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ちょっと今治で永遠を考えてみた

「劇場版 美しい彼 ~eternal~」を観に、愛媛県今治市までやってきております。これはただの日記です。

「劇場版 美しい彼 ~eternal~」3回、4回目を観ても最高オブ最高でした。副音声付きで映画を観るのはじめてだったんですけどこれも本当におもしろかった…!

作品の感想は別で書いてますのでご参照ください。

これはめちゃくちゃどうでもいい日記なんですが、
今、私の左手の薬指には、亡き配偶者の形見のカルティエのエターナル、ではなくトリニティという名の指輪があります。
カルティエのトリニティは、ホワイトゴールド、イエローゴールド、ピンクゴールドの3本の指輪が絡み合ったようなデザインになってる。それぞれ友情、忠誠、愛情という意味が込められているらしいです。週刊少年ジャンプのキャッチコピーみたい。
友情、忠誠、愛情かぁ…ひらきよにもピッタリじゃん…とか思ってるのでオタクは業が深い。
トリニティはなんか、すごい芸術家の人が自分の恋人に贈るための指輪を友達のカルティエにデザインを頼んだのが始まりらしいです。ちなみに芸術家もその恋人もカルティエも全員男性だ、というのも当時彼に聞いた。なんだそれ設定が濃すぎないか。

海外の高齢の男性の著名人が、しわしわの手にトリニティをつけている写真をみせてくれて
「僕も、歳をとったときにこんなふうになりたい」
と、彼は言っていた。30歳くらいの時だったと思う。
彼はとても、おしゃれで理想の高い人だったのでおそらくそうなるんだろうなと当時の私は思っていた。

彼の指は長くてとても綺麗だったので、カルティエの店頭でトリニティを左手の薬指につけた時、それはそれは綺麗でため息が出た。こんなに素敵だったら歳をとってしわくちゃの指になってもきっと似合うんだろうなって。

しかしすべてが思うほどうまくいかないみたいだってスガシカオも歌うくらい、人生というのはうまくいかない。特に私と彼の人生は。
なので、そのトリニティは彼の指ではなくて、今は私の指にある。私の指はスタイリッシュでもエレガントでもない。
しかもサイズがあんまりあってない。はっきり言って似合ってない。トリニティも話が違うと思っているかもしれないが、それは私も同じ気持ちなので許してほしい。

彼の形見は片手でたりるくらいしかもってなくて、実は私が身につけられるものはこの指輪くらいだ。
普段は指から外れそうになるのでトリニティを私がつけることはあまりないのだけど、なんとなく今日はつけてこようと思った。

大切な友達に会う、好きな映画を観に行く、好きな舞台を観に行く。そういう時、私はなんとなくこの指輪をつけたくなる。
理由はわからないけど、なんとなくつけなければいけないような気さえする。
先週、大阪に「劇場版 美しい彼 ~eternal~」を観に行った時もつけた。
何か素敵なものに出会った時、観たときにそのことを彼に教えたいと自然に思ってしまうのだけど、この指輪をつけようと思うのもそういう気持ちが関係しているのかもしれないなぁとなんとなく思っている。

実は今治としまなみ街道に彼と来たことがあって、今回来るのはそれ以来。たぶん12年くらいは確実に経ってる。
わかってくれる人もいるかもしれないし、わからない人もいるだろうとは思うけれど、好きな人と一緒に行った場所って、その人がいなくなった時点でなんか呪いの場所みたいになったりする。

https://note.com/piqepiqe/n/n47ae6af7d708


楽しい思い出しかないから楽しい場所なはずなのに、なんでその楽しいはずの場所にその人がいないんだろうということがしんどすぎて現実が受け止められなくて、その場所に行くと足がすくんで、よくわからない感覚にどうにかなってしまう。ゾッとするような、スンとするような、足元をすくわれるような、なんともたとえようがない感覚だ。動悸や息切れやめまいがついてくることもある。よくわからなくてとても怖い。人間はわからないことが怖い。
ホラー映画が怖いのもわからないからだ。
これこれこういう理由で、今からあなたをこんな風に呪いたいと思いますので心の準備はよろしいでしょうかって事前に言われたらたぶん怖くない。
ジェーン・スーさんが、人は不安より不幸を選ぶと話していた。なんかわかる。

私は彼が亡くなったとき、最初は近所のスーパーや本屋さん映画館にも行けなくて、どうしたらいいかわからなくなった。
彼とは職場が同じだったので、仕事をしながら毎日毎日吐きそうになっていた。彼が仕事で書いた資料やメモ、デジタルにもアナログにも確かに彼がそこにいた証拠のようなものを目にするたびにどわっと涙が溢れて、仕事の手が止まって、このまま息も止まったら楽になるのになと思っていた。

そのうちに一緒に出かけた場所にひとりで行くことができるようになったのは、私が自分で見つけた好きなものに会いにいくことができるようになってからだと思う。

https://note.com/piqepiqe/n/n2a04716277e6

その場所に行っても、動悸も息切れもめまいもしないようになった。
いい意味で感覚がどんくさくなってくれたのかもしれない。
彼と一緒に行った場所だけど、彼のいない思い出、彼の知らない思い出がふえるごとにどんどん私の感覚がにぶくなっていく。彼がいなくて辛いことよりも、楽しかったこと、嬉しかったことで心がいっぱいになる。

「劇場版 美しい彼 ~eternal~」の上映が今治でおこなわれると知った時、どうしたものかと2日くらいは悩んだ。この私が2日も悩むなんてすごい。

あの動悸も息切れもめまいも嫌だし、自分が車を運転してそんな状況になった時のことを考えるとめちゃくちゃ怖かった。
でも!!!!平良と清居をどうしても!!観たい!!大画面で!!!あのふたりを!!あの圧倒的な美に包まれたい!甘美な夢に行き倒れたい!という煩悩の方が勝った。煩悩の大勝利だ。すごい。
調子が悪くなるかと思ったのに、びっくりするほど健康で笑った。食欲もめちゃくちゃある。
行きの高速道路を運転していたとき、最初はとても緊張していて気がつかなかったけれどそのうち自分がお腹が空いてることにきづいて、途中に夜のサービスエリアでラーメンを食べた。ラーメンを食べながらちょっと泣いた。

思い出の場所の呪いに煩悩は勝つ。オタクでよかった。私にオタク属性がなかったらおそらく今の私は存在していない。
ひらきよ尊い…って飲み干したジンジャーエールをひらきよのための涙に100%還元できるくらい、今の私は強い。自分の思い出のために泣いてる場合じゃない。

私は彼のことを忘れたくないけど、これからもどうにか生きていくために、彼の記憶を思い出をいくつもの思い出で重ねてなぞってなぞって最初の線がわからわなくなるくらいにしたいと思っている。
お絵描きをするとき、一本の線でペン入れしたのより、鉛筆描きのいくつもの線が重なっている下書きの方がなんとなく綺麗にみえたりする。思い出もたぶんそんな感じだ。

私にとっての永遠は、私が生きている間に彼を思うことそのものだと思っている。

平良には平良の、清居には清居の、星野源には星野源の、私には私の永遠がある。
人それぞれに星の数ほどにある永遠のことを、今日も考えている。

「僕も、歳をとったときにこんなふうになりたい」
そんなことを思ってこの指輪を買った時の彼の中には、確かに未来があって、そこには確かに私も一緒にいた。それってひょっとしたら彼にとっての永遠みたいなものだった?なんて思うけど、本当はどうなのかもう知ることもできない。
彼の永遠ってなんだったんだろう。彼が思う永遠ってそもそもあったのかな、なかったのか。話しときゃよかったなって、「永遠とは」というよくわからない禅問答みたいなことを、先週に「劇場版 美しい彼 ~eternal~」を観てからずっとくりかえしている。

「劇場版 美しい彼 ~eternal~」
こんなにも自分の心のくっそめんどくさいところを掘り起こしていかないといけなくなる映画に出会うなんて思いもしなかった。平良と清居のふたりの物語に心震わせ、萌えたぎり、悶絶しながら、心のどこかで自分にとっての永遠について考えさせられ続ける。
墓穴を掘るという言葉があるけど、自分のお墓、それも古墳レベルのそれを掘っている気分。

どんな映画なのか気になる!という人はとりあえずお近くの映画館でまだ観えるとこがあるので調べてみてほしい。私はあなたの思う「永遠」が知りたい。


デザインユニット piqel&piqerm(ピケルピケルム)です。 読んでいただいてありがとうございます。 少しでも楽しんでいただけたらすごくすごく嬉しいです!! サポートしていただいたものは全て制作費用として使わせていただきます。