ハンガリーの難民問題について(2015年に書いた文章から)

2015年夏、欧州を大きく揺るがした難民問題。
現在もなお、「自由な欧州」に頭をもたげる難民問題は、当時ハンガリーも震源地の一つとなっていました。ハンガリーは中東からやってきたドイツを目指す難民が、バルカン半島を通りEUに入る玄関となり、連日のようにオーストリア行きの電車が出るブダペスト東駅に押しかけました。当時のハンガリー政府の難民を巡る対応は世界の批判の的となり、もう覚えている人は少ないかもしれませんが、連日のようにハンガリーの様子は日本でも報じられました。

久しぶりのnoteの更新は2015年当時にFacebookに書いた、難民問題についての投稿を掲載します。
当時のハンガリーの対応は批判されるべき部分が多いにせよ、EUやドイツについても疑問に思うことがたくさんありました。何より、日本を含む世界での、問題の本質を捉えていない、表面的でセンセーショナルな報じられ方に疑問を感じました。
当時はハンガリーに住んでおり、日本にいる友人からは心配されました。でもあの時は東駅以外のブダペストはいつもと変わりない日常でした。友人たちからの大丈夫?の言葉はありがたかった一方で、「何が大丈夫なのか、みんなはこの問題をちゃんと理解しているのか」とも思っていて、ちょうど4年前の今日、早起きした朝に思い立って書いた投稿です。
Facebookの「○年前の今日」が今日になる度に、私は4年前の難民問題を思い出します。当時の記録を何らかの形で残しておいてもいいかと思い、noteに記載することにしました。

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【ハンガリーの難民問題について】(長いです)
大学時代、頑張ってハンガリーの報道を探そうとしても、NATOレーダー基地の設置くらいしかニュースがなかったことに比べると、最近ハンガリーから遠く離れた日本でもハンガリーについてこういう形で報道されているのは、驚くべきことです。
ただ、日本の報道を見ても(というか日本のテレビは見れないのでNHKWebとかですが)、どこまでこの問題を掘り下げているのかな、と気になりました。
というわけで、現地にいる私の感想です。今回の問題の理解の一助になれば幸いです。というか誤解に基づく議論が少なくなれば幸いです。
※あくまでも個人の感想ですが、事実に基づいて書くよう努めています。(努めましたが、片寄っているかもしれません)
 
 
・まずハンガリー(ブダペスト)の治安について
ハンガリー(ブダペスト)のこと、テレビで見たけど大丈夫?と聞かれますが、難民が多く滞留していたブダペスト東駅以外は平穏な日々です。むしろ8月の熱波の方が大丈夫じゃなくなりそうでした。
報道というものは概ねそういうものだと、過去数年の経験から理解していますが、センセーショナルなものを連日報じられると、メディアの狙いであるかどうかは置いておいて、見ている人は一部だけでなく、その全体が非常に危険であるとの印象を受けますよね。
 
・なぜハンガリーの難民問題が大きくなったのか
今年に入ってから、シリア、アフガニスタン、パキスタン等中東からの難民(今回は難民としておきます)が増えて来ています。彼らの多くはトルコ→ギリシャ→マケドニア→セルビア→ハンガリーというルートでやってきており、このルートは「西バルカンルート」と呼ばれます。ハンガリーもあくまでもこのルートの一部、「通過国」扱いで、遠くの地からやってくる彼らの目的は、福祉が充実しているオーストリアやドイツでした。
 
EUには難民に関するEU規則、いわゆる「ダブリン」規則というものがあります。この規則は、難民申請の受付をひとつの国に限定することを定めており、EUにやってきた難民は、初めて足を踏み入れたEU加盟国で難民申請をすることが求められます。EU加盟国でないセルビアを通って「初めて」EU加盟国であるハンガリーにやってきた移民・難民は、ハンガリーで難民申請することを求められます。「初めて」を鉤括弧付きで書いたのは、西バルカンルートの場合、ハンガリーと同じくEU加盟国であるギリシャを通過しますが、ギリシャはほとんど難民申請登録を行っていないからです(その点をハンガリーは批判しています。)。
 
通常、難民申請に関する手続きには数ヶ月を要しますが、ハンガリーで難民申請をした人々は、結果を待たずに、電車や車を利用してオーストリアやドイツを目指します。しかし、ダブリン規則に基づけば、難民申請ができるのは1か国に限定されているため、彼らがオーストリアやドイツで難民申請をしようとしても受け付けられず、その上、難民申請の結果が出るまでその申請提出先の国に待機せよとのことでハンガリーに送り返されます。
 
そういう訳で、ハンガリーにやってきた難民の人たち(だいたいの人がハンガリーで難民申請しているので、難民としておきます。)は、ブダペスト発ウィーンやミュンヘン行きの電車に乗りたくて、ブダペスト東駅にやってきますが、ハンガリーとしてはダブリン規則があり、彼らの自由な渡航は認められないため、当然電車への搭乗は認めません。そうして、セルビア国境からは難民がやってくるのに、ハンガリーから先に進めず、ハンガリー国内に難民が増えていきます。初めブダペスト市は、彼らを排除しようとしましたが、それを諦め、最低限の衛生環境(簡易シャワー、水道、トイレ)、医療、食料を提供する「トランジット・ゾーン」をブダペスト市内の各駅に設置したのですが、それもあって、特に西欧行きの電車が発着する東駅に難民が増えていきました。
 
先週末(8月末)には既に傍目にもわかるぐらい、東駅(広場や地下通路)には難民が増えていて、シートが敷かれてその上に寝転がっている人、あらゆる手すりに服が干されている光景は牧歌的というか、不思議な光景でした。
 
大きな動きがあったのもちょうどその時です。その週末、ドイツのメルケル首相が「シリア難民はすべて受け入れる(、だけど西バルカンの移民は受け入れない)。」と発言したそうで(この点に関しては、原文にあたってないので、本当にそういったのかどうかはわかりません。)、8月30日には、そのニュースを聞いたブダペスト東駅に滞留している難民の人々が、メルケル首相が受け入れると言っているのだから、ドイツへ渡航させよ、とデモを行いました。東駅の緊張感は徐々に高まってゆきました。
 
その後、難民が電車に殺到する騒ぎになる等、連日CNNやBBC等でトップニュースとして報じられることになるのですが、なぜハンガリーが難民の渡航を許可しないのか、という点についてはなかなか報じられません。
 
理由としては、先ほど説明したダブリン規則があるからでしょう。このEU規則に従えば、ハンガリーは難民がオーストリアやドイツに行くことを許可することはできませんし、オーストリアやドイツはハンガリーに対して、ハンガリーが申請を受け付けた難民がこっちにやって来ないようにしっかりせよ、と言います。実際、オーストリアのファイマン首相は、今週月曜日に、ハンガリーは難民がオーストリアに渡航することを放置していると批判しています。一方で、(本当に言ったかどうかは知りませんが)ドイツが「シリア難民OK」と言ったとしても、技術的には、現在ハンガリーに滞留している難民を今すぐ受け入れることは不可能なのです。
 
実際、今週火曜日(9月1日)に一度ハンガリーが電車でのオーストリア、ドイツへの渡航を許可した際にも、オーストリア当局は、国境で電車を停め、厳しいチェックを行っていますし、ハンガリーのドイツ大使館もドイツがダブリン規則を遵守しており、すべての難民を受け入れるわけではないことをHP上に今週水曜日(2日)に発表しています。
 
強調しておきたいことは、今回の件では、ハンガリーは人道的な問題、大きな混乱を招く結果となるなどのやり方の問題はあるにしても、EU規則、つまりEUの法的なルールを遵守しているという点です。
難民が「ハンガリーに居たくない、我々はドイツに行きたい」と叫ぶ一方で、ハンガリーはEU規則を遵守すると渡航を許可できない中、ハンガリーが今回の件で国際世論の批判の的になっているのは、文字通り板挟みの状態と言えるでしょう。
 
とはいえ、これを書いている中でも、ハンガリー政府が難民の国境までの移送を決定し、オーストリアも受け入れ(おそらくドイツまで通過させるだけ)するようなので、今後も世論を受けて状況は変わっていくのでしょう…。

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この後、ハンガリーはセルビアとクロアチアのそれぞれの国境にフェンスを設置し、物理的に難民の入国を防ぎました。その後はスロベニアを通るルートなどに変わっていったようです。Netflixのドキュメンタリーを見ていたらシリアから亡命した青年がスロベニアを越えてやってきたと言う話をしていました。
ハンガリー政府が難民問題の前後から反移民的な姿勢を崩さず、EUにおける反移民的な政策論者の急先鋒となったことはご存知の通りです。

ドイツは寛大に難民を受け入れた一方で、AfDの台頭など世論は分断されていっているようです。リベラルな民主主義を掲げ、それが続くと思っていた西欧においても、現在反移民・ポピュリズム政党が力をつける結果となるとはあの時は誰が想像したでしょうか。あの夏は一つの歴史的な分岐点だったのかもしれません。

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