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世界一周で自撮りを極めた女

「みくさんって、旅先で誰に写真撮ってもらってるんですか?」

世界一周の報告会や講演会で、よく聞かれたこの質問。

私はいつも胸を張って答える。
「自撮りです!!!」



26、27歳のとき、1年かけてバックパックでひとり、各国を周遊した。

中南米、ヨーロッパ、アフリカ、中東、アジア…… カラフルな世界は私の五感を刺激し、胸が高鳴る絶景にいくつも出会った。

そのたびに思った。
「この場所に来られるのは、人生で最初で最後かもしれない」

人間の記憶は儚い。どれだけ心が震えた瞬間も、時の経過とともに少しずつ忘れてしまう。

あの日、私はたしかにそこにいた。
その証を写真として形に残し、さらに自身が被写体として写り込むことは、大きな意味があると思った。

旅先で誰かに撮ってもらうことも、もちろんある。しかし、こだわりが強い私は、「ここぞという時」は必ず自撮りした。
そして、納得がいくまで何度もシャッターを切る。


ひとり旅の必需品は、ミニ三脚「ゴリラポッド」。

軽くてコンパクトで、3本の足をくねくねと自由自在に動かせる。段差や凹凸がある場所にも柔軟に設置できる優れものだ。

スマホ用のアダプターを外せば、デジタルカメラも装着可能。

ミラーレス一眼をゴリラポッドに装着し、冷蔵庫の取っ手に絡ませてみた


全身全霊を注いで渾身の1枚を撮る。それは私にとって、絶対に負けられない闘いだった。

自己満の極みである「自撮り奮闘記」を、いくつかシェアさせてほしい。


死海(イスラエル)

2016年12月。イスラエルのエルサレムからバスで約1時間半、死海西岸に位置する「エン・ゲディ」にたどり着いた。

ダウンジャケットが手放せなかったエルサレムに比べて、エン・ゲディはかなり温暖だ。

この地における最大のミッションは、「死海に浮かぶこと」。

エン・ゲディには1泊のみで、明日にはヨルダンに入国する。チャンスは今日だけ。

現地に到着したとき、時計の針は15時半を指していた。1泊4000円のユースホステルにチェックイン後、急いで支度をして死海に向かう。

10分ほど歩くと、ブルーに透き通った塩水湖が見えてきた。周辺は霧深く、なんだか吸い込まれそう……。

死海の海抜はマイナス約400メートル。「世界で最も低い湖」とされる。

急な斜面を降りると、誰もいない。湖岸には、白い塩の結晶がゴロゴロ転がっている。

空が明るいうちに撮影を終えなければ。
塩の結晶で覆われた岩に、ゴリラポッドの足をフィットさせ、セルフタイマー10秒を設定した。

撮影のアイテムに持参した、池上彰さんの本。

撮影前のウォーミングアップを兼ねて、恐る恐る湖に浸かってみることに。想像以上に水温が高い。そして……

ぽわーーーーーーん。すごい、本当に浮いた! 
死海の塩分濃度は、普通の海水の約10倍で、そのぶん浮力が大きくなるのだ。

指先についた水を舐めてみると、しょっぱさを通り越して、苦い。

よし、始めるぞ。
セルフタイマーのボタンを押したら、5秒以内に湖まで必死に走る。残りの5秒でプカプカ浮き、本を開いてポージング。
これがもう、とんでもなく忙しい!

納得のいく1枚が撮れるまで、このプロセスを延々と繰り返した。

ここでトラブル発生。慌てすぎて、盛大にこけてしまった。イテテテテ!

ゴツゴツした塩の結晶の塊にぶつかり、足の小指から少量の出血。まさに「命懸け」である。

1時間ほど奮闘した結果、なかなかに良い写真が何枚か撮れた。ミッションコンプリート! 

悦に浸りながら宿に戻り、塩でベタベタになった体をシャワーで洗い流した。

マチュピチュ(ペルー)

2016年5月。インカ帝国の古都クスコから、乗り合いバンに乗り、水力発電所(イドロ・エレクトリカ)に到着した。

ここから、通称「スタンドバイミ―コース」と呼ばれる線路沿いの道を歩いて、マチュピチュ村に向かう。

日が暮れると怖いので、2時間後の到着を目指すことに。緑が溢れ、川のせせらぎが聴こえる線路沿いを、ひたすらに進んでいく。

屋久島の縄文杉トレッキングを思い出すなぁ。

ゴミを拾いながら歩く欧米人のお姉さん

トンネルをくぐった先に、マチュピチュ村があった。

マチュピチュ村

日本の温泉街を彷彿とする、どこか懐かしい雰囲気に包まれている。

夜、宿からほど近いマーケットで、店員が「インカのシンボルだ」と自慢げに語るネックレスを購入した。明日、マチュピチュ遺跡で付けよう。

インカのシンボル

翌朝5時。宿を出発して、バスでマチュピチュに向かった。現地に到着すると、観光客が長蛇の列をなしている。

係員に入場チケットを渡すと、なんと日付の予約を1日間違えていたことが判明。なんとか処理をしてもらい、無事に入場できた。ふぅ、焦ったー。

マチュピチュ遺跡の周囲は霧に包まれ、なんとも神秘的。霧の向こうには、ワイナピチュ山が聳えている。

リャマさんが近づいてきた。かわいい。この子と一緒に写真が撮りたい。

リャマさん

地面にゴリラポッドを設置し、10秒のセルフタイマーボタンを押す。急いでリャマさんの隣に駆け寄り、そっと腰をおろした。

リャマさんはきょとんとしていた。

リャマさんの心境はいかに?

やばい、もうすぐ朝日が昇る。急がねば。

昨夜買ったネックレスと、グアテマラで購入したカチューシャを装着した。

遺跡の斜面には段々畑が広がり、その段差を利用して自撮りすることに。セルフシャッターを押したら、急いでポージング。無我夢中でシャッターを切った。

撮った写真を確認した瞬間、頬が緩んだ。
「勝った……!」

オレンジ色の朝日を浴び、霧がかった天空都市。その絶景をバックに、インカのシンボルを身に付け、満面の笑みを浮かべた私が写っていた。

ウユニ塩湖(ボリビア)

2016年6月。雨期がベストシーズンとされる「ウユニ塩湖」を訪れたのは、乾季真っただ中だった。

ウユニ塩湖の「鏡張り」は、世界の最たる絶景として名高い。だが、鏡張りが見られる雨季は、11月~4月ごろ。

「雨季には間に合わないかも」と覚悟をしていたものの、ボリビアの到着時期がここまでずれ込むとは想定外だった。

乾季のウユニ塩湖

なにより参ったのは、寒さだ。

ウユニの標高は約3700メートル。乾季は想像を絶する極寒で、ユニクロの極暖やウルトラライトダウンなど、所持している服を総動員して重ね着しても、手足は冷え切ったままだった。

ウユニ塩湖の撮影時、天候の良し悪しは運による。ベストなコンディションを求め、何日も延泊する旅人は少なくない。

でも私は、この寒さに耐えられそうになかった。たとえ天候が悪くても、「星空&サンライズツアー」と「1dayツアー」に一度ずつ参加し終えたら、ただちにウユニを脱出しようと心に決めた。

ウユニ滞在初日の夜、「星空&サンライズツアー」に参加した。

私以外のメンバー5人は、全員韓国人。彼らと共に乗り込んだバンは、広大なウユニ塩湖を走り出した。

その日は新月だった。バンから降り、空を見上げると、満天の星空! 天の川も見える。天気に恵まれてラッキーだ。

日本人や韓国人の鏡張り好きを熟知しているドライバーは、水が張っている場所を探し始めた。次第に明るんでいく空を、車内からぼんやりと眺める。

しばらくするとドライバーが、うっすらと水が張っている場所を探し当てた。凍てつく空の下、バンから降り、各々が撮影を始める。

私もセルフ撮影を開始。地面にゴリラポッドを置き、10秒タイマーを設定した。

オレンジ、黄色、ブルー、ピンク、紫……
水面に映し出された空のグラデーションが、鮮やかな輝きを増していく。

ジャーンプ!!

韓国人メンバーと

さすがのウユニ。壮観だ。

でも、寒すぎてもう限界。手足が凍えきって、もはや感覚がない。
撮影が終わると、みんな即座にバンへと逃げ込んだ。

街に戻ると、朝食にホットティーを飲み、サルテーニャを頬張った。

ティカル遺跡(グアテマラ)

グアテマラのフローレスという街を起点に、マヤ文明最大の古代都市遺跡のひとつ、「テイカル遺跡」を訪れた。

いまだ多くの謎に包まれたマヤ文明。その神秘に迫るべく、いざ、密林のなかへ。

奥深いジャングルをひたすら進んでいく。人気はなく、ゴリラポッドを地面に設置して、自撮りをした。

「遺跡探しに行ってきます!」の図

すると突如、巨大な神殿が出現。見事だ。『ドラえもん のび太の太陽王伝説』を思い出す。

神殿の前で自撮り

7 ~ 8世紀ごろに全盛期を迎えたティカルには、当時、5万人が暮らしていたらしい。

だが、9世紀ごろになると、マヤ文明の政治・経済・宗教の中心地として栄えていた都市国家は次第に衰退。10世紀ごろには文明が途絶え、奥深いジャングルで長い眠りについた。

いまだ多くの遺跡が土に埋もれ、修復作業が進められているのだそう。

歩を進めると、大きな遺跡を発見。しばし自撮りを楽しむことに。

穴から「こんにちは」
「ワタシハココダヨ~」(写真中央部に注目)

ジャンプしようとしたら、他の観光客が近くを通り過ぎた。急に恥ずかしくなり、慌てて「ただ立っている風」を装ったシーンである。

ただ立っているだけですよ~
「わっ!!!」

ジャンプ失敗。でも、なんだか楽しそう。

修復がされていない遺跡の方がラピュタ感があって、個人的には好きだなぁ。

クライマックスは、鬱蒼とした森の中にぬっとそびえる神殿を一望。映画「スターウォーズ/新たなる希望」のロケ地にも使われたらしい。

私が生きているあいだに、マヤの歴史の謎は解明されるのだろうか……。

インスブルック(オーストリア)

幼少期に抱いた夢のひとつが、「アルプスの山でハイジごっこをすること」。大人になっても、まだ諦めていなかった。

ハイジ原作の舞台はスイス。だが貧乏バックパッカーにとって、その物価高は大きな壁だった。

悩んでいた矢先、オーストリア人の友人が「アルプスの山なら、オーストリアのチロル地方も負けへんで〜!」と教えてくれたのだ。

2016年8月末、オーストリア西部の街、インスブルックの地に降り立った。

インスブルックには、ハイキングやトレッキングを楽しめるアルプスの山が点在している。標高2,334mの「ハーフェレカー」に、ケーブルカーとロープウェイを乗り継いで登ることに。

山頂に到着し、目の前に広がっていたのは、雄大なアルプスの山々が織りなす大パノラマ! どこまでも続く草原には、可憐な高山植物が生え、ヒツジやヤギたちがのんびり寝そべっている。

「スゥ~!」
澄みきった空気を吸い込んだ。

ハイジ感を少しでも演出するべく、山頂のトイレで白のワンピースに着替え、ポーランドで買った花輪を髪に装着(周囲のみんなはトレッキングウェア)。

よし、準備万端。
アルプスの山々をバックに、全力で自撮りに挑んだ。

「スゥ〜!」

恒例のジャンプ!笑

ワンピース姿でぴょんぴょん飛び跳ねる東洋人。「かなりやばい人」に見えただろう
ヒツジさんと

2時間ほど散策に夢中になっていると、ひとりきりになれる場所を見つけた。ここでランチにしよう。

平べったい石の上に腰を下ろす。バスケットに黒パンとチーズを並べ、水筒で持参していたヤギミルクを、カップに注いだ。

ハイジ風ランチ

草と土の匂いがする。ヒツジやヤギの首についた鈴の音が、遠くからリンリンと聞こえてくる。

ついに憧れのアルプスで、ハイジごっこをする夢が叶ったんだ。気づいたら、ちょっと泣いていた。

この胸の高鳴り、一生忘れない。そう誓って、何度も何度もシャッターを切った。シャッターの向こう側に、26歳のハイジがいた。



あのとき、あの場所に、たしかに私はいた。心が震える瞬間をとらえた写真たちは、一生の宝物。

でも、私が自撮り好きな最たる理由は、やりたいことを全力で楽しむ自分に出会えるから。

写真を見返すたび、「私、なかなかやるじゃん」とニヤついてしまう。自信作たちは、「これからも自分らしく生きろ」と、いつも勇気づけてくれるのだ。


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