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日々是徒然『人形歌集 羽あるいは骨』 川野芽生 人形◆中川多理/中川多理展「廃鳥庭園~Le Jardin abandonné」頌 ②

「廃鳥庭園~Le Jardin abandonné」の一つ前の展覧会は
白堊のPassageパッサージュ/過去と未来――[時の肖像]/『薔薇色の脚』中川多理人形作品集 出版記念展
であった。ある種、山尾悠子とのコラボレーションのエンドロールでもあり、また来たるべき疫病と災禍の予兆のなかで、現在を過去と未来の狭間に杭打ちするような、あるいは座標軸を確かめるような、意味合いもあったように見られる。
 鳥越神社裏、九陽ビルの倉庫galleryに夜、12の函が運び込まれ、それぞれに白堊の人形が収められていた。中川多理は、COVID-19の間にビスク製作の準備・実験を進め、短期間でビスクの創作人形を発表できるところまで手をすすめていた。
 荷受け確認のために梱包は仮に解かれ、人形の数が数えられ受納印が押されたと報告があった。函から覗いた、人形の肌理はこれまでの表面質感とさほど差はないように見えた。展示のcontéを変えなければとの危惧もあって、作業は翌日に持ち越すことにして、その夜は解散した。

 その日、人形と夜明かしをすることにした。
改めて、数を確認して一つ、二つと数え続けていくと、函の中から物じゃない人称で呼びなよ。という声がした。そうね。確かに。いつもは、この子、とか人のようにしていたのに、何故、[個]と数えたのだろうか、しら…。ビスクに変えてオブジェ性がましたのだろうか。
実際には物質である人形が、…[ひとがた]として機能したり…特にひとの代わりをすることは、今でもよくよく目にする…が、それにしても真に不思議とは裏腹に、安っぽい小説や映像の中での出来事ばかりが語られるのにうんざりしていたこともあるけれど、言葉によって人形を伝える、表記することの不可能性をつくづくと思いながら…それにしても人形についての無神経が言葉や、書く人の自己愛のみが投影されている言葉や写真が多い。

 閑話休題さて
 この時期、朝は、比較的早く訪れる。灯とりの天窓の半透明のスレートから陽がさし込んでくる。柔らかく。梱包の薄葉紙から覗いている人形の骨が、すっと光を透過した。ビスク独特の光の反応があって…人形の奥で光は跳ね返って、皮膚の位置で混淆する。
 ビスクだ。紛れもなく。過去の人形の表層と特質をもちながら此の人形は、やはりビスクの人形でもあるのだ。
 その時、決意が自分に到来した。
人形にまつわるこれまでの言葉から、そしてその言葉の運用から開放して、何ものでもない、誰でもない、誰のものでもない、云えば、No-nameの地平から(相互に)この人形たち——はじめられないものだろうかと。
 現実、No-nameの地平は不可能性を帯びている。
最低でも、「新しい言葉が必要だ。この人形たちには」
思いは千々に乱れるけれど、思考も作業も焦点をもてない。

たとえば、ほんとうにたとえばの話だけれども、
 パレルモの木乃伊達のように名もない状態でこそそのものたちの個性は見てとれる——その状態。
(以前、萩尾望都さん一行とパレルモで8000余体の木乃伊を見たことがある。そこには世界一美しい少女(木乃伊)がいると。細かい話は書いたので端折るが、職業別に並んでいる木乃伊は、元々、名もあって個性もあって信仰もあっての人であった。名はここでは何も機能していなくて…それでもこんな人だったのではないかとか、死ぬ間際にこんなことを思っていたのではないか…とすら窺い知ることができる。生きていたら、名を持って自分の前に立っていたら、そこまで窺うことはできない。8000体全部にそれぞれの個性が読み取れる。優れた暗黒舞踏の舞台を見ているようだ。死と光を同時に懐胎したまま屍体となっている…。)
人形も一体ずつ個性がある。そこに持ち主なり、手あかに汚れきり擦り切れまくった言葉が付加されることで、見え辛くなるものがある。それが個性を無視した、人形というものは、少女人形というものは、というある種、時間によって堆積されたハラスメント…パワハラだったりセクハラだったりするその意識と言葉によって侵犯され、それを褒め言葉とされたりする。ハラスメントの最大は、そのような褒め言葉でもある。

 川野芽生は、そのように使われてきた言葉に対して認知を強くもっている歌人・小説家であり、なおかつ中川多理の人形を見つめてきた人でもある。「歌を詠んだりできますか?」は、当然の誘いであり、ある種の挑発でもあった。正直、難しい要素もあるかも…と思っていたが、待ってましたと云わんがばかりの返事に驚いたが、それよりもすっとした口調で詠まれた歌の素晴らしさ…先ほども云ったスピードとクオリテイにも…にも舌を巻いた。
 以降、自分は、機会とメディアを用意することに徹していこうと思っている。でき得れば、もっと広くもっと多様に。才と意識ある人に関与しながら…。


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