現代人の知能は低下しているのか?

最近よく頭の中でぼんやり考えることがあります。それは「現代人の思考力、そして嗜好力」についてです。

思考力とは書いてそのまま考える力ですが、ここで嗜好力と定義するのは「趣味趣向を楽しむにあたり必要な知識を持っているかどうか」です。

ぼんや〜〜り一人で考えていてもいいんですが、せっかくnoteやっているし、ブログみたいなもんですから書いてみたくなりました。ひとりごとにお付き合いください。


嗜好力のない若者たち

さて、巷でよく耳にする「若者の知能低下」については、女児として耳の痛いところではありますが、果たして本当に若者の知能は低下しているんでしょうか。

私(3歳)目線で言えば、そうとも言えるし、そうでないとも言えると思います。

以前ネットニュースで話題になった「ごんぎつね」を例題に考えてみましょうか。

この議論を知らない方もいらっしゃるかと思いますので、簡単に説明いたします。これは「ごんぎつね」の主人公が、母の葬式を行なっていて

大きななべの中では、何かぐずぐずにえていました。

ごんぎつね

と描写されているシーンに対して「何が煮えているでしょうか」という問いが出されました。小学生たちにグループワークをさせたところ「母の遺体」と答えた子供たちがいた。それを受けた記事の筆者は、現代人の読解力たるや、あまりに切ない、と嘆く記事でした。

これに対し、Twitterで反応を探ってみたところ、反対意見が多数を占めていました。(まあネットニュースに対して肯定的意見で溢れているTwitterを見たことないですけど……)

葬式で食事を振る舞うという文化を知らない子供たちは、昔には遺体の処理方法が鍋で煮る方法だったのではないかという考察をしたのでは? そこは読解力の問題ではない。とか、そもそも出題がおかしい とか

まあ他にもさまざまな意見があったのですが、それを読んで私は「ははあ、なるほどな」と思ったのです。

つまり読書において、正しい読解ができないのを非難するのではなく、存在そのものを知らないことに対して知らないと認知することはできない、よって誰かがその知識を授ける必要がある

という、Twitterあるまじきとっても人情に溢れた意見だということですね。

記事を執筆した方はきっと生まれ成長過程において、なんらかのきっかけで「葬式ではみなに料理を振る舞うものだ、現代ではあまりみられないがよくある風習であった」ということを知っていた。

同じように育ってきたはずの子供たちもそれをわかっているはず、なのにトンチンカンな解答へ辿り着くのはきっと話が理解できていないからに違いない。
そういう風に考えたのでしょう。(違うかもですが……)

案外、自分にできていること・自分が知っていることは、人も知っていて当たり前だと思いやすいものです。ですが、筆者の年代であれば当たり前に知っていたことも、現在の小学生にはまるで知らない世界のことなのですよね。

そこでギャップが生まれ、何か趣味嗜好を楽しもうとする際に、自分が知らないということも認知できていない知らないことを知ることが必要になってくるのです。

嗜好力はどう高めるべきなのか

そこまで考えた私は思いました。
「……え、じゃあ無理ゲーじゃね?」と。

そう、無理ゲーなのです。だって知らないということを認知すらしていないのに調べようがないわけです。つまり私は、趣味趣向を楽しむために必要な知識を得るために趣味趣向に手を伸ばし壁にぶつかり知識を得なければならないのです。やばすぎ、めんどくさい。

話変わりまして、先日本を読みました。鳥類学者の方が書いているエッセイ本です。

これ、個人的にかなり面白くて、読みやすくてよかったのですが、読んでいる途中ちょこちょこ出てくる「例え話」は先ほどあげていた良い例です。

例えば、研究のためほぼキャンプみたいな感じで研究地を訪れた筆者が、その場の食料を表すときに「海原雄山もガチギレするような」みたいな比喩表現を使うのです。

ANI●AXで「美味しんぼ」をみていたので偶然理解できて、その一説に爆笑してしまったのですが、その後これって美味しんぼを知らないと「いや誰やね〜〜ん笑」となって、この一節は読み飛ばしてしまうのだろうなとも思いました。

これが嗜好力に当てはまるとするならば、美味しんぼは全話鑑賞しなければなりませんし、ルパンのお決まり台詞は頭に叩き込んでおかねばなりません。

つまり、今後私がもし、鬼滅の刃のネタを取り入れたエッセイを読もうものなら、なんか苦手なんだよなで避けている私は嗜好力がなく、よくわからないおじさんにまたネット記事で「若者はばかだ」と叩かれてしまうわけですね。

いやそんなわけあるかい。

例え私が柱?の名前を言えなくても、水の呼吸ができなくても、知能が低いとは見做されないはず。ただ、なぜか昔の慣習や歴史的事件になると、おじさんがやいのやいの言い出しますよね。

そこで、ごんぎつね筆頭のちょっと古いものを取り扱い、知らないを認知し、学校で学ぶということが必要になるのかもしれません。義務教育はきっと嗜好力を高めるためにあるのでしょう。

美味しんぼは面白いので見るべきではありますけど、それ以上に義務教育で習うような知識がなければそもそもお話にすらならないわけですから、教育って大切だなあと日々思うわけです。

夏休み終わっても宿題提出してなくて、あの頃はごめんね先生。

そんなことをぼんやり考えてお風呂から出たらこんなこと考えていたことすら忘れちゃうわけですけど、本を読むためには本を読まなければならず、でもそれを苦とする人はそもそも本を読むのに向いていないんですよね。

だって本をもっと楽しみたい!と思える人は、本が好きな人ですから、好きならもっと読むし、その分知識も増えてもっと楽しめる。好きって偉大ですね。

ただ好きも最初の一歩は何気ないもんですから、あまり知らないを目の敵にせず、優しくしてもらいたいもんです。そして、逆にいうと少し苦に思ってもそれを続けるうちに好きになることもあるのですから、あまり食わず嫌いせずに行きたいですね。戒め、戒め。

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