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長いです。

これは、その時の事なので現在を表すもの・考えではありません。そして、内容は全て私の話であって、何かに反応しているとしても「私事」なので、ランボーな言葉でもそのまま書いていく”私の内面の事”です。

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11/3メモ

”諦めよう”(今の結果に決着させよう)とする「古い習慣」と、いや、でも判らない、「止まってもいいけど、進んでみてもいい」という先延ばし。このどちらも自分は選択する事は可能という柔軟性。

「視点を遠くに持って行ってしまうこと」

新しい回路への挑戦、拮抗。ここはガンバレ新しい私。選択は先延ばしだ。

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11/3メモ

自信なんかいつもないのは、

「だって、こうでしょ?」

というものが認めてもらえなかった記憶(古いもの・母親)があるから。

説明しても理解されなかった事も過去に書いた。もちろん子供の時だから「なんで?」しか自覚していないけど、大人になるからソレを探って意味を付けられる。

「何で解らないの?」「どうして解ってくれないの?」

反復された事によってそれは「私は理解されない」という諦めに辿り着く。

決めつけてしまう、その時点で。

そして当然、「認められない」という事はいつも「孤独を抱えるんだな」とこれも決着させてしまう。心としては、「認めて欲しい・寂しい」という思い。

頭で解かる事は簡単で、それはすぐにでも到達できる事で、今までもフォーカスしてきた。

それをウンと言わない自分がいるから、そこまで拘るならばと、私が私に付き合っている。

自分で「もういいや」と、飽きれば卒業していくんだから、私はそれまで付き合うよ。私は私であり、私は母である。

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11/3メモ

今の自分の状態から、普段からもかなりアタマ(思考)が働いている・いた、と言える。

思考をしていないつもりでも、かなり思考してしまっている、という事。

感情(心)が鈍ってもこの状態があるという事は、人は”考えていない”つもりでもかなり思考している状態にある、という事。

意識的に「抜く」という、そこから離れる状態を作らないと、自然に離れる事は出来ない、という事。

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11/4メモ

うん、そうだな。

今まで自分では頭で「解かっていた」、と思っていたけど、やっぱり芯からは解っていなくて。自分の経験(状態)から、「この状態もあるのか…」と、ココで感じる事で、頭から芯へ近づく。

「これを認めて欲しい」

認めてもらうには、他人のソレも同時。

・・・故に。

「今までは理解が浅かったな、私。つもりだったな。」

と、落ち着く。

自分が経験しないとホントに深まらない…。

全てが・・・ワタシ。

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11/5メモ

心など実体はなく、脳と同じ事、ハタラキ。

でも、その「心」がない(薄い)、今の自分の状態を観ると、楽しくはない。機械的、喜びが深くならない…。ホントに身体の働きをただ観ているような感覚。

それだけ心(感情)を動かしているようで、殆どがアタマ(思考)、と言えてしまう。理屈で判明している事を、体験として得ることは出来た。

私は心の事も、脳の事も好きだから。

要は、「この私」が好きだから。

心は存在が小さくて、でも影響が非常に大きくて。

解かった上で、生きて行く楽しさの為に、心を大切にしたいと思う。

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11/5メモ

新・旧は戦う。

ガンバって”社会”に入ろうとしている自分と、

なんで?”私”を壊さなくちゃいけないの?

という拮抗。

子供が成長過程に踏む経験と同じ。

レベルは違っても仕組みが同じ様な事をやっていると思う。

いや、私はそれを今まで、未だやってなかったのだとしたら、「今やっている」、でもいい。

目の前にある、という事は、今の私にとって必要な事。

ほうほう・・・、少し柔軟性が出てるな。

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11/5メモ

”実感が欲しい”。

繋がっていると芯から思えるもの、なんだろう。

だから中身のない表向きのものはいらない、と思うし、私がそれに敏感だから判ってしまう、という面は大いにある。

だから表面的に合わされる事を嫌う。

私が実感した”その時”の深さと同じでないから「違う」と感じている。

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11/6ヌボータイムメモ

自分と同じ”同胞”を探した。

自分のこの深さを、痛みを、悲しみを知るモノなんていない。

いない?

(そうか)

外に求めてるんだ今まで、深い所では。

だからいつも、

表向きのモノが大嫌いで、合わされるのもイヤで、機嫌を取られるのもイヤ。この深さを知らないくせに。という感情はあったんだろう。

少なくとも、こう書けるという事は、私の中から出たモノ。

違うな。

「私の中」だから、その本当の「同意」を外に求めても、それは一生手に入らない。全く同じ”私”を見つけない限り、それはない。その傷自体もなくならない。こういうカタチとして残っている。

その想い、苦しかった経験として、ただメモリーしよう。

私より苦しい人達は沢山いる。それも知っているのに、”同じ”を求める自分。

どストライクなんていない。

私の、「人生」に於いての経験だから。


頭がまだハッキリ覚めない時に書いた↑↑↑と、さも、「降って湧いた」とメモしている日中のメモ↓↓↓。思考は連綿と切れる事なく続いている。

11/6メモ

・理屈で返すんじゃねぇよ

・合わせてんじゃねぇ

だから私は”ウソ”が嫌いだったし、ウソばっかの世の中にうんざりしてた。いつもそういう目線を持っていた。そこにかなりの鋭いモノを持っていた。だから私は今までもずっと「分かる」という言葉をかなり想いを込めて書いてきた。

そんな浅いコトじゃないよ、そんな話をしていない。

いつも探して、「同じ」を探して。

見つけた、と思っては最終的には異なり―――。を繰り返して、どんどん諦めていく。「これが私だ」と。

逆に変に合わせず、”自分でいてくれる人々”が心では嬉しかった。それは私と違う「その人」であったから。

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11/6メモ

弱っている時は、表面的な言葉でも救われる。それはきっと藁をも掴みたい気持ちなんだと思う。それだけ不安定。

その一方。

そんな事じゃ満足できない、ずっと”自己”として探し求めてきたモノじゃない、と、ウンと言わない自分もいる。

救われたのも事実、救われない事も事実。

両方がしっかりと存在している。

これが同じ”アタマの中”で起きている大きな「綱引き」。表で満たされ続けた事の蓄積で深い所が埋まる事はない、と今の所の私は思っている。

全て一致しているのならともかくの事。

上がってくる言葉、それは魂からの、古い記憶からの投げかけ、と私は思う。

「同胞」なんて言葉を私は使わないし、目にもしていない。それがヌボータイムで上がって来ているのだから。

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11/7メモ

ストーリーは後付けで。

脳が紡ぎ出した旅路。

そこに私がいるようで、いない。導かれているようでそれも”私”が決めている。

この私が全てで、全てはいつもこのワタシ。

私はアナタを理解できないけど、アナタも私を理解などしない。

おもしろいね、ただそれが組み合わさって、それぞれが生きている。

永遠にないモノを探し求めて。

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二つとないモノを探し回ったって、ないのに。自分の世界で起きた事を、外で見つけようとしている矛盾に気づかずに、惰性で探し求めていた。

私よ。

それはちょっと連係ミスだ。

だから”ワタシ”を遮断してくれた?

今、単体のように見やすくなっている。不要なものが整理しやすい。

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クリスタル音叉(CD)をかけて就寝、二晩目。

何気なく聞いた主人の返事に「へーー」と。この日も”トランス”に入っている。

沢山の子供たちの「目」から逃げていた・・・など。主人の中で連日共通している。もう一つの夢も。

そして、私は昨晩はCDをうるさく感じていて朝方止めた。これは夢ノートに色々記したのだけども。

私が”印象だけ”感じた夢と、主人は実際にその中を実感している夢とで、同じものを見ていた。(見ている時間が一致している訳ではない)

主人のその逃げる夢で再び、最後にパーーン!と眩しい光が差し込むらしい。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!