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「良識的な判断」についての思索メモ

個人的に最近興味のあるテーマについてのメモ。

最近、頭が良いはずの人々が、集団になった瞬間に、現実と全く噛み合っていない行動を繰り返す、という行動パターンの話を集めるのを趣味にしている。白饅頭さん的に言えば「壮大なドッキリ」というやつだ。

このテーマへの関心に明確に気付いたのは、たまたま参加したイベントで、経産省の人や健康保険組合の人が健康経営について対談しているのを聞いたのがきっかけだった。健康経営は「経営資源のヒト・モノ・カネのうち、ヒトに投資することで長期的な企業価値の向上と社会貢献を両立しようとするもの」と定義される活動である。例えば経産省は健康経営優良法人認定制度を作り、これを推し進めてきた。

しかし、現場の話を聞く限り、健康経営は、社長らの鶴の一声により、禁煙活動や健康診断の推奨などの思いつきが遂行され、特に成果もなく立ち消えていく・・・といった経過を辿るパターンが非常に多い。("DX"など、過去のさまざまな"経営改革"と同じパターンであろう)。健康経営が掲げる「ヒトへの投資」を実際にビジネス成果へとつなげられている事例はほとんどない。にもかかわらず「健康経営」は伝統的な日本企業の経営者たちにとって、知らぬ者の方が少ない一大トピックになっているようだ。

経産省の人曰く、健康経営というアイデアが爆発的に広まったのは、就活生が「健康経営優良法人」に選ばれた会社に目をつけるようになったのがきっかけだった、という。「健康経営優良法人」に選ばれた会社は「国が選んだホワイト企業」だから安心だ、という評判が学生に広がったのだと。

学生の確保に苦しむ中小企業にとってこれは大ニュースだったらしい。経産省から「健康経営優良法人」として評価されると、学生が目をつけてくれる。優秀な学生が入る見込みが高くなれば、銀行も会社の評価を高くしてくれる・・・というメリットがあった。

これにより、全国の中小企業が健康経営に興味を持つようになった。「健康経営認定要件」とにらめっこし、適当なバックオフィスの人間を「健康づくり責任者」に任命したり、健康診断の受診勧奨をする委員会を作ったりするようになったのだ。

https://sangyoui-navi.jp/blog/95#5afe3e98922938250f014845-1647996771938

だが、これらは全て、国からの評判がめでたくなることを土台としたストーリーである。国からの評判が高まることでビジネス的に良いことが起こることを示すロジックはあっても、健康経営が掲げる「人への投資」がビジネス的な成果につながることを保証してくれるロジックは何一つない。評価されているのは「やっている感」だけであって、「人への投資」が実際にどのようなビジネス成果につながっているかについては、この構造の中で誰一人として関心がない。

私が見る限り、健康経営の話は、米国のサブプライムローン問題のような構造をしている。不動産の物価が上がればローンが返せるという話は、今後も不動産の物価が上がるという評判のみに依存しており、その評判が根本から絶たれたとき、それを追いかけていた人間は丸ごと穴に落ちる。にもかかわらず、健康経営を追いかける経営者は後を絶たない。

この健康経営の事例のような、「良さ」の一人歩きの話が、最近たまらなく好きで追いかけている。

このような現象は、きっと関わっている人たちがバカだから生じてるのだろう、と素朴に思っていたのだが、どうも最近逆なのではないかと思ってきた。

彼らは十分に学習しているし、方々から情報を集めている。界隈における「良識的な判断」ができるようになっている。そして、「良識的な判断」の結果として、みんなで一斉に崖から飛び落ちるのではないか。

良識的な判断とは、「ある程度良識を備えた人間ならば、きっとこう判断するだろう、と思われるような判断」のことだ。例えば、「ある程度良識を備えているならば、学生のうちは子供を産まないだろう」というような判断のことだ。

このような判断は特定の界隈に紐づく。いわゆるフィルターバブルの話だ。界隈は特定の文化を持ち、その文化に照らして物事を判断する。それらの判断が良識的な判断として蓄積されていく。

かつて、良識的な判断は、その界隈の中でも頭が良いインテリとされる人たちが作り出すものだった。

だが、これは個人的な仮説だが、ある段階でインテリ良識的な判断の関係が入れ替わったのではないだろうか? インテリは良識的な判断を作り出すというよりも、良識的な判断に縛られるようになった。インテリの行った意思決定が良識的な判断として知られるようになるのではなく、(いまこの時)良識的な判断とされているような意思決定をするからインテリだと見なされるようになったのではないか?

インテリは建設業界に入らず、学生時代に子供を産まない。

心理士業界は、心理士の既存の役割を変えようとはしないまま、心理士という専門性の意義の"啓蒙"を世の中に訴え続け、Gルート問題などで騒ぎながら、自らの「専門性」を守ることに躍起になっている。

中小企業の社長は、我が社も健康経営に取り組まなければならないと声を上げ、部下に何か施策を行うように指示する。

これらは「良識的な判断」の再生産、という軸で括れる同じ現象なのではないだろうか? 周囲の声に学んだ人が、「十分に良識を持つ人間ならば、このような判断をしなければならない」という声に従った結果として、繰り返されている行動なのではないだろうか?

・・・というようなアイデアが今頭の中にあって、何か事例を集めてちゃんと分析したいなと思っている。

特に健康経営の話が好みなので、健康経営に取り組んでいる担当者の方などで、インタビューさせていただける方がいれば募集しています。お声かけください。

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