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プロローグ伝書鳩

2012年1月22日、まだ少し寒さの残る大阪市役所ロビーで僕は、2日間”まだ評価の定まっていない実験的な取り組みを続ける”34組の関西各地のアーティスト、クリエイター他、様々な若手”表現者”達の活動を紹介してきた「伝書鳩フォーラムvol2〜未来を考える〜」の最終セッション、参加者全員で「未来を語る」の企画者、そして司会進行役として、その場に立っていた。(https://umeda.keizai.biz/headline/1242/)

あらためて今思えば、企画者としては「未来を考える」なんてテーマは、全員で共有するには広すぎるし、語るとしてはあまりに漠然としすぎる。もし今、過去に戻れるとしたら、ぐーパンチで自分自身を殴って”もう少し詳細に”と企画の練り直しを迫っていたかもしれないが、でも、やっぱりできないかな?とも同時に思う。

それはこの時、大阪市政の変化、橋下新市長就任に伴う事業の総見直しで、この「伝書鳩」が事業途中で終了する事がほぼ決まっていたからだ。(この2ヶ月後に正式終了)

そう決定された事自体が企画者として悔しくないかと言えば、そりゃ多少はそういった思いはあった。とはいえ”恨み節的”な執着を伴うものでもなかった。それでも”せめて最後の幕引きは大阪市のお膝元、この大阪市役所のロビーで、全員で未来を語る事で次を発信し繋げたい”そんな企画者としての意地を、この時の僕はテーマ「未来を考える」に込め、この場に立っていたからだ。

参加者には気づかれないように、精一杯明るく司会役として振舞いながら「これから始まる未来」を全員で語りつつ「終わりを迎える」これまでの伝書鳩の事を一人胸中で考える。

30才の時に”評価の定まった事にしか価値を見出せない”銀行員の仕事に疑問を感じて、家族や会社の友人たちに反対されつつ、2007年に大阪は黒門市場の中に仲間たちと「アトリエ輪音(わおん)」という拠点、そしてNPO輪音(わおん)プロジェクトを立ち上げて、逆に”評価の定まっていないからこそ、応援すべき”と「若手アーティストの支援」に「ライブイベントや展示、フリーマーケットの開催」などの”発表機会と場所”を作る事に取り組み続けてきた数年間の事。

そして2010年に、その流れで今度は大阪市のアートインフォメーション&サポートセンター「中之島4117」の企画委員として、同じように「若手アーティストの支援」を担当し、まずはジャンル、カテゴライズに拘りすぎて、横断的な交流機会が少ないのでは?と問題意識を感じ、この「伝書鳩」(この企画名には”ちゃんと相手のメッセージを受け取り、対話しよう”という想いを込めていた)と今度は「トーク&シンポジウム」企画を考えて、関西各地の創造的な活動をし続けている人達を広く”表現者”と定義して、新たに発見し、紹介し続けてきた2年間。

それぞれに「ベストを尽くせたか?」と言えば、今でも反省や改善点は数多く浮かぶ。それでも、過去という後ろに戻れない以上、未来へ、前へと僕も進むしかなかった。

ただ正直、この「伝書鳩フォーラムvol2〜未来を考える〜」が終わった時、僕は次に「何をすべきなのか」わからなかった。それより、2007年からの「アトリエ輪音」2010年からの「伝書鳩」と「若手アーティストの支援」をしてきた数年間の活動を無事に一区切りできた安堵感に包まれていた。

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