週刊少年松山洋_タイトル_修正

スランプになんてなったことが無い

昔から嫌いな言葉があります。

【スランプ】という言葉です。

実際私はこの言葉を使ったことがありません。

いつの頃からだったか?

恐らくは小学生時代。

当時私は絵を描くクラブに入っていてそこにいた同級生が

“最近スランプで絵が上手く描けない”

ということを言っているのを聞いて違和感を覚えたのが最初だったような気がします。

スランプの意味は“不調・調子が出ない”です。

言葉の使い方としては決して間違えているわけではないのでしょう。

ただ、やはり私は違和感を覚えました。

スランプ(不調)の反対の意味は?絶頂?絶好調?

“では逆にお前は絶好調だった時があるのか?”

子どもながらにそう思いました。

子どもだからこそ、かもしれません。

“まだ何者でもなく伸び代しかない人間がこんなにも早く使っていい言葉なのか?それ”

これが違和感の正体。

結局その時の体験から現在に至るまでずっとその違和感は解消されることもなく続いていて、今現在も【スランプ】という言葉に対して潜在的に嫌悪感を持っています。

たぶん、ある種の“呪い(縛り)”のようなもので私個人の問題なので気にしないでください。

“え、オレ割と簡単にスランプって言葉を使ってるけど、なに?喧嘩売ってんの?”

ってな感じで喧嘩腰にならないでくださいね。

どんな言葉を使おうが個人の自由ですので。

ただ私は(呪いのせいで)この【スランプ】という言葉を使わない、というだけの話です。

生来、“自分の可能性を信じて疑わない”という性格から“俺の絶頂や絶好調はまだ来ていない。

というかたぶんずっと来ない。

俺はずっと完成しない。

常に進化し続けるモンスターであるべきなんだ。

だから【スランプ】という言葉は使わない。

俺は【スランプ】になんてなったことがない”って思ってる痛い奴の戯言です。

*****

さて。

普段からこういうことを言ってるせいか、周りからよくこんなことを言われます。

“なんでそんなに自分は正しいって信じられるんだ?お前は。その自信はどこから来るんだ?間違えることだってあるだろう?あっただろう?”

逆になかなか辛辣なご意見だなぁ、とは思いますが。

もちろん、間違えますし、間違えたこともたくさんありますよ。

失敗なんて毎日しています。

上手くいかない毎日ですよ。

その都度大いに反省して“次”に生かせるように繋げていきます。

ただ自分で自分を信じられなくなったら生きていけないでしょう。

私は自分自身を絶対的に信じています。

最大の応援者であり支持者は自分です。

『ザ・ワールド・イズ・マイン』という漫画に

“俺は俺を肯定する”

という言葉が出てきましたが、まさにソレです。

ただ、何度も言いますがそれでも毎日のように失敗はしますし、上手くいかないことを大いに反省はしていますからね。

ただ、後悔はしないだけです。

失敗したこともそれを受けてまた新たな経験から誕生する対策や秘策により更に強化されていく自分のことを信じているだけですね。

たぶん中学2年生(14歳)くらいからこの性格です。

人は一度、14歳で完成するんだと思います。

ベース(基盤)が出来上がるのは14歳。

そこから先は全部“足し算”なんだと思います。

40歳を超えてもずっとそれまでの経験は自分にとっての“足し算的プラス効果”しかないという感じです。

そう思っています。

おめでたい性格であることと、自分が完成したのが14歳で良かったなぁと思っています。

ここから先は、そんな私の【心の整理法】についてお話します。

おめでたい性格ではあっても、決して傷つかないわけではありませんし、ヘコまないわけでもありません。

ちゃんとしっかりダメージは受けます。

ショックな事があったり嫌なことを言われたり理不尽な目にあってどうにも出口が見つからなくて飲み込むしかない瞬間だってあります。

そうしたモヤモヤを心的に解消させるためにやっていることですね。

それでは【松山式・心の整理法】です。どうぞ。

スランプになんてなったことが無い

ここから先は

2,209字
この記事のみ ¥ 300

良かったらサポートいただけると嬉しいです。創作の励みになります。