見出し画像

勝手に空堀の記憶~過去現在未来~

(2022/11/4 コワーキングスペース往来にて)

高津宮アートギャザリング&コワーキングスペース往来で「空堀の記憶」アーカイブを使った展示からの企画

「勝手に空堀の記憶」ということで、本家本元の「空堀の記憶」企画発案者であるコワーキングスペース往来店主Uさんの空堀エピソードを。聞き手である私とUさんは、共にからほりまちアートのスタッフとして活動し、互いに空堀のいろいろな活動に関わってきた友人でもある。今回、彼の空堀暮らしのステージが変わるかもしれない、ということでエピソードをまとめるため、話を聞くに至った。当日は、イベント化してリアル&オンラインで約10名ぐらいの人に聞いてもらいつつ実施。


初めて空堀を訪れた日

Uさんは大阪市東住吉区の生まれ。大阪市内に生まれ育ったけれど、身近だったのは近鉄電車と環状線ぐらいで、大阪の地理もよくわかっていなかったとのこと。2000年、大学生になった時、四天王寺の近くで一人暮らしを始める。

そんなUさんが初めて空堀を訪れたのは、2002年大学3年生のころ。
大学では音楽サークルに入っていた。このサークルは演奏を楽しむサークルではなく「好きな音楽を紹介する」フリーペーパーの発行や「ライブの企画やレポート」などの活動を行っていた。こういったサークルの特徴もあり、音楽をはじめとする様々なチラシに触れる機会が多かったとのこと。その中でみつけたのが「からほりまちアート」のチラシ。
気になってイベント当日に訪れたのが初めての空堀。(と思う、もしかしたらその前に惣に行っていたかもしれない…少し記憶があやふや)
からほりまちアート(第2回)では、マップを見てまちに点在するアート作品を見て歩いた。イベントが面白かったので来年も行きたいから覚えておこう!と思い、空堀を後にする。

からほりまちアートに出展

ちゃんと覚えていたからほりまちアート。次の年(第3回)もその次の年(第4回)もイベントのため空堀を訪れました。

ところが、3回目に訪れた第4回からほりまちアートの様子を見て、事情はわからないけれど、これまで訪れた時よりもイベントの規模が小さくなったな、という印象を受けたそう。
「このままなくなってしまったら嫌だ」という思いを抱き、関わりたいと思うようになるのがきっかけ。

参加者でありUさんの友人でもあるSさんから「からほりまちアートに恋しちゃってたんだね」というコメント。
好きすぎて、勝手にmixiにファンコミュニティ「からほりまちアート」を作るぐらいの勢いだったといいます。(もちろん私も入っていた)

少し話かわって、当時の空堀の風景の中で印象的だったもの。
現在は、練の斜め前にあるタワーマンションになっているが、「松屋ビル」というふるーいビルが建っていた。廃墟感のある建物で、気に入っていたので、そのビルの写真を名刺にしていた。解体前にはイベントもやっていたので、思い出深い人もいそう。

まず、アーティストとして関わる

2005年の第5回からほりまちアートで出展者の公募に応募し、初出展を果たすことに。大学で映像サークルに入っていて、映像を撮り始めていた頃でもあった。
ちなみになぜスタッフではなく、出展者だったのか、という理由は、公募していたのが出展者(アーティスト)だったからとのこと。

初めての展示場所は長屋の2階、2階と言っても屋根裏部屋のようなところでそこにプロジェクターやスクリーンをを持ち込んで映像作品を展示した。自分としては1日目はボロボロだった。手直しをして2日目に納得いく形にできたそうです。長屋がまちなみが連続する、続いていくことをテーマにした映像作品で、撮影したものを逆再生することで表現した。

初出展のあとの打ち上げでスタッフの方と話をした時に出会ったKさん(現直木三十五記念館事務局長であり偶然にもUさんの中高の先輩にあたる)に「来年はスタッフやります」と話をしたのに、次の年になってもいっこうに連絡がなかった、と嘆いてました。

念願のスタッフに

連絡がない、というハプニングもありましたが、2006年のからほりまちアートスタッフとしてミーティングに初参加。

ここから先は

2,929字

¥ 100

サポートいただけると大変うれしいです! 空堀のお店に貢献するために使いたいです。