
「昨日は雪やったけど、一昨日は霰(あられ)が降ったでしょう」と、葉子。
「そうそう、びっくりしたわよお。なんか冬の終わりって毎年荒れるわよね。鉢植えの葉っぱに穴が開くんやないかとはらはらしたわ」
「だいじょうぶやったん?」
「うん。なんとかね。あれぐらいだったらなんとか保つのね」
「木瓜の花なんて叩き落とされそうなぐらい可憐やのに傷ひとつないね」
 葉子は木瓜の花を覗き込みながらそう言った。
「強いわよね」

「だけど触ると…」
 そう言いながら葉子は花びらに触れてみる。
「とても柔らかいのよね。たしかに弾力はあるけど」
「あれも綺麗に咲いてる」
 大宅さんが指さす先にはレンギョウが鮮やかな黄色い花をいっぱいにつけていた。木瓜、レンギョウ、そしてその向こうで咲き始めた桜も雪や霰には負けていない。
 空は昨日から一転、よく晴れて空気が澄み切っている。ウグイスやツグミの鳴き声が時々響いていた。


 お目当ての花をつけた木は、いやそれは木というよりも井形に組まれた木枠に絡みつき、玄関前の空間を埋めつくした蔓の塊だった。塊の表面を房になった満開の白い花が覆い尽くしている。
「いやあ綺麗やわあ」
「ね、綺麗でしょ。何かに似てると思わない」
「うーん、藤に似てるけど…でもほんとにまっ白な花やね」
「ほらこれ見て」

 ツルの塊をかき分けるようにしてスペースが空けられ、蔓に長方形の紙片が金色の針金で結わえてあった。

  ハーデンベルギア  小町藤

 葉子は小さく声に出して読みました。
「こちらの村上さんがね、いつも花の名前を尋ねられるんで札をつけはったんよ」
「え、これ藤なの?」
「こういう花はなかなかないでしょ」
「初めて見た…だけど葉っぱは藤とは違うわよね」
 葉子は藤というと、まるでセットのように藤棚を想像するので、こんなふうにツルが無造作に重なっている姿が藤だとは思いもつきなかった。それにまだ三月。だけれど確かにこぶりな花の姿は藤だ。
 がらりと玄関が開いて、とても背の高い女性が表に出てきた。
「あら、おはよう」
「あはようさん。小町藤を見てもらおうおもて、ね」
「おはようございます。綺麗な花ですねえ」

「おはようございます。これも藤と同じでマメ科の植物なんですよ。オーストラリア・タスマニアの原産なの。だから小町藤というのは日本でついた名前。確かに似てるし、それに紫のもあるの。だけど日本でいう白藤ではないのよね」
「葉っぱが違うとおもいました」  
「まあよくご存じ」
「だけどこの小ぶりなのがいいわよ。藤は垂れ下がるとなんだかおどろおどろしくて。私はこっちのほうが好き」と、大宅さん。
「あれはあれで豪華やけど」と、葉子。

 よく見ると根元の方は藤と同じゴツゴツと太くなっている。
「毎年、冬を越せるかなあって思うんやけど、今年も咲いてくれました」
 三人でしばらく花の前で佇み、あれやこれやと花談義をしたあと、と二人は町内に戻ってきた。今度は五月。大宅さんが初めて植えたシャクヤクがいっせいに新芽を噴き出していから楽しみにしててね、との事。
「あーそうそう薔薇も咲くしねー」
 振り返りながら大宅さんはそう言い残して帰っていった。


 さて、家に帰ってから葉子は「白い藤」という言葉が記憶のぼんやりとした霞の中に引っかかっていて、それが何なのか思い出そうとしていた。思いだしたのはPCを開いてメールをチェックしている最中。それは確かにネットの掲示板で見た言葉だった。葉子の好きな歌手のサイトでのこと。

…白い藤をご存じの方、教えてください…
 という書き込みがあり、すぐさまいくつものレスポンスがついたのだった。すると
…ちょうど今頃咲く、もう少し小ぶりな花なんですが…
 との書き込み。どうやら歌手には思い出の花であったらしく、名前が知りたいとのこと。だけれどそこで応答は止まっていた。なにせその書き込みがあったのが三月。藤が咲くのは普通、五月頃だったから。三月に咲く藤のことは誰も知らなかったのだろう。

 …あれはこの花の事やったんやわ…
 書き込みがあったのが藤の花の咲く季節よりずっと早かったので、ずいぶん唐突だな、と思ったのを覚えていた。だけど小町藤ならちょうど季節もあう。だけどそのサイトはすでに閉鎖されている。メールアドレスすら残っていない。
 …今なら書き込めたのにな…


 夜、帰宅した亨にその話をしてみた。
「あの人、なんでサイト閉じたんやろ?」
「なんだかいろいろあったみたい。活動はずっと続けてるけど」
「ふーん。まあネットの検索は凄いからもう知ってるんちゃうかな。『白い藤』で検索したらひっかかるとおもうけど」
「そう思ってやってみたら『白い藤』だとハーデンベルキアはでてきいひんかったねん」
「ふーん、そうなん…。そうか、葉子は伝えたいわけなんやね」
「ていうか自分の気持ちだけのことなんやけど」
「そんなら画像付きでネットに置いておけば。ひょっとしたらその人が検索してみつけるかもしれないし」

 次の朝、葉子はもう一度村上家を訪ね、ハーデンベルキア(小町藤)をデジカメで撮影。家に戻ってから画像付きでTwitterにアップした。亨のアドバイスどおりにハッシュタグをつけて。

…ご近所で咲いた、ハーデンベルキア、京町藤です。三月に咲く白い藤。普通の藤より小ぶりです。雪や霰をものともせずに咲きました。いい天気で、○○さんの歌を口ずさみながら散歩してました… 

 葉子は歌手が見てくれるということはまったく期待していなかった。ましてやメッセージが届くとは思ってもいなかった。
 三日後の夜。夕食のあとにPCを開いた葉子はメッセージを見つけた。

…三月に咲く白い藤、きれいですね。どこかにあるはず、と探していたんです。花信ありがとうございます。…

 ハンドルネームは「嵐が丘」の作者名になっていた。歌手のネームとしてファンのあいだでは知られている名前だった。

「亨さーん、花信てなにー」
「わからへーん」
 亨の声がお風呂から響いてきた。
                             (了) 

●「漢語歳時記」は興善宏さんによって京都新聞一面に2009年四月一日から2010年三月三一日まで毎日連載されていたコラムです。


アンダンテ


 乾いた真っ青な空が数日続いた。昨日も一昨日もジェット機は雲を曳かず、まるで空に浮かんでいるように見えた。風は強く、桜の花吹雪が鋪道のうえで旋回していた。夕方に西から飛んできた定期便のジェットが久しぶりに飛行機雲を見せてくれたのだけれど、まるでそれが合図だったかのように、天気は一気に急降下。その日は朝から雨になった。最近、噴き出してきた若葉たちはこの雨を待っていたかのように輝いて見える。 精気に満ちた美しい黄緑だ。桂の葉などはまだ小さいけれどハート型の輪郭はくっきりとしていた。


 澤田さんが亡くなった。
 再び体調を崩されて入院したのだけれど、路地の家に帰ってくる事はできなかった。
 娘さんが、一軒一軒訪ねて知らせてくれたのだ。家はまだそのままにしておくとの事。ただ「鈴木さんの椿」も木瓜の木もどうなるかわからない。世話をする人がいなくなってしまったのだから。
 

 そんな日の午後三時。葉子は首を廻しながらそれまで読んでいた文庫本をしおりを挟んで閉じると、立ち上がってお湯を沸かし始めた。ソーサーとカップとセイロンティーをテーブルの上に置くと、両手を上にあげて、「のびーー」と声に出しながら背中を伸ばす。読んでいたのはIRAのテロリストが登場する高村薫のミステリ。少し肩が凝った。
 人殺しの小説は余り好きではないのだけれど、この作家の描写力に強くひかれて何冊か読んでいる。

 しゅんしゅんしゅん。

 
 紅茶をいれ、砂糖も檸檬もミルクもなしでそれを啜りながら、ふと亨と自分のCDコレクションを確かめたくなった。
 小説にはいくつかのクラシックの楽曲が登場する。特にブラームスについて熱く語られていて、それは家にあった。確かめたいのはモーツァルトだ。ピアノ協奏曲第25番。小説の重要な登場人物にピアニストがいて、この曲を弾いていたのだった。だけれど例えば小説家が「哀しみ」と表現していても、その内実や深さをじかに感じたい。実際にその音楽を聴いた自分がどんな反応をするのか知りたくなったのだ。

 花村家にあったピアノ協奏曲は、アシュケナージで23,27。クララ・ハスキルで20,24。内田光子で26,27。
 25番はなかった。
 葉子はますます気になり出した。仮にCDを買うとしても、今月は火災保険の更新があるので家計にそんなに余裕はない。ネットでは様々なプレイヤーの盤が紹介されているけれど、試聴してみないとわからない。結局近くのレンタルショツプで借りることにした。

 気候が温かになったせいか、葉子たちの住む京都市北西部の有名寺院を巡る人たちが増えている。目立つのはお年寄りのカップル。トレッキングシューズにバックパック。穏やかな色のハットにパンツといったいでたちで、皆とてもおしゃれだ。葉子が路地へ出ると、まったくそのスタイルの大宅さんとばったりであった。レインハットに桜の花びらが数枚載っている。
「今からお出かけ?」
「ううん、帰ってきたところ。草津まで行ってきたねん」
「草津?滋賀県の」
「うん。サラノキを見にね。草津市立水生植物公園の温室。もう花が終わりかけで無理かな、とおもったんやけどなんとか見る事が出来たわ」
「サラノキって沙羅双樹のことでしょ」
「そうそう。ほんもののね。お釈迦さんが亡くなった時、四方に咲いていたのがこの木」
「そやけど妙心寺にもあるし真如堂にもあるし、いろんなお寺の庭園にあるし…。だいたい天神さんの縁日で苗木売ってますやん」
「それなんよお。それそれ。みんなそう思いこまされてるだけなんよ。それは全部、夏椿。インド、ヒマラヤ原産の木とは全然違うねん」
「まあお寺は『そういうものとみなして』ってのが多いから」
「それでも今日見てね、ちょっとこれは違いすぎやわ、と思ったよ」
「なんで」
「だってその花は星のかたちしてるんやもん」
「あ、それは夏椿とは全然違う…」
「そうでしょお。この木は日本ではここにしかないらしいよ」
「わあ見たかったな」
「来年いっしょに行こう」

 デジカメに写った「サラノキ」の花を見せてもらい、大宅さんと別れると、葉子はレンタルショップに向かって歩き出した。路面は桜の花びらがびっしりと雨に貼りつけられている。それを踏まないように避けて歩いた。
 …来年一緒に、か…
 葉子は、その来年がなくなってしまった澤田さんの事をふっと思いだした。澤田さんならなんて言うだろう。
 元々教師だったから『そうです。あれは椿です。平家物語に出てくる沙羅双樹ではありません』ときっはり言い切るだろうな。
 眼鏡をかけたきりっとした表情が思い出される。
 …さみしい…


 レンタルショツプには内田光子の25番があった。それを借りると家に戻り、音を流しっぱなしにして夕食の段取りをすすめていく。

 そうしながら葉子は亨が今日の妙心寺の南側に配達に行くといって事を思い出した。四月は大学の新入生が大勢、京都の街での暮らしを始める。大学近くに店舗を構える亨の店ではこの時期は繁忙期なのだ。テレビと電子レンジとスタンドと小型冷蔵庫、といったセット販売がそこそこの数がでるのだ。

 …たしか妙心寺にも「沙羅双樹」があった。サラノキのこと教えてやらなきゃ…

 ピアノ協奏曲25番はアンダンテになっていた。
…静かで、深くて、哀しくて、優しくて…
 葉子は手を止め、じっと耳を傾けた。 

                            (了)

●滋賀県草津市立水生植物園公園みずの森 はこちら
http://www.mizunomori.jp/

「サラノキ」も紹介されています。

●ちなみに釈迦が生まれたときに咲いていたというムユウジュは京都府立植物園の温室でも見る事ができます。

●参考CD
モーツァルトピアノ協奏曲第24番、第25番
 内田光子、イギリス室内管弦楽団、ジェフリー・テイト指揮

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