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科白劇 舞台刀剣乱舞/灯 考察その1 "特命調査"と"実験場"と"物語"

今回の科白劇はどうしてもチケットを手に入れることが叶わず、ディレイ配信にてようやく視聴しました。刀ステそのもののボリュームが増えていくことで前提条件も増えて大変なんですが、過去の自身やSNS上でみた考察なども踏まえながら今回も自分のための言語化として投稿していきたいと思います。

この特命調査は本当に特命調査か?

前作の維伝・今作の科白劇と特命調査にかかわる出陣をした刀ステ本丸は、疑問を持ち始めます。この特命調査は本当に特命調査なのか?と。師子王が聞いた小烏丸の言葉を借りれば刀ステ本丸は"政府にやっかいな任務を押し付けられている"状態であり、政府の刀であった山姥切長義にもこの一連の出陣に疑問が浮かんでいます。「あんなやっかいな特命調査がそうそうあってもらっても困る」と。

刀剣乱舞のゲームにおいても聚楽亭とそれ以降の特命調査では様相が違っていて、維伝の南海先生の解説から特命調査の立ち位置については以前下記のような考察をしました。

この考察を踏まえ、今回の出陣が正史への害が大きい時間軸の出陣であったことを鑑みても慶長熊本の歴史改変は妙で、それを今作の亀甲貞宗はこのように表現しています。

「歴史の改変には確固たる目的があるはず」「でも今回の改変は行動と目的がちぐはぐ」「キリシタンを救うための改変がなぜこの時代なのか?熊本なのか?ガラシャなのか?」「動機に必然性を感じず判然としない」

今作の序盤で刀剣男士たちは敵の狙いを"キリシタン弾圧の阻止"と"鎖国の歴史の回避"ではないかと推測しているのですが、ただキリシタンを救うためなのだとしたら、ガラシャよりも1637年の島原の乱で天草四郎に加担したほうが筋が通ります。(だからこそ同時期に刀ミュで島原の乱を扱った関連性を考えずにはいられないのですが…)

今作の慶長熊本の時代はそれよりも30年ほど前。本来の歴史では熊本城の主は加藤清正であり、加藤家が改易となり細川家が肥後の国に入国するのは寛永9年(1632年)のことです。まずその前提条件から覆っている。どうしてこのようなことが起こっているのか?それを考える前にガラシャについて共有しておきたい知識があります。

日本におけるガラシャのイメージの変遷

まずガラシャを語る上で念頭に置きたいこと…それは今日われわれが持つガラシャがキリシタンだというイメージは、明治時代以降に西洋から逆輸入されたものであるということです。

明智光秀の娘であるガラシャは、本能寺の変を境に謀反人の娘として厳しい立場に置かれるようになったわけですが、江戸時代~明治時代のある時期までは主に彼女の最期が軍記物や絵巻物に登場します。関ヶ原の戦い直前、石田三成率いる西軍に人質にされる前に自殺をしたというものです(方法については諸説あり)。家のために死を選んだ彼女の最期は、武家の妻の理想・模範として語られました。中には自殺の前に南無阿弥陀仏と唱えた…という記載のあるものもあり、彼女がキリシタンであったことが一般的ではなかったことがうかがえます。

その一方で、イエズス会の宣教師がまとめた『日本教会史』をきっかけに、ガラシャは異国の敬虔なキリスト教信者として西洋で知られることとなりました。その和訳本『日本西教史』が明治時代に出版されたことが、日本でのガラシャのキリシタンイメージの出発点です。その後に文学や演劇や絵画で焼き直しをされてきた結果が、今日私たちがもつキリシタン細川ガラシャのイメージになっています。

"鵺みたい"という獅子王の台詞と今作の敵の目的

それでは今作の考察に戻りましょう。今作では獅子王がしばしばキリシタン大名は鵺みたいだと口にします。"混じっている"と。鵺は頭が猿、手足は虎、胴は狸で尾は蛇だと言われる妖怪ですが、我々の知っている生き物をつぎはぎしたような姿です。それを聞いた山姥切長義はこう語ります。

「キリシタン大名は、史実と諸説が生んだ鵺か…」

刀ステにおける鵺といえば、悲伝の時鳥(ホトトギス)のことを忘れてはいけません。足利義輝の無念が、義輝が所持していた複数の刀を依り代に生まれた存在である時鳥。最終的には破壊されましたが、歴史上の何物でもない歴史の異物として刀剣男士に対峙しました。

ここからは完全に私の個人的な憶測ですが、時間遡行軍はこの慶長熊本で"第二の時鳥"のようなものを作ろうとしていたのではないかと考えています。"蛇"と"花"、"武家の妻"と"キリシタン"といった多面性のある物語を持つ細川ガラシャと、彼女とも関係の深かったキリシタン大名たちを依り代に、彼らの後の時代に付与されたイメージや物語を当時の時代で増幅・合体させ第二の時鳥を作る。そこで生きるキリシタン大名たち自身も仲間だと思っている"時を駆ける者たち(時間遡行軍)"の真の目的に気づいていない。このちぐはぐな慶長熊本は時間遡行軍による巨大な実験場であったのではないでしょうか。

維伝との関連性

維伝の南海先生も文久土佐の特命調査に対して"実験"という単語を持ち出しています。維伝のラストに現れた銃。明言はされていませんが、私は朧の志士たちはこの銃を依り代に龍馬や土佐の人々の無念や想いを顕現させたものだと考えています。維伝・科白劇ともに、刀ステ時系列では悲伝よりも後。時間遡行軍も今作で長義が言うように、あの手この手で刀剣男士に立ち向かうための準備を進めており、維伝もまた時間遡行軍の実験場と対峙した話であったのでしょう。つまり我々は刀ステの第二部では時間遡行軍の二つの実験を見せられただけとも言えるわけで、この実験結果が今後どう影響してくるのか本当に未知数です。

物の持つ物語、人の持つ愛

今作では敵の目的と行動がちぐはぐだという話がありました。私は敵の目的がさっき述べたように第二の時鳥を作ることであり、その依り代として歴史の流れの中で多面的な多くの物語を持つことになった細川ガラシャを選んだ。その目的の達成のためにいくつかの歴史改変が生じたが、あくまで副産物であり敵側としては大きな問題ではなかったのではないか?と思っています。

ただ今回敵の目論見がうまく進んでいたかというと、そうではないと思うんですよね。刀ステの世界観では"物語"を持つ=逸話があるということは大きなステータスとなり、維伝では坂本龍馬の物語を陸奥守吉行に付与することが鳥太刀組の密命でもありました。ゲーム上の極になるための修行は彼らの物語の補強方法の最たるものです。

ただ、今作と維伝の大きな違いは放棄された時間軸の中心(依り代)となったのが細川ガラシャというまだ生きている"人"であったことです。今作の黒田の言葉をかりるならば、人は"生きたいと願う心"、"救いたいと願う慈悲"、"幸せを願う祈り"…すなわち愛を持っている。この愛というやつは非常に厄介で、愛のために真実(歴史・物語)をゆがめてしまうことがある。敵はたくさん物語を持っているガラシャを選んだけど、ガラシャのもつ愛を制御できなかったがゆえの、あのちぐはぐな熊本という側面もありそう。

またこの愛ってやつ、刀剣男士の本能と非常に相性が悪いです。"生きたいと願う心"、"救いたいと願う慈悲"、"幸せを願う祈り"…これ、円環の三日月宗近が今持っているものではないの?顕現した刀剣男士たちが、これから得ていくものではないの?今後の展開次第では、地獄の窯の蓋が開きますね…。

今回の考察のようなものはここまで。次回は今回全然触れられなかった"細川夫妻のクソデカ感情"について考えてみたいと思います。お盆休みおわっちゃうからまともに書けるかわからないけど…。

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