深い”自分”との出会い
物心ついた頃に、何となく「自分」という人は”いる”と、自身が自覚する・しないは様々なんだろうけど。
出来上がるんだよね、明らかに自分は。
持って生まれた血筋もあって、それは意識などせずとも、家族とそっくりだなぁという様な、「同じである事」にビックリした経験も私にはある。
親の影響を受けたという”自覚”のあるものなら、それを問う事はできるけど、無意識に知らずに同じ動作をする…、なんていうのは、「おかしなもんだな(笑)」と、ただ笑えた。
育った環境から、自分が十分に吸収してきたそのエキス。
一週間前のある日の言動が思い出せないのに、幼少の頃の自分がどの様に過ごしていたか、なんて詳細に憶えている訳がない。今だって記憶違いや忘却の日々。
残るのは、その時の想い「感情」。
大人になると、そのしっかりと感じていたはずの感情でさえ、自ら疑い、その「自分」を確かめたくなる事さえある。
「私という人は、どんな要素で出来ているのか」
探るとなしに探る、過去を辿る道のり。
そこを見ないと自分の事は理解できない。
ならば当然、他者の事など理解ができるはずもない。
・・・
有料記事の目的に沿って内容を決めている為、私自身の具体的な事や、気づいたコンプレックスなど、一般記事で触れていない事を書いています。
人として、情けない面を持っているのは誰でも同じですよ、と。
★こちらも前回同様、フィードバック特典つきです★
あっ、コンプレックスか!
1/17メモから
これは以前から分かっててメモしてこなかった。
外枠に触れた事はある。
”目的”外、では、動けないという事。
私の目的は。長い間の、ずっと無意識に持ち続けるその目的は、「普通」でいられる事。
普通でいられるその環境が、私にとって、とても十分で。だけど、その普通は、「最低限の環境」でもあって。
これが非常に、私にとってのポイントになっていた。
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「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!