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親に背中を押してもらえるほどのものが欲しい。



久しぶりに1人で一日過ごした。

1人暮らしの部屋はやはり落ち着く。ご飯は出てこないけど。

今は誰といても、僕の仕事の話ばかりになる。僕の事を心配してくれているのはわかる。でも、正直もううんざりだ。僕だって普通の話がしたい。新作の洋服の話をしたいし、大阪で見つけたカフェの話をしたい。今日読んだ本の話をしたい。でも家でお父さんが口を開けば、僕の仕事の話。お母さんが口を開いても、僕の仕事の話。お父さんは厳しく、お母さんは優しく。でも、内容は同じだった。実家にいて、夜の散歩から帰りたくないと思ったのは初めてだった。


一番悔しいのは、自分の意見を何も言えなかったこと。

どの求人を見ても一緒なんだよ。何も感じないんだよ。何にも興味が湧かない。漫然とハローワークに行ってるだけなんだよ。営業向いてない気がするんだ。会社に入るのが怖い。今のまま会社を選んだら、前と同じ結果になりそうで怖い。なんでもいいから動かなきゃっていうのは僕が一番わかってるんだよ。どんなに退屈でもいいから、今日の職場での出来事なんかを話してくれよ。

喉元まで来た言葉たちはご飯と一緒に無理やり飲み込んだ。
ご飯を食べながらぽろぽろと涙をこぼしてしまった。僕のための言葉のはずなのに、一言一句がとても痛かった。いつもは美味しいとんかつが何の味もしなくなった。


意見を言えるほどの力は僕にはなかった。表に出せば、きっと否定されるに決まってる。きっとお父さんは僕を本気で心配してくれているからこそ、生半可な話や覚悟では納得してくれないだろう。何より自分が一番自信が無くて納得していないことを、両親に話なんかできやしない。親の目を気にしたくないとは思うけれど、結局僕の人生は僕1人のものではないのだ。

改めて自分が何もできないことを悔しく思った。誰かに引っ張られるようにしか生きてこなかった今までの自分を恨んだ。


・・・


いつもはYouTuberやアカペラの動画を見るのだが、今日は初めてフリーランスで活動されている方の動画を見た。

自己評価が低いと、そこが基本となってしまう。何もできない自分がベースとなるから、周りから見ればすごいと思うことでも、大してできていないと思いこむクセがつく。“できない自分でいること”がラクで居心地がよくなってしまう、というような話だった。

苦しいと思う今が自分にとってラク、というのは考えたことがなかった。

確かに、何かできるようになるために努力することから逃げているような気がする。自分がダメで何もできないと思いこむほうがラクだから。ダメな自分を盾にしたら、盾の裏は居心地がよかった。ダメな自分に酔っているというのは、こういうことなのだろう。


・・・


考え方を変えてみようか。

僕は今何もしていない。退職してもう二か月も経つのに。

でも、僕は生きている。生きられてしまっている。少しだがお金があるから。

二か月も何もしていないのに、家賃や生活費を払えるほどのお金があった。散々苦しみながらも、少しは貯金できていたという事だ。これってまあまあすごいことなのではないか。

他にも、自分が勝手に低く評価しているだけで、他人から見ればすごいことを気づかないうちにしているんではないだろうか。


会社を闇雲に探す前に、もう一度だけ自分と向き合ってみようと思う。

自分をもっとちゃんと見てあげよう。

会社員は楽しくなかった。みんなと同じように進んでいるのだから我慢しようと思った。努力はしていたが、自分が望むような努力はできなかった。

もう一度会社員に戻るのか、全く違う方法で働くのか、それはわからない。
でも、今度こそ、自分が望む形で努力したい。僕が自分で道を決めたい。親を安心させることはできなくても、背中を押してもらえるような姿を見せたい。


そうすれば、少しは生きる意味が出てくるかも。

もうちょっと、生きていたいよ。



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