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文化の日

文化の日について、いろいろ書いてあるが、つまりは、明治天皇の誕生日である。

昨日は語呂合わせで、書道の日だった。語呂合わせが納得いかなないが、なんだか文化の日に相応しいような気がしている。中国三筆といえば、王羲之、顔真卿、欧陽詢。
今日は顔真卿について、少し書こうと思う。
父は顔惟貞である。班漢に通ずというから、漢書を家書とし代々官吏を輩出するお家柄だったというが、この父、惟貞の交友関係をみると、相当な大人物で社交家だったように思える。
賀知章、殷践猶、陸象先などと交わったという、原典をくまなく探してみたが残念ながら、見当たらなかったが賀知章は、飲酒八仙に見える酒豪だ。

知章騎馬似乗船
眼花落井水底眠

馬の手綱さばきが、船のようにフラフラとしていて、酔眼もうろう井戸に落ちて水の底で眠ってござるというわけである。
しかし、こうした強者と付き合っていた父は顔真卿の幼き時分に早世してしまう。母の手でおそらくは厳しい躾で鍛えられたのか、真卿はずいぶんと堅物に成長したようである。科挙の進士に及第という天才で、文詞秀逸科に進むことから高級官僚を命じられていた。
ところで、肝心の字を誰から習ったのかといえば張旭である。この字の先生も実は酔っぱらいで、やはり飲酒八仙に見えるのである。

張旭三杯草聖伝
脱帽露頂王公前
揮毫落紙如雲煙

3杯酒を引っ掛けて、草書の極意を伝え、貴人の前でも禿頭を晒し、筆を揮(ふる)って紙に落とせば雲や霞が沸き起こる。。。
まるで酔拳だ。こうした酒飲みとの対峙は父譲りなのだろうが、終生この出会いは忘れらなかった。さすがは顔真卿、酔っぱらいの字の中に人並みならぬ才覚を見てとり、その書法は細心にして整えられていて、この境地には到達すまいとやや謙遜を込めて書いている。

 そうした酔っぱらいの扱いに手馴れていたのか、硬骨の官として遺憾なく発揮される。天子の警護を役目とする李延業が、外国に外遊を繰り返して、宮廷に招宴してだべっているのを、顔真卿が咎めた。李延業が朝堂で喚き散らすのに怯みもせず、この不埒な所業を上奏した。
 殿中侍御史に昇進した顔真卿は、上司の宋渾が、吉温と崔珪の恨みをかって流罪となった。これを 顔真卿が咎め「なぜに一時の怒りをもって窮地に陥らすような不公平な裁きをするのか」と迫った。(この下りの後日談では諂いをみせる顔真卿の言葉もあり、残念な事実として残っていたりもするのだが、、、)吉温は、楊国忠になりふり構わずとりいって出世を掴んだ人物である。楊国忠とは、楊貴妃の従兄で、玄宗皇帝の寵愛を受けていた。この影響で楊国忠とも不仲になり、その後、左遷人事が繰り返されることになってしまうのである。平原太守を命じられる顔真卿に、岑参は「顔平原を送る」という詩を残している。

  天子念黎庶,诏书换诸侯。仙郎授剖符,华省辍分忧。
  置酒会前殿,赐钱若山丘。天章降三光,圣泽该九州。
  吾兄镇河朔,拜命宣皇猷。驷马辞国门,一星东北流。
  夏云照银印,暑雨随行輈。赤笔仍在箧,炉香惹衣裘。
  此地邻东溟,孤城吊沧洲。海风掣金戟,导吏呼鸣驺。
  郊原北连燕,剽劫风未休。鱼盐隘里巷,桑柘盈田畴。
  为郡岂淹旬,政成应未秋。易俗去猛虎,化人似驯鸥。
  苍生已望君,黄霸宁久留。

前半こそ、表向きに、顔の旅立ちを美辞麗句で飾るが、どこまで本心か・・・郊原は北の方燕に連なり、剽劫風未だやまずとある。
燕は安史の乱が起こる土地であり、前途の暗雲を憂いているようにも読めるからである。

 安史の乱については、あまりに有名なので、私の筆で濁すことは避けよう。顔真卿が果たした役割は、地方官吏として安氏と史氏の反乱に精一杯の抵抗をみせたのである。ただし戦況は思わしくなく、唐の長安から玄宗皇帝は楊貴妃と楊国忠を伴い成都を目指して出奔する。その道中、楊国忠は惨殺、楊貴妃も殺される。「資治通鑑」には、その様子が書かれているのであるが、756年に顔真卿は平原を後にする。この記述に続いて史思明の捕虜となった張興についての記述がある。史思明は張興の抵抗を意気に感じ、味方になれと諭すのであるが、”わしは唐の忠臣、降伏などできない、今や数刻の命、くれてやるがその前に一言吐いて死ぬ覚悟だ”と言い放つ。”言ってみろ!”と史思明。”天子さまが安碌山を遇せられること、その恩義は父のごとし、にもかかわらず、なんと兵を挙げて宮城を虎視眈々とつけねらい、生民を塗炭の苦しみに陥れた、そんな燕の巣のような安泰のない国は長くは持つまい。”というと、思明この張興を木に縛り付けて、鋸で切りつけた。それでも怒りが収まることなく絶命するまで面罵してやまなかったという。
 ひょっとすると、顔真卿も同じ目にあっていたかもしれないのだが、、、
陳垣氏の通鑑の注記があり、抗日戦争期の日本への反逆の徒としての心情が綴られている名文である。その中には張興の記述があるが顔真卿については記述がない。硬骨の官で唐の忠臣として反抗を続けつつも、やはり土壇場でうまいこと逃げおおせたみたいな解釈が成り立たなくはないという人もいる。

 さて、先へ急ごう、安禄山は757年、つまり顔真卿が平原を去った翌年に、あえない最期を遂げる、視力を失った安禄山は、粗暴行為をし手に負えなくなっていた。それを息子の安慶緒が腹を切り裂いて討ったのだ。
平家物語の冒頭、「祇園精舎の鐘の声」で始まる有名な文章に「たけき者もついには滅びぬ。ひとえに風の前の塵に同じ、遠く異朝をとぶらえば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山、これらは皆、旧主先皇の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民間の愁ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり」と断じられている一幕である。安慶緒が後をついで大燕王朝の皇帝になったこの頃、顔真卿は鳳翔に赴任した。鳳翔とは、長安から逃れた唐の朝廷機能が置かれた場所である。(そういえば同名の日本空母があったらしいが、どういった名の由来か。)ここで、顔真卿と当時長安で幽閉されていた杜甫が逃げてきてこの地で会うのである。杜甫は幼馴染が宰相を罷免されたのを不服に思い上表するのだが、顔真卿が御史台の長官、論旨がデタラメであるとこれを却下したのである。相変わらずの硬骨の官ぶりであるが、あまりの硬さにまた左遷されてしまう。そしてこの頃、8年に及ぶ安史の乱は、ウイグルの応援もあり、ようやく収まるのである。
 地方長官を歴任する中、浙西節度使となった顔真卿は文化人と多く交わり、その中には茶の陸羽や、張志和などもいた。

張志和、字子同、唐金華人、母夢楓生腹上而生、粛宗擢明経、賜名志和、命待詔翰林始名亀齢、兄名松齢、後視喪不復仕、遨遊江湖、自号煙霞釣徒、又号玄真子、垂釣不設餌志不在魚也、善画、飲酒三斗不酔、守真養気臥雪不寒、入水不濡、与陸羽顔真卿友善、真卿為湖州刺史、時日相唱和、真卿遊平望駅、志和酒酣舗席水上、濁座而酌席来去如舟、俄有雲鶴旋後其上、真卿僚佐観者莫不驚異、逐揮手謝真卿漸昇而去

 父さながらの豪遊ぶりが伺える。
こうした思い出とともに、浙西を去り長安に戻る、70才になったので慣例に従い、引退を申し出るが叶わなかった。「世系譜」を記すのはこの頃であるのだが、晩年になって自分のアイデンティティを振り返り、終活へ向かおうとしていたのではなかったか。。。しかし、晩年になってもなお、硬骨漢ぶりに変わりがなかった彼は、宰相の盧杞と衝突して、また左遷されてしまうのだ。
その人事が言い渡される際、「宰相の父上(盧奕)の首が平原に届いた時、私は顔の血糊を衣で拭うに忍びず、舐めて差し上げたが、それでも許してはくれないのか!」と言い放ち火に油を注いだ。逆恨みした盧杞は、李希烈が反乱を起こし汝州を攻め落とすのをみるや、これを諌めてこいと派遣するのである。李希烈は李元平をして、幽閉した顔真卿を説得してみろと命じられる。李元平は汝州を守っていた人物であるが、捕虜となるとき失禁するという失態を演じていた。顔真卿が李元平に「汝は国の委任を受けながら命を捧げることもなかった。」とバシバシ説教を垂れて、元平はこれを恨んで希烈にいいように文句をつけ、長安に追い返そうという気でいた希烈を諌めた。
 長安も真卿が捕らえられているのを知っていて、張薦 は長安に人質にとってある希烈の親族と引き換えにしてはどうだという意見を出すが、この意見は盧杞によって握りつぶされてしまう。
 蔡州の龍興寺に移送されていた顔真卿のもとに使者が放たれる。李希烈の弟が長安に殺された報復のためだ。使者は真卿にいう「勅命」だと、真卿はこの使者に長安から来たのかと尋ねる。「長安でなく大梁だ」と答えると「ならば逆賊だ。勅命とはなにごとだ」と真卿。ただちに首に縄がかけられ、縊り殺された。

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 複雑な史実でも、漢文だとその仔細を逃さず、あますことなく短い文章で表すことができる。本朝(日本のこと)にも脈々と連なる漢文化。私は技術としても、そして、名文を味わうことを目的としても漢文化を受け継いでいきたい、なにぶん時間がかかるので晩年のことにすべきなのか。しかし、先日引用した柳瀬尚紀(参考note: 世界食料デー)でも書いたが、西洋のことを学ぶときにも漢文は威力を発揮する。やはり、いまから貪欲になるべきである。漢字は中国だけでなく、東南アジア諸国でも通じることがある。ヨーロッパでいうラテン語みたいな感覚だ。原典がラテン語や、中国の漢字から始まっている。そんな文化の源泉を嗅ぎ取る力がほしい。

今日はホルモンの日でもある。
ポテサラがお通しの”みかさ”や、コブクロ刺しで有名な仲屋、李純哲&純峰の双子で営む大阪の”ふたご”などなど、銘店が居並ぶ。
臓物を食らうがごとく、文化の腸(はらわた)を味わい尽くしたい。

※ホルモンについては、参考note: ナイスの日

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<来年の宿題>
・杜甫と顔真卿
・陸羽と顔真卿
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●見出しの画像
顔真卿の書いた顔氏家廟碑
活字かと思ったら顔真卿の書いた楷書であった。


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