焦点で結ぶモノカタリ
昨年末の数日で、何枚書いたんだろ?というメモ帳。
今日は年末の「シンクロ」の続きでなく、単発で上げられそうなものを先に幾つか書いてしまいます。(その理由は最後に)
12/30メモ
シンクロする。
これが丁度”合っている”状態、という理屈を肚に落とし。
するとそこからの視点に切り替わる―――。
この両方が程良く均等に観えてくる位置にいる(事が多くなった)。ゼロポイントであるならば、ここから「自分を創っていく」と良い事が可能という事は、頭では理解していた。
今日は、”デザイン”が湧いてきた。
どの様に「自分」というイキモノを、自分の意志によって創作していくか…というデザイン。
環境によって作られた今までがあり、認め、受け容れて。静かな時を経て少しずつ動き出すクリエイト。
自分自身を創作するという、能動的な動きへ切り替わる。
『作られた自分から 創った自分へ』
・・・
これを書いたから、翌日のTwitterの言葉(表現)に繋がっているのが分かる。使う言葉が所々”同じ”。背景が同じだから。
(「私」という個から少しズレたから”観察”が飛び込んで来るのだと思う)
12/30メモ
瞬間瞬間に、「自分がある」という事が観えてくる…。
ピースのオシッコ(ウンチ)タイミングがズレて数日。私の散歩準備、着替え中にする様になり、「外ですればいいのに」という思いが強くなる。
・彼は今したいだけ
・(そういう)パターンが出来た(”散歩へ行きたい”興奮がそうさせるetc)
などの理屈は既に通過しての事。
そしてそれが重なって来て思った今日。
手を止めなくちゃいけない”面倒くささ”に、「”私”がそこにあるんだ」としっかり観えた。
12/31ヌボータイムメモ
”合っている”というのは、”ズレていない”という事。
だけど合っている状態だけでは、ズレも分からない。ズレて初めて「合う」を知る。
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個という人間の存在は、「切り抜き」。この切り抜いた自分というものが全体にピタッとハマった時”合う”という事を理解する。型抜きガムのようだ。
・・・
「合う」という状態に長らくハマった事を想像してみた。そこに「ある」状態は感情など起こらない。起こる域を超えてしまう―――。常に”状態”に合い続けてしまえば、”個”を感じられない一体、全体となる。
全体を知って、個明らかとなる。
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12/31の起き掛け、湧くままに書いた、ヌボータイムメモの一部。
これは、同じ”湧く”でも、内容的に「脳内で思考整理された様な印象」を受けて、それをその日のFacebookにも同様の表現をしている。
湧くの違いを感じたままに書くと、驚きの様な気づきなどはなく、やはりまとめた言葉、自分の中の納得・確認の様な印象をメモしながら受ける事によるもの。
そして、「型抜きガム」は表現が変わっただけで、先日の「ジグソーパズル」から続いている事も予測が可能。私側(自覚の意識)はそんな事にコレぽっちもフォーカスしていないけども、”背後”はきちんと追いかけ続けている(繋がっている)、と観える。
メモが結構散らかってきているので、出せるものから上げてしまいたいのが、順不同の理由。
大量のソレがある時、いつまでも寝かしていると(順番に拘っていると)、書いた時の印象とnoteする時の心に差が出て書きづらくなる為、溜め込まずに出していく。(それでも着手できない理由がある場合は、それが”タイミング”と私は捉える)
補足も含め、もっと書いておきたかったのだけども、元日は起床時から頭痛で、夜まで治まらずちょっと過ごしにくかったのでこれにて(*_*;
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!