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お酒の無い世界で生きていきたい

私はお酒が飲めませんでした。

20歳を超えて大学の先輩や仲間達と飲み会を開いては何度もお酒を飲むことに挑戦しましたが、やっぱり美味しいとは思えないし酔っ払ってすぐに潰れてしまう。そんな若者でした。

“飲み会の場でみんなで盛り上がっておしゃべりするのは楽しいけどお酒はやっぱり苦手だなぁ”

そんなことを考えながら過ごしていましたが、やがてそうも言ってられなくなってきました。

大学卒業後に就職したコンクリート二次製品メーカーで死ぬほど飲まされました。

もう今から25年ほど昔の話なので考えられないかもしれませんが、やはりコンクリート業界は異常なまでに“お酒の世界”だったのです。

“営業職は酒が飲めて当たり前”

“飲めない奴は役立たず”

そんな狂った風潮が当たり前の世界でした。

居酒屋で先輩と飲んでても最初のビールを“早くあけろ”って言われて飲み干すと、そのままビールジョッキに氷と焼酎を入れてロックで飲まされました。

もちろんすぐに潰れます。

潰れると“トイレ行って吐いてこい”って言われて、同期に抱えられてトイレで吐きます。

そこで“綺麗な吐き方”というのを教わりました。指を二本出して喉の奥に入れると綺麗にお酒だけ吐き出せます。

吐き終わるとまた席に戻されて先輩から“スッキリしたろうが?よし、飲め”と言われてひたすらに焼酎を飲まされて、また潰れるとトイレに行って吐かされます。その繰り返し。

これを5回ほど繰り返すと喉が(吐きすぎて)炎症を起こして血が出てきます。

それでも狂った宴は続きます。

気がつくと会社の近くの駐車場の車の中で同期数人で寝てることが多かったです。

目を覚ましたら急いで家に帰って着替えて遅刻しないように会社に戻る、そんな生活を3年ほどやってました。

本当にお酒が嫌いになりました。

特にこの時に何度も飲まされた焼酎。

これは九州独特の芋焼酎という焼酎で、サツマイモで作られたお酒です。

数ある焼酎の中でも最も癖があってにおいがきついと言われているお酒です。

スーツからこの芋焼酎の香りを感じる度に

“お酒の無い世界で生きていきたい”

そう思ってました。

実際、この頃は会社の飲み会や接待以外でお酒を飲むことは全くありませんでした。

プライベートで友人と飲む時も、ビールをコップ半分飲んだだけで顔が真っ赤になってすぐに潰れるほど弱かったです。なのでそれ以上は飲みませんでした。

それから。

きっかけがあって会社を辞めてサイバーコネクトというゲーム開発会社を作って独立することになりました。

お酒は嫌だったけどコンクリートメーカーの仕事は楽しかったし仲間達とも苦楽を共にしてきたので名残惜しかったですが、自分で決めた道なので。

コンクリートメーカーの仲間達と別れを告げて、ゲーム業界に私は入ってきたのでした。

この時、25歳。

まだお酒が弱くて嫌いで。やりたい事だけやっていければいいのに、といつも考えていた等身大の若者でした。

*****

ゲーム業界に入って最初に驚いたのは、びっくりするほどみんなお酒を飲まないということ。

そもそも飲み会がほとんどない。

あったとしてもみんなウーロン茶とかを注文する。お酒を飲まない。

ただ食べるだけ。

極端に世界が変わったことに最初は本当に驚きましたが、“あるじゃん!お酒の無い世界!楽園かよ。めっちゃ楽勝ー!”って思うようになりました。

それからはひたすらに仕事ばかりやってずっとゲーム開発を続けてました。

サイバーコネクトを作って4年。その後に私が社長となりサイバーコネクトツーが誕生して『.hack』が発売されて、いよいよ念願の集英社と仕事をすることになりました。

『NARUTO-ナルト-』のゲームを作れる事になったのです。

最初に手掛けたのは『ナルティメットヒーロー』。

定期的にバンダイのプロデューサーと集英社に通っては開発中のゲームを監修してもらいました。

ただこの頃の『ナルト』はテレビアニメも開始され数多くのライセンス商品が企画されていたので監修会にやってくるのは我々だけではありません。

トレーディングカードゲームやフィギュア、お菓子、タオル、シャンプー、ノートなど様々なメーカーが順番に集英社の会議室の外に並んで監修を待っています。

ようやく我々の順番が回ってきても、ゲームを確認してもらえる時間はだいたい30分程度。その中で多くのことを確認しなければなりません。

毎週のように集英社に足を運んで監修会に参加しても限られた時間の中では、当たり前の事しか出来ません。

私はもっと話がしたかった。

もっと言うと集英社の『ナルト』の編集担当ともっと仲良くなりたかった。そして岸本斉史先生のこと、これからのアニメやナルトプロジェクト全体の話を聞きたかった。

しかし監修会という場はライセンス商品の監修の場であり、それ以外の会話は許されませんしそんな空気でもありませんでした。

やがてチャンスが訪れました。

*****

12月に集英社主催の『手塚赤塚賞受賞記念パーティー』が毎年開催されています。

通称『手赤賞』と呼ばれるこのパーティーは本来その年にそれぞれの賞を受賞された若い漫画家さんの授賞式でありお披露目の場なのですが、年末に開催されることもあって業界関係者を数千人招いた忘年会パーティーという側面もあったのです。

パーティーが終わるとそれぞれの作品ごとに二次会が実施されます。

『ナルト』関係者の二次会には、テレビ局、アニメスタジオ、ライセンス商品を手掛けるメーカーなどおよそ50人くらいが参加します。

私もその50人の一人として二次会に参加しました。

もちろん狙いは編集担当。

なんとか近づいて仲良くなりたい!って思って参加しているのですがなかなか近寄れません。

50人も関係者がいて、みんな考えていることは同じなのです。

当たり前ですが、岸本斉史先生はこういったパーティーには参加されません。なのでみんな編集担当に近づいて少しでも話を聞きたい!って思っているのです。

そうなるとどうなるか?

自然と“潰し合い”が始まるのです。

50人で始まった二次会が、三次会になって移動する時には30人くらいになっています。その後の四次会で20人くらい。五次会で10人。六次会でようやく6人くらい。(ここまでで終わり。だいたい朝の6時くらいに終了)

参加者がお互いに酒を飲んで飲みあって潰しては、順番にタクシーに乗せて帰して少しずつ人数を減らしていくのです。

そして最終ラウンドの六次会まで残った人間がようやく編集担当と顔を付き合わせて色んな話ができるのです。6人くらいだと基本どんな店でも1つのテーブルについてますからね。

初めてこのパーティーに参加した年は私自身全く何も理解しておらず、速攻で潰されました。二次会が終わった時点でタクシーに詰め込まれて気がついたらホテルにいました。

その翌年も次の年も、なんとか喰らい付こうと頑張りましたが全く駄目でした。(いいとこ三次会まで)

この時にようやく理解しました。

理屈じゃない。

お酒が飲めないと不利なんだ。

結局いつまでたっても逃げられない。

この世に楽園なんか無いんだ。

向き合わなきゃいけないんだ。

お酒と。

じゃあ、やり方を変えるしかない。

こうして私はあんなに大嫌いだったお酒を克服するための作戦を実施したのです。

その作戦とは、こういうものでした。

お酒の無い世界で生きていきたい

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