見出し画像

清潔と規律を守ることを選んだ日本と、居心地の良い場所を選んだ私

「日本は清潔で、人々は規則や規律を守るよね」

というのが、ベトナム人の日本に対する大体のイメージだ。大地震があったときも、列を成して、配給物を待つ。コンビニなども窃盗が起こらず、人々の教養が成っていると言われた。

それはひとつ、日本が世界に誇れることかもしれない。ただ、規則や規律というものは、融通が利かないものでもある。ノイズと遊びが徹底的に排除される。

街には、例えば公園には、「ボールを使った遊びはしないように」「不審者には気をつけて」、「ポイ捨てしないように」、道路では「商売禁止」「座らないように」、車内には「マナーを守るように」「携帯電話での会話禁止」、要するに、周りの人に迷惑になるようなことはしないように、と。

公共の場は、こういう規律やマナーという名のもと、それを「守れない」、というより「理解できない」人々にとってすごく窮屈な場所になる。例えば、子供たち。そして、日本語が読めない人々。

子供たちにとって、窮屈な場所になるということは、子供たちを連れている大人たちにとっても窮屈な場所になるということ。独身、核家族世帯が増えていくにつれて、国はそんな人々にとって最適化されていくから、清潔で規則や規律を守る人々にとっては聖地、そして大声で泣いたり、騒いだりするのが天命の子供たちの行き場が無くなる。つまり家族の行き場が無くなる。

すごく悪循環だなぁと思う。だって、独身世帯や核家族に最適化された国は、核家族にとっては過ごしやすい世界で、子育て世代にとっては逃げ出したくなる環境。でも、「助けて」が言えなくて、ストレスを抱え込む。

「日本は清潔で、人々は規則や規律を守る」生活をしていた私は、ベトナムに来て、この国で、「結婚をして子供を持つこと」に対する価値観や考えが変わった。普段からバイクの騒音やレストランでは大声で騒いだり歌をうたったりする人々に囲まれ、どこかへ出張へ行くと道中で同僚の大笑いを聞いたり、何より大人が騒がしいから、子供の大声と調和している。大家族同士、グループの会話を大いに楽しんでいるから、子供が騒いだところで「舌打ち」や「陰口」が全く無い。結婚して子供を持つことに対しての「ストレス」というイメージが無くなった。

清潔なのは良いことなのかもしれない。もちろん、ゴミがあふれていて、空気が汚れていて、道路は舗装されていない街は、清潔にはほど遠く、目が痒くなることもある。でも、少なくとも、家族が幸せそうな国は、住んでいて居心地が良い。

そうして、私は、自分にとっての居心地を優先して、今がある。

創造の場所であるカフェ代のサポートを頂けると嬉しいです! 旅先で出会った料理、カフェ、空間、建築、熱帯植物を紹介していきます。 感性=知識×経験 மிக்க நன்றி