第1回 少女は最凶か


少女について書いてみようと思う。

そう記してふと、自分はどうして少女にこだわるのかと考えた。
少女でなければならない。不在の少女でなければ。
その答えを得るために、まずは私の記憶の中の少女について語ることにしよう。

のっけから強烈な印象を残す少女を紹介する。
私の中の少女のイメージとして始めに浮かんだのが、『暗い森の少女』というホラー小説の名作に登場するエリザベスだ。
『暗い森の少女』は因果応報ものといった古風な内容であるが、物語の重要なポジションを占めるエリザベスという少女の造形が素晴らしく魅力的であるがゆえに、ホラーとしても抜群の面白さを醸し出している。
実際の物語自体は、父親は最後まで情けないし妹のセーラはひたすら気の毒だし、その姉のエリザベスもかなり酷い鬼畜の所業をやっている。なので少女がどうのというような話ではないのだが、それでもそれを差し置いてエリザベスの凄惨な行為にある種のカタルシスを覚えるのは、良い子でいなければならないという抑圧や少女という対象に対する社会的な搾取に対する、破壊的な欲望が私の心の奥底にあるからだろう。だから父権や男性原理といったものに一度は蹂躙された「少女」が、怨念とともに日常に牙をむき出して襲いかかる様を痛快に感じてしまうのだ。
敢えてここは誤読をするが、彼女は単に過去の怨念に憑依されてそのような行為を行うのではない。エリザベス自身の内なる「少女」がそうさせたと私は読みたい。
狂気のお茶会の女主人として振る舞うエリザベスの、なんと残酷でうっとりするほど傲慢なことか。そう、少女は残酷なものだ。自身の美意識に忠実で、他からの干渉をものともせず、常に美しいものを求めて貪欲に世界を選別する。それが他人から見たらおぞましく痛ましいものであろうとも、少女がそれに価値を見出すのであれば、それは美しいのだ。
14歳のエリザベスは身体的には庇護されるべき未熟な存在であるが、誰にも所有されない誇り高い精神の持ち主でもある。彼女の美意識は誰であろうと侵犯できない。脆くもなければ弱くもなく、ナボコフ的な小悪魔どころかむしろ悪魔的で邪悪な存在。素晴らしく最凶で最悪であるが故に、魅力的。
このエリザベスこそ、可憐で儚いなどという手垢のついた少女の価値とは程遠い、ゴスで凶悪な私の「少女」である。


登場した本:『暗い森の少女』ジョン・ソール著
→今のホラー小説に比べればまだかなり牧歌的であるとはいえ、結構陰惨な場面はあるので読まれる方はご注意を。
今回のBGM:「Dark Clouds in a Perfect Sky」by Elis
→リヒテンシュタイン公国の誇るシンフォニックメタルバンド、エリス。惜しくもボーカルのサビーネ嬢は急逝してしまったがその声は円盤の中では不滅だ。

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