ヘッセの車輪の下を思い出して考えたこと。その1。

ヘルマンヘッセの車輪の下。いわずと知れた名著である。今回私はこの車輪の下についてちょっと前にマンガで読んだ。今日はその内容を思って書く。つまりまたしてもパラ読みである。
だいたいの内容しか覚えていないため、本質とずれていたらごめんなさい。でも独り言だから。いいよね。

テーマは親からの無償の愛。

早速テーマがでかい。

内容そんなたいそうなことは言わない。あくまで個人の見解をつらつらとかき、自己顕示欲を満たしていく。

主人公(名前忘れた)は、親から期待されて周囲に期待されてその通りの道を進んだ。時に追い詰められながらも試験に受かり、成績も優秀に過ごしてきた。その原動力の1つに両親に認められたい。失望されたくない。という気持ちがあったのではないかと思う。

親の期待に応えること。これって子どもにとっては時に世界の中心軸になることって全然ありえると思う。
期待に応えた報酬=愛情の図式から抜け出せない人って意外と多いのではないかと私は踏んでいる。たとえ大人になっても。
優秀な人でもいるのではないだろうか。期待に応え続けてそういう方程式から抜けられない人。

だけど大人になって挫折した時、急にこの方程式は崩れてしまって、自分を周囲に相手にされない、愛されないダメな人間、って思っちゃう人はいると思ってる。(偏見だけど)

私も人に嫌われ、失敗し、失望されるのをとても恐れている時期があった。とても怖くて、毎日自分に目をそらすことで精一杯であった。

しかし、母親がある日そんな私に"今までよくやったと思う。でも、私はヘタクソでもいいと思うの。だって頑張っていたもの。"と声をかけてくれた。嬉しかった。特にヘタクソでもいい。という言葉が嬉しかった。
そうか、ヘタでもいいのか。と思えた。すごく気持ちが楽になったし、その時やっとで自分の正直な気持ちと向き合う勇気がでた。

私は人は根本的に親の愛情なしには立ち上がれない人間だと思っている。自分にはなにもないと思った瞬間にそれでも手を差し伸べて、"あなたはあなたでいるだけでいい。"と言ってくれる存在が必要なのだと。
それに、その体験は早い方がいいと思う。疑うことを覚えてからだとすごく届きにくい言葉だから。

私はそうやって母親に手を差し伸べてもらった経験があつた。今でもその言葉は私の心に鮮明に焼き付いている。救われた瞬間だった。何も残らないと思っていた私にその言葉はとても深く刺さった。私はこの人を一生信頼しようと思えた。

"期待に応えられない自分でもこの人は受け入れてくれた。"
この経験がどれだけ人に強さをもたらすのか...親の無償の愛とはなんと人の人生にとって大きなものか...。(遠い目)

さっきも言ったけど、優秀な人、期待に応え続けられる人、っていうのはこの愛を受け取ってもそれを成果報酬だと思ってしまうのではないだろうか....。わからんけど。
だから自分の弱さを受け入れられず、燻らせて生きていくか、ずっとずっと期待に応え続ける人生を送るか、別のだれかから救われるのか...。

人生にはいろいろあると思うけど、私が自分を受け入れるきっかけは親の無償の愛を受けた瞬間だった。私はその時、本当の私のための人生が始まったと思う。

それくらいでかいものだと思ってる。親の愛って。大事だよ。受け取ったことしかないけどね、、。

親の愛は子どもの世界を救うという話でした(壮大かよ)

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