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「不安」 を、大事に抱えたまま生きる。

両親が、離婚した。
わたしが17歳のときの出来事。


「いつもお父さんとお母さんケンカしてたし、もうあの雰囲気の悪い家じゃなくなるんだ」

なんて、当時は“いいふう”に考えていたけれど、今、あのときのことを思い出そうとしても、よく思い出せない。

小さいころからのできごとは、けっこういろいろ覚えているのに、両親が離婚した周辺の記憶だけとっても曖昧だ。


きっと、そのくらいショックだったのだと思う。


わたしが幼いころから、両親は仲が悪く、そのことが日常だった家で育ったわたしは、「お父さんとお母さんは何で結婚したんだろう?」と不思議だった。


社会人になると、ポツリポツリと友人が結婚し出す。

「みんな、なんでそんなすぐに結婚できるの?」

わたしは、自分と友人たちには乖離があることを知った。


わたしは、絶対絶対離婚したくなかった。20代なんて未熟なうちに選んだ人となんて、将来どうなるかわからないのに、「結婚」なんてできない。
ましてや妊娠なんて…。間違いのないように、慎重に、慎重に…。


でも……あれ?
わたしの “いつか” は、 “いつ” くるんだろう…。


そう気がついて、わたしは「ぱぱとままになるまえに」という活動をはじめた。2011年2月。彼氏もいない、23歳のころだった。

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「妊婦さんのお話を聞いたあと、ワークショップをする会だよ」と、友だちに声をかけた。
はじめて開催した「ぱぱとままになるまえに」には、友人たちが15名くらい集まってくれた。

わたしが「いいな」と思った妊婦さんをゲストスピーカーに迎える。ママタレントとか、有名な人じゃない。“THEお母さん、THEママ”という感じの人でもない。

そのままの、 “そのひと” のまま、生きる人。

一般論で語らない。“そのひと”だからこそ語れることを語ってくれる人。

“そのひと”のことばを使って、話してくれる人。

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わたしは、結婚や妊娠、出産、子育てに良いイメージが持てずにいた。でも、そんな中でも、将来のことを考えると、「いつかは結婚したいな」と思っていた。

けど、 不安だった。


その不安を消したくて、じぶんの中のイメージを変えたくて、「ぱぱとままになるまえに」をはじめたようなところがあった。


だから、はじめて“ぱぱまま”をやったとき、「わたしがこの妊婦さんの話を聞いたときのように、今日をきっかけに、結婚って、妊娠って、出産って、子育てって、なんかいいかもしれない!ってみんなに思ってもらえたらいいな」と、思っていた。

参加してくれたみんなの感想を聞くと、

「今まで、妊娠とか、妊婦さんのことって、なんだか怖がってたけど、でもそれは知らないからなんだなって思った。」

「結婚っていいなぁって思った!」

「早く子どもがほしくなっちゃった!」

「今日の話を聞いても、まだ実感のないこともあってわからなかったけれど、それは自分がパパになったときの楽しみにとっておこうと思った!」

と、楽しげな感想を話す人たちの中、一人の友人の感想が目立った。

「わたし、こういう場(子育て系のイベント等)に参加したりすることがけっこうあって、興味あって、今日も来た。

けど、なんかずっと引っかかってることがあって……。

今、こうやって話してて気付いたんだけど、私、まだ、親になることが不安なんだな…。

 
この友人の感想を聞いて、わたしはガッカリしたのではなく、逆に、「“ぱぱまま”をやってみて、ほんとうによかったな」と思った。

周りに流されず、(私たちも“流そう”としない場を意識してつくるのだけれど)立ち止まり、「わたしはまだ、不安なんだな」というところに行きついた友人をかっこいいなぁと思ったし、その存在に勝手に励まされるような思いがした。

そんな、ここには書ききれないような、すてきな景色をいっぱい見させてもらって、 “ぱぱまま” はこれまで続いてきた。もう8年か。

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わたしはすっかり3歳のむすこの母になって、今、ここにいる。



周りの助けをもらいながら、じぶんの現在地を確かめ、じぶんのペースで歩んでいければいい。

「不安」は、悪いものじゃない。無理に消したり、なかったことにしたりしなくていい。

「不安」 を、大事に抱えたまま生きられる。

そんな社会になったらいいな。きっとそれは、一人じゃできないことだから。


ぱぱとままになるまえに、

考えよう。

ぱぱとままになるということ。


#こんな社会だったらいいな  

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