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戦争を読む/『西瓜とゲートル』○桑原茂夫

 浅草橋算数塾で久しぶりのイベント、パリペキンレコードの虹釜太郎さんが、お茶でDJをする——とは聞いていないが、パリペキンだから、そんな感じかなと勝手に思って、連れ立ってでかけた。何ヶ月か引き籠っていると、面倒見のいいSが引きずりだしてくれる。人生の相談相手にしてボクの知らない文化を体得しているS、音楽とか映画とか…もちろん文学も。
 虹釜さんがいろいろにブレンドしたお茶…炭酸水(市販の)で割ったハーブティー——とか、いろいろ、が、紙コップで次々に出てくる。teaDJだ。ほんとはボクもそんなことをして、頽廃してかないとだけれど、頽廃もできずぐずぐずして…そのお茶を啜りながら、Sに向って大連の都市風景について延々と話して何かをごまかそうとしている。自分の気持ちの何かを…。
 Sは、僕に桑原茂夫の話をし続ける。外は雨が降ってきた。やらずの雨か。ボクは傘をもってこなかった。桑原茂夫は「別冊現代詩手帖」で泉鏡花、ルイス・キャロル、上田秋成を特集している。ボクは今も宝物としてもっている。新しい事務所の机のすぐ後ろの本棚に入っている。もしかしたら雑誌と云う形式を通して最も影響を受けた人かもしれない。「アリスの絵本」(牧神社刊、高橋康也、種村季弘)の編集も素敵だ。1976年。唐十郎と総合芸術誌「月下の一群」を編集してカマル社という、超マニアックな出版社を起す。
 Sは、ボクと桑原茂夫とをからませて、ボクの今の気分を少しでも払おうとしている。たぶん。Sは弱くなっている人間を心配してくれる数少ない面倒見の良い人だ。桑原さんとなんて、畏れ多くて絡み具合が分からん。そんなんで、適当に逃げていた…けれど、Sはそんなことでめげない。平気な顔をしてまた桑原さんと…なんて話しかけてくる。ほんとにそれで自分は助かっていると云うか、まだ世に微かにでも存在していていいんだと思えるので、ありがたい。
 算数塾が混んで来たので、雨の中を古本屋巡りをする。新しい古本屋があって…Sってなんでこんなに、ローカル情報に強いんだろう、山谷のカフェスタイルの映画館にも良く出入りしている…浅草橋も離れて2年くらいなので、路地の感じはだいぶ変化している。何冊か見たことのない本と雑誌を買って、その日は終了。別れ際にSは、これっと言って、『西瓜とゲートル』桑原茂夫を渡された。
 帰る道々読んで吃驚した。こりゃ道々は失礼だと、コメダ珈琲に入って、一気読みした。一気読み久しぶり。
で、基本読んでもらいたい。そういう凄い本。説明したり評したりするには、ちょっと手に負えない位、凄い。以上。

と、いう感じだが、ちょこちょこっと摘みながら、できない紹介をちょっとだけしてみる。
 桑原さんのお父さんにある日、召集令状が来た。赤紙というやつだ。受取ったのは戦局切羽詰まっていた頃だったから、真っ赤なはずの紙が、薄紅色だったなんていう、記述もあって、深刻さを吹きとばして颯爽としようというお母ちゃんと、息子、茂夫の奮闘記からはじまる。
 お母ちゃん(桑原茂夫の母)は、旦那を戦争にとられたところから、ずっと鉛筆でメモをとっていた。それが、行李から出てきて、桑原茂夫は、それを頼りに、母親と父親の視点で戦争を振り返り記述する。それがこの本だ。八百屋の颯爽オトーサンが、戦争を経て呆然オトーサンになって戻ってきた、その変貌の理由を戦争に探すのだ。
 切ない家族の話なのだが、戦争がもたらした家族の変貌が余りに悲惨で…そこを強調しないように桑原の筆は必死にかつての颯爽オトーサンを記述するのだが、それはかなり痛々しい。
 自分自身この本をもっと読み砕いて、そこからいろいろ受け止めたいのであるが、そんなに噛み砕けるような事柄ではないのだ。で、いくつか、自分としてはここから考えていくという地点を書いておく。ボクだけのメモみたいなものだ。
 
 今のウクライナ/ロシア戦争でもそうだが、戦争をみるのに、記述するのに、視点の問題は大きい。地政学的。政治的。俯瞰的、歴史的。そして多くない視点が、兵士からの視点だ。砂川文次の小説は、ほぼほぼ兵士、ある程度軍事知識と訓練を受けた兵士の視点、感覚で戦争を捕らえている。これは新鮮と云うより驚愕の視点だ。最近、まとめて読んで、あるいは、ネットで小泉悠や高橋杉雄などと対談して語っていることなどを、聞いて、この視点がある種書けていたがゆえに、もの凄く重要であるということを、知らされた。
 視点がどこにあるのかというのを認知して情報なり、本なりを読むというのは、情報戦が行われていて、SNSが発達している中では、必須のことになる。小説でも、私小説だと云っても、視点がどの地点にあるのかということを認知して受けることがまず第一だ。203高地を攻めた時に、そこに軍医でいた森麟太郎の私小説と、存在していないが、そこで銃弾に向って突進していった兵士が書いた私小説では、その戦争の姿は、違う。それでもその両者の視点が存在していて、戦争はその総体としてあったのだ。
 日本の過去の戦争は、記述が不十分で、中途半端な視点や、結果として戦争遂行者の側の視点に立ってしまう。何で硫黄島があれほどまでに描かれるのか、栗林が立派な将校だったから? 今でも塹壕戦というと硫黄島があげられる。そして今から20年もすれば、ウクライナ、ロシア戦争の今も、塹壕戦として歴史に残るだろう。そのときに、塹壕足や飢餓や生きて帰るなという洗脳による戦法が、どれだけ兵士の命を、それも苦しみのなかで失わせたかということを、兵士の目から記述するという、その視点が欠落している。
 『西瓜とゲートル』——オノレを失った男とオノレをつらぬいた女/桑原茂夫 は、その兵士の視点を想像して息子=茂夫が書いたものだ。オトウサンは語らない。だけれども足はぐちゃぐちゃの状態で帰ってきた。そう書かれていないが塹壕足だ。砂川文次の小説には、寒冷地で行軍をして塹壕足になりかかって手当てをする(ベビーパウダーをかけて乾かす)ことで少し緩和される。韓国の中央日報には、ウクライナ、ロシアともに塹壕で、塹壕足になり、両軍ともに戦闘忌避の気分が盛り上がってしまっていると報告されている。事実だろう。それが兵士たちの戦争の1つだ。オトウサンは、塹壕でなったのか、ゲートルでなったのはかは語らない。しかし塹壕足は戦地から帰ってきてもずっとずっとオトウサンにつきまとうのだ。
 この本は、内容もさることながら、戦争をまたいだオトーサンとオカーサンの人間としての人生——必死に生きるということだけをかろうじて行った二人のことを、まっすぐにみて、メモと資料から、文字にして残したという——その文字化の作業と、あくまでも無理やり戦地に拉致された、八百屋の——素人の兵士の戦中戦後の姿である。
 繰り返しになぐが、この本の凄さと価値は、視点がぶれず地べたの等身大から書かれていることと、それを本という形にして残したということだ。戦争はとまらないまま大きな転機を迎えている。(2023年春)世界のシステムが、あるいは民主主義国家と云っている世界の30%の人しかいない陣営の、このままでの存続が危機に晒されている。戦争はよくないまずいと思いながら、戦争は止まらない。日本が戦争に巻き込まれる可能性もでてきている。そのときに、私たちはどうするのか。戦争を上から、地図から、軍備から見て、あーだこーだとテレビの前で云っていても、戦争はとまらない。最低、戦争を多くの視点で見て、想像し思考するということが、最低限のやることで、そこからしか止まる可能性は生まれない。
 何百万人という人間が死んで、その後遺症を受けて生きていかなければならない人はその何倍にも及ぶ。生きるというのは、一回限り、その人に与えられた機会だ。それが戦争と云う、しかも政治を行う、軍を率いる人の私小説で書き潰されて良いものか。駄目でしょう。
 『西瓜とゲートル』——オノレを失った男とオノレをつらぬいた女/桑原茂夫からは、読み取りたい、もう少し、深く考えてたいことは、たくさんある。しばらくは、机の座右のところにいて、ボクの安易な視点のあり方を、チェック知れくれることと思う。有難う。この本をくれたS。そしてまだ会ったことのない尊敬する編集者・桑原茂夫。

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