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「AIで嫁を作ること」についての思索メモ

今年1月からAIについて本格的に勉強している。2022年、2023年は、オープンソースの画像生成AIや大規模言語モデルが登場し、個人開発者でもこれらのシステムを様々にカスタマイズして、自分の目的に生かすことができる。

SNS上で、これらの技術を手元で動かして遊んでいる個人開発者の情報を見ていると、やはり一番多い用途は「かわいい女性を作る/動かす」というものだ。いわゆる「嫁を作る」というやつだろうか。

「お姉ちゃん」として、プログラミングの学習を支援してくれるシステムを、ChatGPTとStable Diffusionによる画像生成を組み合わせて作った事例。自分が好きなキャラに学習を支援してもらうことによるセルフアナログハック

現在、インターネットに転がっている技術を組み合わせれば、(少し勉強すれば)これくらいのことは誰でも簡単にできる。

もっと高度なところではAITuberなどがある。

音声解析、大規模言語モデル、合成音声、画像生成・・・といった技術の組み合わせで、会話ができるキャラクターを自分のPCに住まわせることができる。

私の最初の目的は、業務のために大規模言語モデルを動かせるようになることだったのだが、近ごろは、少し脇道に逸れて、画像生成や音声合成なども触っている。せっかくGPU(RTX4090)付きの50万円のPCを購入したので活用方法を探していたのもあったし、ネットで見ていて興味が出ていたからというのもある。

StableDiffusionなどの画像生成AIを動かすなら何をするかと考え、やっぱり最初に手をつけたのは、かわいい女性の画像を作ることだった。

「人間関係とは交通事故のようなものだ」とは誰の言葉だったか。本来、人間の出会いとは偶発的なもので、時に贈り物にもなるし、時に災害にもなる(いや、贈り物というものは、そもそも常に災害のようなものかもしれないが。)

とはいえ、現代は多くの人が人間関係を意識的にコントロールするようになったように思う。人間関係の市場化。取引として成立しないような関係、一方だけが利益を得続けるような関係を維持し続けるのは難しい。個人の価値観やニーズの違いが増え、お祭りや花火大会のような公共財の維持はどんどん難しくなっている。市場化とは、誰かの役に立たなければ、何かを得られなくなることだ。80億人に地球が覆われた今、何かを得ようとするならば、他の「誰か」とのニーズの調整が必要になる。

しかし、生物は、自然の恵みを享受し、蕩尽するように仕向けられて生まれてくるのではなかったか。取引ではなく、純粋な享受として。我々は自然に対し、交渉はしても、ニーズの調整はしない。渉猟し、摘み取り、狩りをし、感謝する。

そう、"恵みの享受"。私は、"恵みの享受"の手段について考えている。

自然の恵みは、誰にでも、広く開かれている。万人に遍くもたらされるべきものだ。少なくとも、理念的には。

それと類似するのがインターネットだ。誰にでも、広く開かれている。漫画村のような無料漫画サイトはやりすぎにしても、インターネットには人間が一生かかっても享受しきれないだけのコンテンツがあふれているのは間違いない。

AIで「嫁を作る」行為は、どこか狩猟採集に似ている。
インターネットに転がっている、無数の材料を渉猟し、めぼしいものをより分け、実験し、加工し、料理する。出来上がったものは、自分の生活を豊かにしてくれる。うまくいくことも、うまくいかないこともあるが、試行錯誤の中に喜びがある。

そこに「他の誰かとのニーズの調整」という要素は、あまりない。

「AIで嫁を作る」というのはディストピアめいているが、実は、人間関係が取引化している現代のほうがディストピアなのだと考えることはできまいか。現実の人間関係の外側が喪失していること。「他の誰かとの人間関係」以外の場所で、何かを得ることができなくなっていること。交通事故のように、他者との関係が構築されることの難しさ。

「誰かとニーズを調整する」ことの外側で、新しい誰かと人間関係を構築できる手段が、今、「AIで嫁を作る」以外にあるだろうか?

いや、もちろんあるのだろう。
私がただ引っ込み事案で人と出会うのを恐れているだけで、街に出れば、いろいろな可能性が、様々な出会いが広がっているに違いない。

しかし、自宅でインターネットで拾ったプログラムを動かし、新しい技術を試してみる方が気楽だし、面白い、という気持ちが今の私の中にあるのも否定できない。「誰かとニーズを調整する」以外の手段で、「他者」に出会うことができる、という体験は、近ごろ味わっていなかった、面白い体験だと思う。

あと少し、この技術の魅力を味わっていよう。


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