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続・ザビエさんセッション:わたしの場合ー愛と関係性編 #3 令和の夏に振り返る(3)

すっかり長編記事になりつつある↑の記事の続きです。読んでくださる皆様には、超個人的な振り返りにお付き合いくださっていることに感謝の気持ちを送ります!

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一つ前の記事まで書いていた、20年も前の関係性とエネルギーレベルでケリをつけるという話、振り返ってみる。こんなテーマがまさか浮上すると思ったことなど、1ミリもなかったわけで。ある日たまたま夢に見た話がここまで壮大な「過去の恋愛清算物語」にまで発展するなんて、ザビエと出会っていなければhappenしていなかったこととしか思えない。ザビエには、ガガ様の映画で大泣きして下痢にまでなったことも含め、大晦日の儀式実施についてメールで報告をした。占星学カウンセラーであるザビエには、実はもう一つの顔があって、それは「映画評論家」なのだ。南米で発売されている政治経済誌に20年間映画コラムを書き続けている。そんなホンモノの映画評論家のザビエからはガガ様映画デトックスに関して、「映画は、時にそうやってわたしたちの想像を超えてセラピーのように作用することがある。だからこそ映画は素晴らしいといつも思うんだ。」と返事のメールに書かれていた。

話を少し戻す。母がA氏とのお付き合いについて否定的だった理由。彼女なりの言い分はもちろんあるとして、わたしなりに突き詰めると、4年間の海外留学を終えてようやく帰ってきた一人娘(=わたくし)が帰国早々、突如現れた見知らぬ男とあたかも結婚しそうな勢いに耐えられなかったのではないか、と思っている。こうして字面にすると「そんなこと?」に思えるかもしれないが、恐らく母には耐え難いことだったと思う。今更ながら、そういう親子関係だったし、今でもそうなのだと思う。ザビエも「この彼(A氏)にNaokoを盗られるような感覚すらお母さんは覚えたのではないかな。何が何でも阻止したかったはず。」と話していた。そんなことまでチャートに書いてあるのだろうか?という謎がやんわり浮かびつつも、当時の母の様子を思い出すと、きっとそうだったに違いないと思えてしまう。そこから数年後、今度は父の猛反対ぷりと衝突する別の男性とお付き合いをすることになる。最終的に父が受け入れる姿勢を示す形になったものの、6年近く続いたお付き合いは、結果、解消するに至った、なんてこともあった。

わたしのそんなあんな‘関係性ヒストリー’をほぼ知るザビエは、「家族の中に<一人娘>としてずっと囚われ続けたことこそが、Naokoがいつも'難しくてわからない!!'と言っている土星8ハウスが表していることの一部であると思うよ。」と、その昨年秋のセッションで解説をしてくれたのだった。そして、「ようやくそこから出る準備ができたみたいだね。」とも言っていた。これを聞いて、これまでも今をもってしても難解なわたしにとっての8ハウスについて、初めてそしてほんの少しだけ、自分の中で理解が起きはじめた、そんな瞬間でもあった。

ここまでを大雑把に振り返ってみて思うのは、なんであれ、結局自分のしたいように選択して生きてきたということ。と同時に、その「したいように」の背景には、家族すなわち「両親と自分」という親子のあり方や関わり方、それも我が家独自のものがしっかりと存在した、ということだ。たまたまわたしが一人娘で生を受けたことが関わり方を大きく左右する因子であったことは明らかだが、それと同時に、わたしの親たちもまたそれぞれが属した家族からやってきた一人の人間で、それぞれに携えてきたものがあり、それもまた目に見える・見えないレベルでわたしに引き継がれている(=わたしにとっての大きな影響となった)、ということだ。こうして文字にしてみると、なんとなく呆気ないというのか、さっぱりしているというのか、言わずもがな誰もが知る当たり前のことのようだが、実際にこのことがしっかりわたしの中で噛み砕かれて消化されるには、実に45年近い月日がかかったんだということも、今こうして自覚している。

ここまで書いてようやく「現在」に戻ってくることができそうだけれど、もう1690文字も書いているようなのでつづきはまた明日以降に!

最後まで読んでくださったあなたに感謝。絶対いいことあります(笑)。

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