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意識を一緒に変える

意識のことが頭の後ろ側に張り付いているから、それ絡みにばかりなって、どこから触れようか…?となるのだけども。

仕方ないので、口に合わなかった紅茶の話から入って行きます。
注:これが書きたい事につながる保証はまったくありませぬ(笑)

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先日、いつもと違う紅茶を買った。洋風な茶葉の名前が書いてあって、聞いた事もある有名なもの、のティーバッグ。

そういう事に拘りはなく、「私が美味しいと感じるもの」に拘りがあり、そして(私にとって)新しいものは”行ってみよう”という事で主人が勧めてくれたそれを買った。夜のティータイムが楽しみだった。

香りが強い。
無糖ではあまり飲まない為、少し砂糖を入れて飲みやすくなる準備はした。

(ひと口)
口の中を確かめる。

後から後から強くなる”香り”。まるで香りを食べている感じになって”ウッ”な感じだった。

『なんだろう、これ。味じゃなくてアロマを飲んでるような感じがする。うん、残るのは香りだねぇ…』

その有名な紅茶は、茶葉に香料を付けたものと知る。そして口の中に感じたそれは、調べた内容と同じになる。もう「そのまま」だったものだから。

私は香りを嗅ぐのは好きだけど、それが口に入るのはあまり好きじゃない。喉の奥に暫く残っているようなその香りが、不快までは行かなくとも、あまり気持ちの良いもんじゃなかった(笑)

味と香りが”違う”ことが口の中の情報から分かった。

例えば高級だったり、有名だったりしても、自分の感覚って誤魔化せないのよね。普通の紅茶がおいしい(*^^*)


ここ最近、主人との会話から拾うことを書いているから、それが引っかかっているので触れていきます。

初めて見つけたというような事じゃなく、「やはり」という確認、その様に言えてしまうんだな、という内容です。

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私は今までも、散々主人との会話を載せて来ているのだけども。

”会話”という事で見ていたら「中身」は当然見えてこなくて。側にいる私に伝わるものが、既に違うから「こちらが変わらなくちゃいけない」という思いにさせられた所がある。そういう形で、両方がシンクロして同様のスタンスをとるという風に感じる所がある。

(わざわざ書かないけども)昨年思い切りぶつかった事により、どちらもの何かが”壊れた”ことは、とても大きなきっかけになっていることは間違いない。何かが壊れなければ、新しいものは生まれてこないから。

押し込めていた又は張り出していた「意識」が、互いの関係性を調える段階にあった、と考えられる。それは、”衝突”の肯定という事ではなく、だけど何某かで壊れることで新しさが始まるので、何の変化もなかった習慣的な日常に割り込んできたその”きっかけ”は、意識の状態のシンクロと、ここでもそう感じる。


そんな流れで行きついたこの3か月。
主人を見ている(観ている)目線から、内容が変わってきたと無意識で、でも明らかに捉える状態で、「私自身が」自分の内側を観やすくなった、という様に言える部分。

主人の発言を観るたび(聴くたび)、同時に私の中に現れる”私”の在り方。私自身の境界の曖昧さを利用した状態が今、主人との関係にあるとも言えるかもしれない。

だから。
もっと主人を見ようとか、私が特に注意をしよう、とは全くならないのだけど、会話が起きるたび、それに合わせる”状態”を私の中に持ち出して、表の会話をしながら繋がっているかのような、そんな状態はある。


主人との会話から、自分が今まで主人に「やってあげていた事」が明らかになっているし、それは”良いこと”という意味でなく、それは確かにその時必要だったかもしれないけれど、「現在においてそれはもう不要」という事を教えてくれている。

その現在では、主人に対して出っ張り過ぎているそれに、主人は突っぱねてくる訳で、それが今までの主人との大きな違い、成長なんだと思っている。

意識の在り方というのか、その形というのは、環境・習慣によって無意識に形成されている。これだけ私たちの過ごす日々、環境は変わっているのに、”意識はいつも置き去り”というのは、ことあるごとに感じている。


何か衝撃的なことが身辺に起こる、という事は、必ず大きな気づきを私たちに与えてくれている。それを無視するのも、拾って活かすのも私たち次第。私はどこかで、この衝撃が起きた当初、「少しずつ返してもらう…」というような表現をした事を憶えている。

それは、私が主人に対して「やっている事」を、この私自身が無意識に分かっているからだ。その状態に変化が進んでいるならば、表面だけでなく、深い所の意識も変えなければいけないと、「私自身のこと」を変えていく出来事だと認識していた。

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この「やってあげていた事」という表現は少し聞こえがいいけども、それを無意識にそうする選択をしているのは「私」なので。事情があって頼まれたわけでもなく、こっちが勝手にやっていた事。

主人に対して長い間、二人の関係において当たり前にそうあった状態から違う関わり方に変化していくことを、ある意味では当然のこととして捉え始めた。

”出来事”は、不意にやってくる。その事象は大問題のようにな顔してやってきたりもするけども、違う所から見ると「なんだこういう事か」という単なるきっかけに変わる。

突然の出来事は、やっぱりソレという事象に引っかかりやすいものだね。


そうそう。
昨年主人が買った”爆発ココア”は、ちゃんと飲み終えましたよ。

一回分に満たない量が残ってしまい、砂糖を足して餅にまぶして食べようかなど考えながらも、置いたままだった先日、主人が”飲んじゃうよ”と言って最後の分を片付けた。

「これで責任果たしたな…」

(は、は?)と思って、最初と最後だけの良いとこ取りで満足している様子(笑)殆ど私が飲んだんだけど(-_-メ) と突っ込んだ。ホイップクリームを乗せてデザートみたいにして飲んだりして、やっと片づけましたとさ(*^^*)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!