二十歳の原点をパラ読み大生の独り言。その1

高野悦子さんの二十歳の原点をパラ読みした。

なぜパラ読みなんてなめたマネしたことを文章におこそうとしたのか?それは、私が当時の学生運動をろくに知らない無学な大学生だからである。きっとこの本は当時の時代情勢を知らずして語れるような本ではない。彼女の手記のなかには確実に学生運動は影響を与えているからだ。だけれども、知らずして読んだ今の私なら彼女のことを時代を超えた普遍的な女子大生の目線で読んで拾えるかな、なんて思ったからである。

というわけで気になったとこだけ、好きなだけ、書いていく。これは備忘録なのだから私の好きなようにさせてもらう。


someoneがほしいといっていた。この人の考え方、すごくわかる。
誰でもいいわけじゃない。私のことをすごくよくわかってくれて、受け止めてくれて、私の世界にいても違和感のない誰か。それがsomeoneだと思う。
問題は、"私の世界にいて違和感のないこと"である。つまり、こんな人いないのだ。そんなの自分が作り出した幻想と妄想のカケラであってその人ではない。私にも誰にもみせない一面があるように、その人にも誰にもみせないあるいは誰もその人さえも気づけない一面があるのだから。
だけど、その空虚さに唯一無二で近しい存在。それが、好きでもない女を抱けるようなクズ男であることは往々にしてよくある。なぜ女の子はクズに引っかかるのか。それはきっと女の子への気持ちや関心がない彼らの空っぽな部分に女の子たちはそれぞれの幻影を投影させて夢を見るからだと思う。もともとないところから作りだされた幻想だ。そこに当てはめて夢をみることのなんと容易いことか。こうして空っぽに気づいたときには最高に愚かな自分に傷つき、あるいは幻影を握りしめて彼を追いかける、、まぁ、いろいろある。

すっかり話がそれてしまった。今日は疲れたからこれで終わろう。
ちなみに、わたしは引っかかって泣いたことなんてな、ないんだからっ!!!!(嘘くさすぎだが悲しい事実である)

ついつい夢中になってわけのわからないことを書いてしまった....。次回に続く。

#こじらせ女子大生
#二十歳の原点
#高野悦子



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?