第25回 桃源郷


以前は好きな果物といえば梨であった。
思えば随分と渋い好みだったと思う。梨の果実を構成する石細胞のあのしゃりしゃりとした食感が好きだったのだ。かつては長十郎と二十世紀という二大品種しかないようなものだったが、その2種類から改良された幸水がとてもバランスが良くて好きだった。
法医学教室に在籍していた当時はDNA鑑定が専門だったので、DNA多形学会という学会に所属していた。DNAといってもこの学会で扱うのは人間のDNAだけではなく、動物や植物のDNAもテーマになった。その中で梨の品種についての発表があり、ある品種の片方の親(というのも変だがDNA的なということで)が長らくAと考えられていたが、DNA鑑定をしたところその品種ができた果樹園の遠くの端の方に植わっていたBとの交雑だと判明した、という内容であった。これも一種の親子鑑定というものである。

果物の品種は、実は市場に出回っているもの以外に非常に沢山存在している。その中には殆ど表に出ることなく消えていくものもあるだろう。現在住んでいるところが果樹栽培の盛んな地域であることもあり、林檎も葡萄も東京にいた時とは比べ物にならないくらいいろんな種類を口にすることができる。
中でも桃に関してはその堪能できる時期の長さに驚いた。普通桃といえば、初夏からせいぜい秋口あたりまでの短い旬だと思うだろう。それが6月から11月の初めまで楽しめるというのだからびっくりだ。当然一つの品種ではなく、2週間毎に次々と別の品種に移り変わっていくのだが、その品種がなんと70種類もあるという。もちろん全部の種類が売られているわけではなく、試行錯誤を重ねて売るに耐え得るものだけが表に出てくる。それでも流通に乗らないような、本当に産地でしか食べられない品種というのがあって、それが果樹園の脇で売られているのだ。
大きく分けて桃は、白桃系と黄桃系の二つに分けられる。どちらもそれぞれの良さがあって甲乙つけがたいが、どちらかというと私は、味の主張が強い黄桃系よりそこはかとなく上品な白桃系の方が好きだ。そうは言っても食べればどちらも至福の美味しさ。ちょっと硬めだったり今にも崩れそうに軟かかったり、酸味が良いスパイスになっていたりと、同じ桃とは言え千差万別である。ちなみに今のところ白桃系ではさくら、黄桃系ではエンパイアが私的ベストである。

桃といえば『桃尻娘』の例にもれず、思春期の少女の比喩としてよく使われるアイテムだ。少女のすべすべした肌にうっすら生えている産毛は、桃の果皮に例えられることも多い。映画『たんぽぽ』の中でスーパーに置かれている桃を次々と指で押し潰していくシーンがあるが、桃のあの繊細さは、破壊衝動を呼び起こすものでもあるのかもしれない。
大事にしなければすぐ傷んでしまう。一般的な旬の時期はとても短い。一見それは少女との類似を示唆するようにも思われる。しかし桃の品種の中には、ちょっとやそっと触ったくらいではビクともしないものや、冷蔵庫に入れておけば2週間もそのまま美味しさを維持できるものもある。繊細で儚いだけが桃ではない。少女だってそうだ。多種多様の在り方があっていい。

ということで、今の私にとって一番好きな果物は桃になった。
少女といえばやっぱり桃だよねと独りごちながら、また巡り来る桃の季節を心待ちにする今日この頃なのである。


登場した品種:さくら
→どこまでも甘く香り高い。そして大きい。酸味は有るか無しかというくらい仄か。とめどなく溢れ出る果汁に理性を失う。つまりそれ程美味しい。
今回のBGM:「今夜、桃色クラブで」by 及川光博
→甘い甘い恋心をコミカルに描いたとことん楽しい楽曲。ミッチーの本領発揮です。

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