見出し画像

コーチングはカウンセリングと何が違うのか

最近、「コーチングって、カウンセリングと何が違うんですか?」という質問をよく受ける。

わたしがエンジニアを勤めているオンラインカウンセリングのcotreeが、コーチングのサービスを始めたからだ。

コーチングとカウンセリングの違いを定義するのは難しい?

今まで、私にとってこの質問は、とても回答に困る質問であった。

ある時は、「カウセリングが"マイナスから0へ"を目指すとすれば、コーチングは"0からプラスへ"を目指す、という違いがある」と答えていたこともある。確かに、カウンセリングとコーチングという言葉のイメージの違いは伝わるのだが、いつも、何かごまかした回答のように感じていた。

[カウンセリング コーチング 違い]でググって見つけたこの記事では、コーチングは「質問によって目的達成や自己実現のプロセスを支援する」もの、カウンセリングは「問いかけにより精神的な問題の原因を探し、解決への援助を行う」もの、と書いてあった。

だが、cotreeで提供しているカウンセリングやコーチングのことを考えると、この定義が常に当てはまるわけではない。特に精神的な不調がなくても、より自己実現を目指すとか、体調を万全に整える、より元気になる、などの目的でカウンセリングを利用しているユーザさんはたくさんいる。逆に、コーチングの中で、"自分が前向きになれない原因"を突き止めるフェーズや、自己理解を深めるフェーズに入ることもしばしばある。

つまり、コーチングの中でカウンセリングっぽい関わりをすることもあるし、カウンセリングの中でコーチングっぽい関わりをすることもあるのだ。そして、優れた支援者(カウンセラーorコーチ)であるほど、両方の技法や観点を使いこなせるように思う。

こんな調子で、「コーチングはカウンセリングと何が違うのか」について真剣に考えると、難しい問題に突き当たってしまう ※1。コーチやカウンセラーにも話を聞いて情報を集めていたのだが、どうもこの質問、きちんと答えようとすると、実際に両方のセッションをやっているカウンセラーやコーチにとっても難しい質問らしい。前提からやることまで全部違う、と答えることもできるし、かなり似たようなものだ、と言うこともできる。やっている実感としては別物だが、何が違うのかを説明しようとすると難しい、というものらしい。

そんなわけで、コーチングとカウンセリングの違いについて、ずっと悩んでいたのだが、コーチングを受けてみたり、コーチに話を聞いてみたりして、今のところの自分の中の暫定解が出た。

エンジニアである私が、コーチやカウンセラーを差し置いてこういう意見を述べるのもおこがましいかもしれないが、他の人の思索の参考になればいいかな、くらいの気持ちで投稿してみる。 


カウンセリングとコーチングの最大の違いは、"場の規定"ではないか

結論からいえば、コーチングとカウンセリングを分ける最大の違いは、「コーチングと呼ぶか、カウンセリングと呼ぶか」だ、というのが私の意見だ。

別に謎掛けをしているわけではない。セッションを受ける人が、「コーチングをやりたいです」とセッションの場に来た時と、「カウンセリングをやりたいです」とセッションの場に来た時で、「この場はどういう場なのか」="場の規定"が変わる。そして、"場の規定"の違いこそが、クライアントに提供する価値を決定的に変える要因なのではないか、と私は考えている。


"場の規定"=その場の何に関心を当てるか、どのように受け止めるべきかを規定する

"場の規定"とは何だろうか。

以前、"態度"についての記事を書いた。

"態度"とは、相手が心の中に何を持っていると信じるのか、相手のどんな側面に関心を寄せ続けるのか、ということである。そして、その態度の違いが、得意とする対人支援のあり方に深く深く関わっており、ひとつひとつの声かけや質問の仕方における土台となっているのだ。

"態度"というと、カウンセラーやコーチ個人に紐づくものと思われるかもしれないが、実は、"場"も"態度"を持つと私は考えている。すなわち、"場"はその場にいる人が心の中に何を持っていると信じるのか、その場のどの場所・どの側面に関心を当てるか、その場にいる人たちがそれをどのように受け止めるべきか、を規定する

例えば、"結婚式"という場を考えてみよう。"結婚式"という場は、"結婚する二人を祝福する"という目的に基づく場であるから、新郎と新婦の心の中に「これから結婚しようという前向きな意志」がある、という信念の上に成立している。また、"結婚式"という場は「新郎と新婦が一緒になるという幸せ」がその場の関心の中心となって進行される。

逆に"葬儀"という場では、"故人を亡くした悲しみ"が場の関心の中心に置かれるだろう。たとえ悲しくなかったとしても、"悲しみ"があるはずだという前提で式は進行する。もし、あなたが結婚したばかりで、先月パートナーと初めてのハネムーンに行き、そこで見たエアーズロックの景色が言葉にできないほど綺麗だった、という喜びの体験を語りたくてしょうがなかったとしても、この場では話すべきではないとされるはずだ。


コーチングという場の規定

さて、上記のように考えた時、コーチングとはどのような場の規定を持つ場なのだろうか。

まず、クライアントにとって、コーチングという場は目的達成や自己実現のための場である。

だから、コーチングという場は、クライアントの中には、何らかの達成したい目標や形にしたい想いがあるはずだという前提を持っている。あなたが、「私にコーチングをして欲しい」と言ってコーチングの場に足を踏み入れた時、あなたは、"何か達成したいことがある人"として扱われる

そして、コーチは、あなたの"何かを達成したい気持ち"をサポートする役割を負う。コーチングは基本的には"問いかける"だけで、あなたの代わりに何かの問題を解決したりはしない。「あなたには"何かを達成したい気持ち"があるはずだ」「あなたの中には、より良い未来を想像する力と、その未来を実現せんとする意志と、その意志を形にできる行動力が(今は気づいていなくても)あるはずだ」という信念が、コーチングという場を支えている。

この"場の規定"の違いこそが、カウンセリングとコーチングを分ける最大の要因だと思うのだ。


「じゃあ、いつまでにやりましょうか?」

cotreeがコーチング事業を始めるにあたり、メンバーもコーチングを体験しようということになったので、私も、茂木コーチのコーチングを受けてきた。

茂木コーチの記事はこちら。

茂木さんのコーチングを受けると、最初に「今日この場に期待していること」について質問された。「あなたはどうなりたいですか?」「あなたのやりたいことは何ですか?」「このセッションが終わったらどうなっていたいですか?」とも質問された。

コーチは、とにかく"質問"する。特にセッションの序盤は、"意志"を尋ねる質問がたくさん出てくる。コーチングという場は、"目的達成や自己実現のための場"であるから、コーチが最初にやることは「あなたはなぜこの場に来たのか」「あなたの達成したい目標は何か」を知り、関心を寄せることなのだという。

やりたいことを共有した後は、今の現在地についての質問、そして今実際に行動していることについての質問を受けた。その後のコーチングの中で私が一番印象的だった質問は、「じゃあ、いつまでにやりましょうか?」という質問だ。目的に向かって行動していない理由をずっと話し続けていた私に向けられた、鋭い質問だった。

こうやって文字で書いてみるとかなりキツい質問のようなのだが、実際に言われてみると、「たしかに! 時間軸について自分に問いかけたことはなかった!」というハッとした気持ちになり、嫌な気持ちはしなかった。


矛盾する気持ちの中で、それでも、あなたの"目標を達成したい意志"に関心を寄せ続ける

kindleで買った「マンガでやさしくわかる学習する組織」をペラペラめくっていたら、構造的対立という概念が載っていた。

しかし、自分自身の能力向上は、一筋縄には行きません。図4‐2はその様子を示しています。片方で創造的緊張が前進に向けて引っ張りつつも、もう片方では感情的緊張の引っ張り戻す力が高まる様子を表します。つまり、ビジョンに近づけば近づくほど、その達成を阻害するより強い感情的緊張が働くのです。

小田理一郎,松尾陽子. マンガでやさしくわかる学習する組織 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1451-1455). Kindle 版.

画像1

一番上の、ゴムでひっぱりあうような図を見て欲しい。この図のように、人の心の中には「目標を達成したい気持ち」があるのと同様、「目標達成を阻害する気持ち」もある。しかも、「目標達成を阻害する気持ち」の力は、ゴールに近くほどに強くなる、という。

人の心の中は、いつだって、矛盾する感情や欲望が渦巻いている。目標を達成したい気持ちがあっても、いつだって、目標達成を阻害する"裏の気持ち"がある。だが、それでも、コーチは、クライアントがこのコーチングの場に足を踏み入れた意志が本物であると信じる。その人が"何かを達成する"ことを望んでいることを信じ、その意志の形を明らかにし、実現に近づけていくために必要な問いを投げかけ続ける。それがコーチングという場の価値だと思う。

「じゃあ、いつまでにやりましょうか?」という質問は、まさにこのコーチング特有の"場の規定"の上に成立する質問だと思う。「このコーチングの場にクライアントの私が期待していることは、私の中の"達成したい気持ち"に関心を寄せ、真剣に向き合ってくれることだ」という前提、コーチの「それでも、あなたが言った"やりたい!"という気持ちを信じる」という強い態度が「じゃあ、いつまでにやりましょうか?」という鋭い質問を可能にしている ※2。


表出された意志、表出されない気持ち

人の心の中は、いつだって、矛盾する感情や欲望が渦巻いている。このような人間観、すなわち、「自分の目標に進むためには、それを阻害しようとする自分の無意識や裏の欲求・感情に目を向け、向き合う時間を持つ必要がある」という考えを重視する点で、コーチングは、カウセリングと似た前提、似た思想の上に成り立っている。

だが、コーチングが比較的、表出された意志に関心を寄せることを重視するとすれば、カウンセリングは比較的、表出されない気持ちに関心を寄せることを重視する、という傾向の違いがあると私は考えている。

茂木コーチが、セッションの最初に「あなたのやりたいことは何ですか?」「このセッションが終わったらどうなっていたいですか?」という質問をし、そのあとのセッションをその言葉を指針に進めていくように、コーチは意志を表現することを重視するし、それによって表出された意志を重視してセッションを進める傾向にある。

一方で、"態度"の記事でも書いたことだが、カウンセラーは、しばしば、クライアント本人が存在を認めたくない部分や、気づいていなかった裏の気持ちに関心を寄せてくる。カウンセリングはしばしば"沈黙"を重視する。表現しえない、形にならない"何か"を重視する。矛盾する気持ちの中で、形を与えられることなく、消えていきそうな"何か"に関心を寄せる。本人が否定しようとしていた気持ちに関心を寄せ、光を当てる。


"表出されない気持ち"とコーチング

ならば、コーチングは、表出されない気持ちを無視する場なのだろうか? いや、そうではない。

人間だから、誰だって自分の意志がわからなくなることはある。コーチングのセッションの最初に「あなたはなぜこの場に来たのか」「あなたの達成したい目標は何か」を尋ねられても、まだ自分がどうなりたいかわからないんです、という時もあるだろう。そもそも、それを知りたくてコーチングの場に来ました、という時もあるだろう。

その場合は、コーチはあなたの中にある「目標を明らかにしたい気持ち」に関心を寄せることになる。人の心の中は、いつだって、矛盾する感情や欲望が渦巻いているから、達成したい"何か"の形を知るためには、矛盾する気持ちのカオスの中に飛び込まなければならないこともある。達成したい"何か"は曖昧であり、たまに形を変える。一度、私のやりたいことを表現して目の前に並べてみても、「本当に自分がやりたいことはこれなのだろうか?」という疑問が生じてくることがある。その疑問に目を向けることは、自分の"気持ち"の本当の姿を知ることにつながっていく。今は気が付いていない自分の動機に立ち戻り、ゴールを再設定すること。人の心という混沌の中に、それが暫定のものだとしても、目指すべき"ゴール"を立て、現在とゴールの間に、辿るべき"物語"を描き、少しずつ自分のやりたいことを精緻にしていくことを、コーチは助けてくれる。

「あなたには"何かを達成したい気持ち"があるはずだ」。コーチがたつ前提はそこにある。あなたの中に、"何かを達成したい気持ち"があることを信じ、丹念に質問を重ねていくこと。様々な矛盾する気持ちに揺られる中で、あなたの中の"何かを達成したい気持ち"が発露し、現実化される状態にすること、その意志に関心を当て、その意志が"表現"されるまでの道筋を整えること。コーチングとはそのような場なのではないか、と最近は考えている。

----------

※1 カウンセリングに関する書籍の中には、カウンセリングと心理療法を別の概念として区別して説明している本もある。

ここで少しカウンセリングと心理療法の違いについて触れておこう。両者は実際の行為としてあまり違わないが、クライエントのどの側面に焦点を当てるのかが違うといえる。カウンセリングはクライエントの健康な側面に焦点をあててそれを増幅し、問題を解決し、精神的成長を促そうとするものである。一方、心理療法はクライエントの病理的側面に焦点をあてて、それを除去し、健康を回復することに主眼をおくものである。

玉瀬耕治「カウンセリングの技法を学ぶ」P 12 より引用(強調は筆者による

この定義に立つと、もはやカウンセリングとコーチングは同じものではないかと思われてくるが、カウンセリングと心理療法は「実際の行為としてあまり違わないが、クライエントのどの側面に焦点を当てるのかが違う」という説明は、本記事と同根の主張である。心理療法にしても、カウンセリングにしても、コーチングにしても、お互いの領域に被りまくっているので明確な区別は難しいが、「クライエントのどの側面に焦点を当てるのか」をアイデンティティとしている、ということは言えるのではないかと思う。

※2 私がコーチの方々を見ていて一番すごいなぁと思う点は、まさにこの「鋭い質問をする能力」である。コーチの方々はしばしば「エッ、それ大丈夫?」と思うような鋭い質問をするのだが、 それは様々な前提や態度、観察力などの上に成り立つ、繊細なバランスに支えているらしい。コーチングを受けると、この手の鋭い質問を他の人にもしたくなることがあるのだが、そのバランスを見極められない素人が形だけ真似するのは危険だな、と反省する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?