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謝罪不足

友人とルームシェアをしている。

一人の相手と長い時間を過ごすと、これまで知らなかった色々が見えてきた。相手についても、自分についても。

相手のよりいっそう好ましく思う側面もあるし、違和感を抱くとこもある。自分についても、また然り……いや、好ましく思われる側面が自分にあるか定かじゃない。が、違和感を抱く顔があることに関しては自信ある。実際、言動について注意されること多数なので。

「ごめんなさい」だけはNG

先日は謝罪の仕方について注意された。
曰く、謝罪する時に「ごめんなさい」だけじゃ足りねーぞ。その顛末についての説明なり、今思ってること等を言ってくれ。ごめんなさいだけ言われても、こっちのモヤモヤは晴れません。とのこと。
言われてみれば「たしかに」と思ったのだが、言われるまで毛頭考えてなかった。

思えば、自分には謝罪に関するノウハウがない。なぜだろう。

人生を翻ってみると、自分に過失を与えた相手に対して謝ってほしいと思ったことがない。謝ってもらったところで起きたことは変わらないし、肉親を殺された、家を燃やされたレベルの過失は別だけど、たいだいのことは過去になった時点で気にしない。謝罪なんかいらないから、今後の対策を考えようぜ、というスタンスをとる。

珍しくムカムカが続くことに関しては、気が済むまでやり返すだけなので、謝罪どうこうの問題じゃなかった。

じゃあ自分が謝る立場のときは、どうしていたのだろう。なぜだろう、全然思い出せない。

どう謝るか、反省の意を示せ

しかし、日本では謝罪の出来不出来はだいじだ。謝罪の下手なやつは出世できない、と昔から言われてきた。

謝罪がどれだけ重要か。ためしにamazonで「謝罪」と検索すると、213件の本がヒットした。自分以外にも謝罪で苦労してる人が多いようだ。

ニュースでは常になにかしらの謝罪会見の映像が流れ、当事者たちが事の顛末をつぶさに説明し頭を下げ続けてる。
そしてメディアやお茶の間では、そのつど謝罪について議論する。どう謝ったかで、反省の意を推し量る。「ごめんなさい」だけ言って帰る、などありえないらしい。

自分は謝ったつもりでも、相手は謝られたと思ってないかもしれない。ごめんなさいって言ったからいいじゃん、じゃ済まされないのだ。大事なのは、相手にとって満足いく謝罪かどうか。

謝る時は、謝罪の言葉だけじゃなく、反省の意を示そう。

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