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北の民、本場の台風を知る

※写真は台風後に脱走していたヤギの写真

人生で初めての台風の日のことは、よく覚えている。
あれは小学校の四年か五年あたりだろうか。東北生まれの私にとって、台風とはテレビの中の出来事か、もしくは小学生向けの科学読本で説明されているような未知の自然災害だった。
それが、初めて、我が県を通過するというニュース。初めての台風にテンションが上がらない訳がない。
通過は夜中。ガタガタと揺れる窓の音に興奮して眠りは浅く、朝方の五時前には目が覚めた。子供部屋の窓をひっそりと開けてみると、普段では味わうことのない、ぼんやりとした温い風が頬を撫でてゆく。風が生温いという初めての感覚。これは南国から運ばれた風なのだろうかと想像し、当時の私は愚直に感動した。
明け方の空の向こうではスーパーのビニール袋が空高く舞い上がっている。風を受けて膨らむ持ち手は、さながら空を飛ぶヒーローが伸ばす両手のようだった。空の向こうまでバタバタと飛んでいくのを興奮しながら見送った。

そんな当時の可愛らしい児童たる私に、今の私は心から伝えたい。

本場の台風はな…
本当にすげえぞ…。

春に移住してから台風に遭遇したのは四度、そのうち停電を伴う台風は二度。
特に九月初めの13号は強烈で、過去二回の台風ですっかり本場の台風を味わった気になっていた私に「お前はあれが本場の台風だと信じていたのか」と現実を突きつけてくるタイプの台風だった。停電と同時に携帯の電波も死んだので(基地局も同時に落ちたんだろうか)、仕事を諦めて昼間からビールを空けた。自宅の雨戸は二枚飛んだ。暴風雨の最中で取りに行くことも叶わず、もう夫と二人で爆笑するしかなかった。ご近所の家を傷つけなくて本当に良かった…。
翌日に家の外を掃除していたら、移住したてだと知っているご近所の方に何度か「こっちに来て初めての台風だったでしょう!」と声を掛けられた。そうか、今までの二回(自分の感覚ではそれなりに強かった)は、台風ではなかったのか。マジか。

全国ニュースでも被害が放送されたため、内地の友人から安否確認の連絡を貰った。ありがとう大丈夫、本場の台風やばいね!と返した数日後に、今度は首都圏を南国クラスの台風が襲った。千葉の被害状況を見る度に胸が痛む。備えやノウハウのない場所に襲ってくる自然災害は本当に恐ろしい。

ところで、ここが離島だなとしみじみ思うのは台風後の物資不足だ。
空路か海路しか物資を運ぶ手段がないため、台風が来る度に物資の入荷が遅れる。しかも宮古島から台風が去ったところで、その台風が沖縄本島付近で停滞してしまうと、那覇方面からの流通がシャットアウトされるので余計に入荷が遅れる。台風の通過時期から、その数日後まで見越した上で、まとめて買い出しを済ませておく必要があるのだ。

物資不足がチェーン店のメニューに影響するのにも驚いた。台風後、弁当屋やファーストフードに一部メニューしか提供されない旨の張り紙が出されるのも見慣れてきた。この前はマックのポテトが品切れ状態になっていた。ある時、ほっともっとの唐揚げを激しく食べたい衝動で店に走ったら、品切れ状態で半泣きになったこともある。つらい。

他にも台風を経験して、初めて知ることは多い。台風の目に入った瞬間、分かりやすくぴたりと暴風雨が止む(時には青空すら出る)こと。そのタイミングを狙って夫と港まで向かったところ、幾人もの知った顔に出会った。みんな台風の目の瞬間を狙って、家から出てくるのだ。
台風の目から再び暴風域に入ると、風の向きが逆方向に変わること。吹き返しと呼ぶらしい。激しい暴雨風に晒されると、窓の隙間から雨水が吹き込み、家の中が水浸しになるので、サッシ部分に古いタオルを詰め込んで対策をする必要があること。

あと、伊良部大橋は割とカジュアルに閉鎖されるということ…(宮古島で仕事していたら、事前に予約してた自動車学校からの連絡で、数時間後に橋が閉鎖されることを知る)(閉鎖の連絡は防災無線が流れるも風の影響で全く聞き取れない)(ネットでの告知も活用してくれよ宮古島市役所)(夫が慌てて迎えに来てくれたので、閉鎖の前に通過できました…)。

四度目の台風が過ぎたあと、最近は吹く風も爽やかで気持ちがいい。
南国にも秋が訪れるのか…としみじみしかけたが、冷静になって考えると、半袖で過ごせている時点で全然夏だった。やっぱ夏だわ、これ。

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